「今は芸人という入口からじゃないとテレビに入れない」いとうせいこうが語る、テレビが変なものを生めなくなった理由
「今は芸人という入口からじゃないとテレビに入れない」いとうせいこうが語る、テレビが変なものを生めなくなった理由

Eテレの子ども向け長寿番組『ビットワールド』が、この3月をもって幕を下ろす。数々の実験的なアイデアを展開した同番組に限らず、いとうせいこうにとって、テレビとは本来「変なもの」を生み出す場所だった。

 

表現活動を始めた1980年代の東京の空気、その時代に感じていた都市のざわめき、そして今も見えない場所に残るテレビの技術の話まで――。後編では、マルチクリエイターとして世に出たいとうせいこうの根底にあるテレビ論、都市論、メディア論を聞いた。〈前後編の後編〉

テレビがテレビだった時代

──若い世代にとって、せいこうさんは『ビットワールド』の人というイメージが強いと思います。『ビットワールド』よりさらに前、せいこうさんが活動を始めた1980年代のテレビって、今の芸人一強の雰囲気とはかなり違っていましたよね。

いとうせいこう(以下同) あの頃くらいまでが「テレビ」だったと、俺は思ってる。もっと以前には青島幸男がいて、ドラマ『いじわるばあさん』とかをやってた。のちに東京都知事になる人だよ? 普通に考えておかしいじゃん。大橋巨泉さんもそう。そもそも巨泉っていう名前が俳号だからね(笑)。

でも俺たちの世代からしたら、それが常識なんだよ。テレビの中に出てくる人たちは、普通の舞台に立ってる芸人とは違う。

けど今は、企画や番組の意図を汲んで動く、いわばADさんみたいな芸人諸氏がいて、アイドルたちもその真似をして……。テレビを成立させるためには必要なんだろうけど、そこからは「変なもの」は生まれにくいよね。

今は芸人という入口からじゃないとテレビの世界に入れないようになってる。

もちろん、そのことを自覚してる人が常にそれを壊そうとしているのは伝わるんだけど、それはそれで「巧さ」のほうが出ちゃうじゃん。

──せいこうさんは、テレビのどんなところに特別さを感じていますか?

テレビって今はバカにされがちだけど、その中には何十年もかけて積み重ねられてきたすごい技術がたくさんあって、みんなが注目しないところにプロフェッショナルな人たちがいる。そこがすごいんだよ。

この間、俺の昔からの知り合いが教えてくれたんだけど、いま、欽ちゃん(萩本欽一)ってどこかのビルの一室で数十人くらいの観客を集めて、アドリブショーみたいなのをやってるんだって。

それもリハーサルのときから何台ものカメラで録りながら、その場にいるスタッフを指差して「ちょっと、そこのあんた」って意見を聞いたりしながら作ってると。「こっちから入ってきたほうが面白いと思うんです」と言われたら、すぐに意見を取り入れて、それででき上がったものを観客に見せるんだって。

その話を聞いたときに、やっぱり萩本さんって相変わらずすげえなあ……って思っちゃってさ。テレビの中でしか生まれなかった鬼みたいな人がいて、テレビの秘密を持ってるんだよね。そういうものをちゃんと見つけて、言語化して、後世につないでいく。それが俺の役割だと思ってる。

「新しいものが出てこなくなったな」

──せいこうさんが活動を始めた当時の作品を振り返ると、都市の空気や時代の感触にすごく敏感だった印象があります。

今の時代、たとえば東京にいなくても、ネットを通じて東京的なカルチャーや空気に参加できてしまう。そう考えると、いとうせいこう&TINNIE PUNX『東京ブロンクス』の〈東京はなかった〉というリリックも、今あらためて別のリアリティを帯びているように思います。

その「なさ」が逆に可能性でもあるんだけどね。とはいえ、やっぱりコミュニティを作るための最低限の磁場みたいなものは欲しい。

昔、東京ロッカーズの人たちが、俺とか(藤原)ヒロシとか、その周辺のヒップホップの界隈に声をかけてきてくれて、彼らのライブの間に俺も出たりしてたんだよ。思えば、あの時が東京にヒップホップが入ってきた瞬間だった。

その感触があったのは、彼らが作った磁場があったからこそだし、クリエイティブなものを生み出すためには磁場が必要なんだよね。

──80年代後半のせいこうさんは、『東京ブロンクス』や『ジャンクビート東京』、さらに初小説『ノーライフキング』と、今振り返るとかなり独特な作品を続けて発表されています。当時の作品を見返すと、バブルへ向かう空気のなかで、早くも世紀末を予感させるようなムードがあります。

あの頃、明るい曲で踊り狂ってる東京の人たちを、どこか冷めた目で見てるところはあったかもしれない。同時期のロンドン産のヒップホップやダブは、暗さや狂気に満ちているものが多かったし、一方でニューヨークの黒人たちが作り出すものには、突き抜けた暴力性があった。そしてその間に「オシャレな東京」のイメージがあった。

当時の自分は「東京」「ロンドン」「ニューヨーク」という3つの都市を通じて世の中を見ていて、いろんなものがごちゃごちゃになっている感覚があったわけだけど、それらには暗い未来だったり、人間そのものの暗さが通底してたりしたわけ。

──当時のせいこうさんの作品には、時代分析や予言のような姿勢があったと思います。一方で現在は、古典作品や伝統芸能を掘り下げて紹介する活動もされています。この変化には、ご自身の中でどんなきっかけがあったのでしょうか?

一番は、「新しいものが出てこなくなったな」という感覚じゃないかな。過去のものを掘っていったほうが面白い、と思うようになった。古典に触れることで、むしろ新しいものの楽しみ方もわかるようになってくる。

もちろん、時代分析や予言のようなことをやっていた頃もすごく楽しかったし、勘が働いたこともたくさんあった。けれど今は、その勘だけでは追いつけないくらい、世の中にとっての価値がばらけてしまっている。

そうなると、自分にとっていちばん価値の中心にあるものを突き詰めたほうがいいじゃない。俺の場合、それは「言葉」になるわけだよね。

──古典のほうへ向かったことで、今の表現の見え方はどう変わりましたか。

面白いよ。

後ろへ行ったら、いくらでも宝物があった。新しいものが出てこない、っていうより、見えてなかっただけなんだよね。古典って、単に古いものじゃなくて、言葉とか息とか距離とか、今の表現にもそのまま返ってくるものがある。だから、そっちを掘っていくと、むしろ今のものの見え方まで変わってくるんだよね。

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取材・文/キムラ 撮影/杉山慶伍

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