25年続いた『ビットワールド』が終了…いとうせいこうが抱く危機感「これが終わったら、テレビはもう実験をしなくなる」
25年続いた『ビットワールド』が終了…いとうせいこうが抱く危機感「これが終わったら、テレビはもう実験をしなくなる」

前身番組『天才ビットくん』(2001年開始)を含め25年間続いたEテレの子ども向け番組『ビットワールド』が、3月27日をもって幕を下ろす。最後の生放送で、いとうせいこうは子どもたちに「みんなは天才なんだからね」と語りかけた。

その言葉に込めた思いとは何だったのか。番組終了への思い、そして子どもたちのひらめきを信じ続けてきた理由を聞いた。〈前後編の前編〉

子どものアイデアを絶対に馬鹿にしない

──『天才ビットくん』時代も含め、25年間続いた『ビットワールド』が、この3月で終了します。まずは、今の率直なお気持ちからお聞かせください。

いとうせいこう(以下同) いや、もう寂しいよね……。もちろんテレビの世界だから、「今年で終わるんじゃないか」みたいな話は毎年あるわけなんだけど、それでも25年間生き抜いてきたからね。昨年は舞台版もやったし、「まだ続くだろうな」と思っていたんだけど。寝耳に水だったね。

何よりこの番組は、テレビができる最先端のものすごい実験を平気でやってきたから、これが終わってしまえばもうテレビは実験をしなくなって、ますますネットとの差が開いてしまうな……というのが、テレビマンとしての感想だね。もったいないなと思ってる。

──僕自身も子どもの頃『天才ビットくん』を観ていました。視聴者から寄せられたアイデアをもとに番組を作っていくというコンセプトがとても刺激的でした。

当時NHKで『デジタル・スタジアム』っていう、アーティストがデジタル技術を使って何ができるかを追求していた番組があって、その子ども版をやろうという話が僕のところに来たんだよ。

それで僕らは「子どもたちが内容もキャラクターも衣装もすべて決める」という仕組みを提案した。出演する僕らが着る服さえも子どもたちが描いて送ってきたものから選ぶ。そこは最初からはっきりと決まってたね。

──子どもたちのアイデアを番組に取り入れるときに、いちばん大事にしていたことは何ですか。

まず子どものアイデアを絶対に馬鹿にしないこと。そして褒めることだね。実際に送られてくるイラストは、とにかく訳の分からないものばかりなんだけど、それが最高におかしいんだよね(笑)。

升野(バカリズム)たちがやってるようなプロの大喜利じゃ絶対出てこない、普通の企画だったら間違いなく通らないものばかりでさ。「新潟県の形をした、でもギザギザであんまり新潟県じゃないやつ」に文字で「新潟県」って書いてあったりする。おかしいんだよ(笑)。あまりにぶっ飛びすぎてるアイデアを腕の立つ出演者が集まって受けて立つ。

子どもたちには本当に笑わせてもらったし、「君たちは天才だ」という気持ちは25年ずっと変わらずあったね。

──たとえば主要キャラクターが死んでしまったり、シリアスな展開があるのも『ビットワールド』の特色だと思います。

年度末に番組をどう盛り上げるかというと、キャラクターを消滅させるかどうか子供たちと話し合うんだよ(笑)。どちらのキャラクターを残すかを生放送の視聴者投票で決める。スタジオに何十人もの子どもたちがいて討論を展開しながら、中には悲しくて泣いてる奴がいたりとか……とにかく真剣なんだよね。テレビの向こうの視聴者からもいろんな意見が送られてきて、その熱さがこっちにも伝わってきてジーンとしちゃって……。

──月曜日から木曜日まで放送されていた『天才てれびくん』の明るい空気から、金曜日の『天才ビットくん』が始まった途端に急に訳のわからない映像が流れる。その落差に衝撃を受けた子どもも多かったと思います。

始まった途端、街が荒廃してたりとかね(笑)。子どもだけが感じる「破滅」や「死みたいなものをちゃんと映し出す。ただの明るい番組じゃないっていうところが子どもたちにとってリアルに感じる理由だったんじゃないかな。今はああいう超刺激的な番組が減ってるよね。

「よくできてる」だけでは刺激できない部分

──子どもたちのあいだで、ゲームを通じて噂や不穏な空気が広がっていく様子を描いた、せいこうさんの初小説『ノーライフキング』にも、『ビットワールド』と通じる感触があるように思います。

もうほとんど同じだよね。『ビットワールド』は、死や滅亡の気配を感じた子どもたちが自分たちの力でなんとかするんだ! という、まさに『ノーライフキング』の映像版みたいなことをやってた。浮かれた世界の向こう側には怪しい死の世界があるんだよ。

あの小説を書く前の頃、中森明夫君と毎日のように電話をしていて、そこでよく子どもの話をしてた。ある日急に「ノーライフキング」って言葉を思いついちゃって、それで小説を書いた。それを読んだ日野啓三さんが「君の言っていることはよくわかる」と葉書を送ってきてくれたり、柄谷行人さんには「この小説は柳田國男と同じことを言っている」と言ってもらった。

柄谷さんの『児童の発見』もそうだけど、すごい人たちは子どもを通じて世の中を見てるんだよね。

──今はむしろ大人たちの方が陰謀論や都市伝説に騙されているというか……。

そうだよね。しかも面白くない噂に騙されてる。子どもの発想にはどこか「ふざけ」があるんだよ。例えば子どもがどれだけ上手に絵を描こうとしても、どうしたって限界があるわけじゃん。

その限界から生み出されるユーモアがある。上手に作られたものもインパクトはあるけど、子どもが作ったものと比べて笑えるかと言われたら別にそうじゃない。

──クオリティの高い画像がAIで簡単に作れるし、子どもが生み出す「不完全さ」や「ユーモア」みたいなものからどんどん遠ざかってますよね。ちなみに今、子どもたちの間ではAIで生成された「イタリアン・ブレイン・ロット」というキャラクターが流行っていて……。

うちの子どももずっと見てるよ(笑)。目玉の飛び出したキャラクターとか見ながらすごい喜んでるもん。やっぱり子どもは気持ち悪くておかしいものが好きなんだよね。不完全な造形というか、まるでAC部が作るようなキャラクターみたいで。

つまり「よくできてる」だけでは刺激できない部分があるんだよ。じゃあその刺激って何なんだ? っていうことが、それこそこれからのAIのテーマにもなるんじゃないかな。「よくできてる」ものは、すごく使い勝手がいいけど、使い勝手がいいだけが人間の快感ではないわけじゃん。

俺もさ、『ビットワールド』をやってきた人間なのに自分の子どもに対してはついつい常識的なところにはめこもうとしちゃうんだよね(笑)。

その方が育児はしやすいわけだけど、子どもは僕の見ている「世界」には生きてないわけだからさ。

取材・文/キムラ 撮影/杉山慶伍

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