国際的投資家「NISA貧乏はこれから本当の貧乏になる」ジム・ロジャーズが警告、ティム・クックは中国へ…日本だけが読み違える世界の風向き
国際的投資家「NISA貧乏はこれから本当の貧乏になる」ジム・ロジャーズが警告、ティム・クックは中国へ…日本だけが読み違える世界の風向き

「NISA貧乏」という言葉がネットで話題を呼んだ。将来が不安な若者がNISAに過剰投資してしまい、普段の生活が苦しくなっている様子を表すという。

株価が落ち込んでいる今、国際的投資家の木戸次郎氏は「このままいけばNISA貧乏は本当の貧乏になる」と警告する。

ティム・クックも出席した中国発展フォーラム

イラン戦争の拡大によるエネルギー供給不安、原油価格の高騰、そして株価の急変動に怯える日々が続く中で、我々は目の前の数字にばかり意識を奪われてはいないだろうか。

だが、その背後で静かに、しかし決定的に重要な動きが進んでいることに気づいている人はどれほどいるだろうか。中国で開催された中国発展フォーラムである。

まず、この場の位置づけを冷静に捉える必要がある。これは世界経済フォーラムのようなグローバルな合意形成の場ではない。

中国側が設計した対話の舞台であり、各国のCEOや政策関係者が呼ばれ、自らの立場や期待を表明する場に近い。そのため議論の自由度や方向性には一定の制約がある。しかし、それでもなお「そこにいること自体」に意味がある。

むしろ、この種の場において最も重要なのは発言内容ではなく、誰がそこに存在しているかという事実そのものであり、その意味で極めて象徴性の強い空間である。

その象徴性を端的に示しているのが、ティム・クック――アップルのCEOである彼の出席である。誰もがその肩書を知っているからこそ、彼がそこにいるという事実は、単なる企業経営者の訪問以上の意味を持つ。

「米中の緊張があってもビジネスは続く」「サプライチェーンも市場も完全には切れない」という現実を、言葉ではなく態度で示しているのである。

欧州の企業経営者も同様であり、政治とは一定の距離を保ちながらも、実利の観点から中国との関係を維持するという極めて現実的な判断をしている。

その中で、日本の「不在」はあまりにも重い意味を持つ。本来、日本は中国と地理的にも経済的にも最も深く結びついてきた国の一つであり、こうした場にこそ重鎮が出ていき、関係を細く長くでも繋ぎ続ける役割を担うべき立場にある。

それにもかかわらず、誰一人として存在感を示さなかったという事実は、「関与しない」という意思表示として受け取られても仕方がない。加えて、この「不在」は単なる外交や経済の問題にとどまらない。

米国の「管理された対立」こそが現実

次世代AIや半導体といった、今後の産業競争力を左右する分野において、日本の立ち遅れを決定的なものにしている可能性すらある。こうしたフォーラムの場では、公式発表には現れない企業間の連携の萌芽や、技術トレンドの方向性、資本の流れが水面下で共有される。

そこに居合わせないということは、単に「発言していない」のではなく、「未来の潮流に触れていない」ということでもある。その差は、数年後に取り返しのつかない形で顕在化する。

そしてこれは単なる偶然でも一過性の出来事でもない。

背後には高市政権の対外姿勢が透けて見える。トランプ大統領の欧州軽視は、NATOすらコストとして扱うという意味で分かりやすい。しかしその米国ですら、中国との経済的結び付きを完全に断ち切ることはしていない。

対立はしても切断はしない。この「管理された対立」こそが現実であり、米国のしたたかさでもある。

一方で、日本はどうか。「対話の用意はある」と言いながら、その実、常に上からの視線を崩さない。この構図は対話ではなく通告に近い。

相手が応じることを前提とした対話など成立しないにもかかわらず、その前提が疑われることすらない。この硬直性が、今回のフォーラムにおける「不在」という形で可視化されたに過ぎない。

「ドル安であるにもかかわらず円安が進行する」歪んだ通貨環境

本来、日本にとって中国は単なる外交相手ではない。サプライチェーンの中核であり、巨大な消費市場であり、なおかつ成長余地を残した隣国である。その関係が戦略なきまま細っていくとすれば、それはリスク回避ではなく、機会の放棄に他ならない。

しかもそれは、「ドル安であるにもかかわらず円安が進行する」という歪んだ通貨環境の中で進んでいる。通常であればドル安は円高要因となるはずだが、それすら打ち消す構造的な円弱が、日本経済の基盤そのものを揺らしている。

ここで一度、視点を市場そのものに戻しておきたい。

今回のイラン戦争においても、仮に事態が一旦落ち着けば、株価は急反発し、原油価格も下がるだろう。そして多くの人は「やはり大したことはなかった」と感じる。だが、これこそが最も危うい錯覚である。

市場は常に未来を先取りし、最悪期を織り込んだ瞬間に反転する。しかし、その反転はあくまで期待の回復であって、実体の回復ではない。

負担は、時間差を伴って表面化する

むしろ本当の問題は、その後に訪れる。地政学ショックによって生じたエネルギーコストの上昇、物流の歪み、企業の収益圧迫は、時間差を伴って経済の内部に染み込んでいく。そして約1年後、それは「歪み」として一気に顕在化する。

過去を振り返れば、この構図は何度も繰り返されてきた。相場は先に戻り、現実は遅れて崩れる。この順番こそが本質である。

そこに、日本固有の問題である通貨安が重なると、状況はさらに深刻になる。円安が維持されたままでは、仮に原油が下がっても、輸入コスト全体は高止まりする。

エネルギー、食料、あらゆる生活コストはじわじわと上昇し続け、企業は価格転嫁に苦しみ、家計は削られていく。そしてその負担は、時間差を伴って表面化する。

よく考えてほしい。約8年間で円は約4割もその価値を棄損している。分かりやすく言えば、8年前に100万円の価値があったものが、現在は60万円程度の購買力にまで落ちているということだ。

これは単なる為替の話ではない。生活水準そのものが静かに切り下がっているという現実である。しかもこの変化は連続的に進んできたため、多くの人がその深刻さに気づいていない。

そして市場は、この事実を評価しない。株価は上がる。だがそれは通貨の価値が保たれていることを意味しない。むしろ通貨安の中での株高は、資産を持つ者だけが防御できる構造を強め、持たざる者の実質的な貧困を拡大させる。

「NISA貧乏」はもはや投資の問題ではない

ここに「NISA貧乏」という現象が重なる。生活費を削って投資に回す。しかし、その投資対象が下落し、さらに通貨の価値が下がれば、資産と購買力の双方が棄損する。これはもはや投資の問題ではない。生活そのものの問題である。

つまり今回も同じことが起きる可能性が高い。事態が落ち着けば市場は安心し、株価は戻る。しかし円安が維持されたままなら、その安心は単なる時間稼ぎに過ぎない。そして1年後、企業の収益圧迫、家計の疲弊、消費の鈍化という形で、その歪みは一気に表面化する。

ここで本来、日本が取り得るはずの選択肢として、「中堅国連合」という発想の重要性にも触れておくべきだろう。

米国か中国かという二項対立に呑み込まれずに、日本、インド、ASEAN、中東、欧州の一部といった中堅国同士が緩やかに連携し、バランスを取りながら関係を維持していく。このような多層的な外交こそが、本来の日本の強みであったはずだ。

風向きは、我々が思っている以上に変わり始めている

さらに注目すべきは、香港の存在である。中国は香港という接続点を維持することで、国際資本との関係を切らずに全体最適を保っている。

完全に切り離すのではなく、あえて繋ぎ続ける。この設計思想は、対立と共存を同時に成立させる現実的なモデルでもある。

その横で、日本だけが関係を細らせていく。この非対称性は、単なる外交姿勢の違いではなく、戦略の有無そのものを映し出している。

そして問題は中国だけにとどまらない。対イランを含む中東政策においても、日本は従来持っていた独自の対話回路を自ら手放しつつある。資源の大半を海外に依存する国でありながら、米国に偏りすぎた姿勢を強め、バランスを失っている。この歪みは、やがてエネルギーという最も現実的な分野で跳ね返ってくる。

ここで初めて、皮肉な現実に触れておく必要がある。偏米的な政策を強める一方で、かつて改正を志向していた憲法第9条の存在によって、自衛隊の軍事的関与、すなわち軍艦の派遣を免れた可能性があるという点である。

結果として、日本はイランを直接的に敵に回すという最悪のシナリオを回避できたとも言える。この「制約」が「抑制」として機能したという事実は重い。風向きは、我々が思っている以上に変わり始めているのかもしれない。

バフェットが株を売却したタイミング

市場はすでにその変化を映し始めている。2025年11月14日に掲載された記事で私は、ウォーレン・バフェット率いるバークシャー・ハサウェイが株式を大きく売却し、現金比率を歴史的水準まで引き上げていることに触れた。

あの時点では、日本市場はむしろ高揚感に包まれていた。いわゆる高市トレードの文脈の中で、日経平均は5万円を超え、さらに上を目指すという楽観が広がっていた。

しかし、その裏側で、最も経験値の高い投資家がリスク資産から距離を取り始めていたという事実は、決して軽視できるものではなかったはずだ。

加えて、83歳のジム・ロジャーズは、ドナルド・トランプに対して、いつまでも80歳の大統領が続くわけではないと懐疑的な見方を明確にしている。そして同時に「通貨安の日本は没落する」とも言い切っている。

この言葉は過激に聞こえるかもしれないが、円安によって実質購買力が削られ続けている現実を踏まえれば、決して軽視できるものではない。

1年後に代償を支払う側に回るのか

結局のところ、中国発展フォーラムに日本の重鎮がいなかったという事実は、小さな出来事ではない。それは、日本がどの位置に立ち、どの方向に進もうとしているのかを映し出す象徴である。

市場も外交も、最後に効いてくるのはこうした「見えない温度差」である。そして、その温度差は、やがて価格となり、為替となり、生活となって跳ね返ってくる。

市場はいつも先に安心する。だが、現実は後から請求書を突きつけてくる。その請求書は、株価ではなく、通貨で支払わされる。そして通貨で支払うということは、我々の生活そのもので支払うということに他ならない。

構造上、市場は常に少数派が勝利する。誰もが「もう二度と円高にならない」と口を揃えた瞬間に、相場は裏側から回り始める。そいうものだ。

だからこそ今、安心している側にいるのか、それとも1年後に代償を支払う側に回るのか。その分岐は、すでに静かに始まっている。

文/木戸次郎 写真/shutterstock

 

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