〈浜名湖17歳殺人〉「仲間を“ファミリー”と呼んでいた」主犯格の男は「友達を失いたくないから」を理由にタメ口をきいた被害者を暴行、監禁、湖近くの川に投げ入れ殺害…懲役17年で控訴は棄却
〈浜名湖17歳殺人〉「仲間を“ファミリー”と呼んでいた」主犯格の男は「友達を失いたくないから」を理由にタメ口をきいた被害者を暴行、監禁、湖近くの川に投げ入れ殺害…懲役17年で控訴は棄却

2024年2月、堀内音緒被告(23)はフィリピン国籍の男(当時18)と共謀し静岡県袋井市に住む中国籍の知人の男子高校生(当時17)に暴行を加え車のトランクの中に監禁し、静岡県の浜名湖近くの川に投げ入れて殺害した。堀内被告は1審で懲役17年の判決を言い渡されていたが、不服として東京高裁に控訴していた。

3月17日、東京高裁は1審判決を支持し控訴を棄却した。

弁護側は「殺意のグラデーションの中では最も淡い」と主張

事件は2024年2月5日未明に起きた。その日は知人宅で被害者の男子高校生を含む8人で酒を飲んでいた。男子高校生が年上である共犯のフィリピン国籍の男に敬語を使わず、注意された後も“タメ口”を続けたことから共犯のフィリピン国籍の男が怒りを募らせたのがきっかけだ。

2人は共謀しリビングで男子高校生の顔や頭や体などを何度も殴る蹴るなどしたほか、駐車場で髪の毛をつかんで引きずり、共犯のフィリピン国籍の男がレンチで体を殴るなどした。さらに意識混濁状態になった男子高校生を車のトランクに押し込み、浜名湖付近に移動しそこでも暴行を加え、浜名湖近くの川に転落させ殺害した。

殺人と監禁、傷害の罪に問われた堀内被告は2025年6月裁判員裁判で、静岡地裁浜松支部から懲役17年(求刑懲役18年)の判決を言い渡されていた。社会部デスクが語る。

「弁護側は1審の判決を不服として控訴していましたが堀内被告は共犯の男を失望させたくない、友達を失いたくないと犯行に加わったとして、『殺意のグラデーションの中では最も淡い』と積極的な殺意ではなかったとし、懲役8年が相当と主張していました。

しかし東京高裁は『友人関係を失いたくないという思いも被害者からすれば身勝手な考え』『意識障害に陥っている被害者を湖に突き落とすことを容認している以上、殺意の程度が強いと判断した原判決に誤りはない』と控訴を退けました」

友達を失いたくないという理由で犯行に加わったとするのであれば呆れるほかないが、堀内被告と共犯のフィリピン国籍の男はどのような友達関係だったのか。

♯6でも詳報しているが、浜松駅周辺で形成された独自の“外国人コミュニティ”の少年グループに堀内被告は属しており、互いを『ファミリー』や『ブラザー』などと呼び合っていた。

“レクサスコンビ”として名が知られていた2人

事件前に2人を含む少年グループはたびたび浜松駅前でたむろしている姿を目撃されていた。2人のルーツとはいったいどのようなものだったのか。

堀内被告は日本人の父とフィリピン人の母を持ち、彼の幼少期の頃を知る男性は当時こう語っていた。

「彼のことは小さい頃に2、3度見たことがあるだけですね。小学生くらいの年代だったかな。ご両親と祖父母で一軒家に住んでいました。お父さんは日本人で会社勤めをしていて、お母さんはフィリピンの方だと思いますが、夜の飲み屋のようなところで働いていると聞いていました。おじいちゃんとおばあちゃんが亡くなってから少しして浜松市のほうに引っ越しすると聞きました」

一方で共犯のフィリピン国籍の男については友人がこう語っている。

「彼がフィリピンから日本に来たのは小学校高学年のときです。両親はフィリピンに残っていて、日本に住んでいる親戚の家に来るという形でした。当時彼はまったく日本語がしゃべれず、僕らもよく日本語を教えていました。学校には他にもフィリピンの子がいたので彼を白い目で見たり、馬鹿にしたりする人はいませんでしたよ。

彼(の素行)が悪くなっていったのは中学を卒業してからですね。高校には行きましたが、確か定時制か通信制だったので日中はけっこう暇していて、浜松駅近くのこの辺でよく遊んでいました。そこに同じような境遇のフィリピン人がいて、その仲間、またその仲間と繋がっていきました」

そうして形成されていった少年グループの中でも特に2人は仲が良かったようだ。

堀内被告が黒いレクサス、共犯のフィリピン国籍の男は白いレクサスに乗り“レクサスコンビ”としても知られていた。

「もう二度とあいつらとは会いたくないです」

事件後の少年グループについて被害者の男子高校生の先輩が当時こう証言している。

「外国人不良たちはあいかわらずで、この事件で逮捕されなかった残党の何人かも、その後にケンカして傷害で逮捕されてました。別の不良の外国人はメリケンサックを持ってオラついていて、このあいだも街中で大人とケンカしてましたよ。僕はもう関わりたくないから、街(繁華街)に近づくのはやめました、もう二度とあいつらとは会いたくないです」

フィリピンにルーツを持つ2人は“兄弟”と呼び合う関係を築いていった。友達を失いたくないと本当に思うのなら、どこかで互いにブレーキをかけることができなかったのか。

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取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班

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