「僕よりも小さな子たちが闘ってる」骨肉腫になって自衛隊員の夢をあきらめた青年が病院で見つけた新たな使命、取材後に綴った家族への想い
「僕よりも小さな子たちが闘ってる」骨肉腫になって自衛隊員の夢をあきらめた青年が病院で見つけた新たな使命、取材後に綴った家族への想い

昨秋、骨肉腫(ステージ4)と診断されたひゅうがさん。陸上自衛隊の特殊部隊という夢をあきらめざるをえなかったが、『なぜ、自分だけが?』とは思わないと言う。

闘病生活を送る中で、18歳のひゅうがさんの胸に芽生えた新たな目標とは。

骨肉腫の青年が抱いた「陸上自衛隊の夢」

「実家の近くに陸上自衛隊の駐屯地があって。カッコいいなと思っていました」

と話す、ひゅうがさん。その気持ちのまま、中学卒業後は陸上自衛隊高等工科学校に進んだ。

「3年間の全寮制で、高校の普通科の授業に加え、自衛隊の専門的な勉強や訓練を受けていました。志望は、陸上自衛隊の第1空挺団でした」

第1空挺団は日本唯一のパラシュート部隊。有事の際には最前線で任務を行う。入隊には厳しい訓練や条件をクリアする必要があり、狭き門と言われている。

「中学から柔道を始め、高等工科学校でも柔道部に入りました。初段で黒帯です」

そんなひゅうがさんが左膝に痛みを感じたのは、高等工科学校3年の7月末。当初、整形外科での診断は筋肉損傷だった。

「8月には全国大会がありまして。いわゆるインターハイではなく、通信制や定時制の高校などに通う生徒のための全国大会(全国高等学校定時制通信制体育大会)なんですが、そこでもすごく膝が痛くて。

監督に『もうやめるか?』と言われましたが、最後の大会だったので、試合の合間に冷やしながら出場し続けました。団体戦は優勝、個人では65kg級で3位。やりきれたし、いい結果で終われたと思っています」

しかし、ズキズキと響く激しい痛みはおさまらない。大学病院で検査を受け、骨のがんである骨肉腫(ステージ4)と診断されたのは9月のことだった。

日本一の鬼監督への想い

「すぐに抗がん剤治療が始まり、入退院を繰り返しました。今の抗がん剤は副作用が少なく、自宅で過ごせています。以前は(抗がん剤の)副作用で吐き気や倦怠感があったり、食欲がなくなったり、口内炎だらけになったり、低血糖でぶっ倒れそうになったり。

脳症が出て、文字を見ていても脳がうまく処理できなかったり、左手に物を持って右手で作業していると、左手を放しちゃったりしたこともあったんですけど」

そんな治療期間の苦しさの中で思い出すのは、柔道部で過ごした日々。

「『日本一の鬼監督』のもと、本当にきつい練習を毎日やりすぎていたので。どんな内容か? それはちょっと言えないです(笑)。でも正直、あれ以上きついことはないだろうから、何があっても大丈夫だと思っていて。だから抗がん剤も乗り越えられています。

ただ、絶対バレないと思っていたのに、ある日、監督から『TikTok(※)見てるけど元気そうだね』というメッセージが届きまして……TikTok、ナメてました(笑)。

その後、たくさんの差し入れと一緒に、病院にお見舞いに来てくださって。監督はめちゃくちゃ怖いんですけど、めちゃくちゃ生徒思いなんですよね」(※『17歳で骨肉腫になって今これ』)

柔道によって強靭なメンタルを作り上げたひゅうがさんだが、夜になると気分が落ちることがあると話す。

「日中はドラマやアニメを観ながら過ごせるけど、夜って寝るために目をつぶらなきゃいけないじゃないですか。病室でふと『俺、何やっているんだろう?』と思うことはあります。『がんにならなかったら、どういう生活を送っていたんだろうな?』とはすごく思います」

誰かのために

本来であれば、同級生たちと同様、3月に高等工科学校を卒業し、4月からは晴れて自衛官になっているはずだった。

「卒業資格を得るには、体力試験に合格しなきゃいけなくて。今は片松葉杖で歩行をしている状態なので、合格することは難しい。……なので、あきらめました。

『なぜ、自分だけが?』とは思わないです。無駄なこと考えるのは嫌いなので。『じゃあ、次はどうしていこうか?』と考えるようにしています。だから、4月からは通信制の高校に通うことにしました。

やっぱり『高校卒業資格』は欲しいので」

第1空挺団で活躍するという夢を追えなくなった今、ひゅうがさんの目標はどこにあるのだろう? しばし熟考し、こう答えてくれた。

「社会貢献っていうか、家族孝行をしたいです。正直、骨肉腫の治療費は高額療養費制度に加え、小児慢性特定疾病医療費助成制度でかなり助かっているんです。

僕が入院するときは小児科病棟なんですが、ちっちゃな子たちが抗がん剤治療をしていて、もちろん髪の毛がなくて。そんな子が本当にいっぱいいるんです。僕よりもずっと小さな子たちが一生懸命闘ってる。骨肉腫にならなかったら、やっぱりわからなかった世界だったと思います。

だから次の世代で闘病する子たちに、僕が何かをやっていけたらいいなという思いはあります。社長になって、たくさん稼いで、たくさん税金を納めればいいのかな? まだよくわからないですけど、誰かのためになれたら」

平和を守るための自衛隊になりたかった青年は、絶望の先で画面の向こう側の人に、懸命に闘う子どもたちために、発信を続ける。彼が紡ぎ出す言葉のひとつひとつには「誰かのために」という想いが込められていた。

今回は保護者同席の取材だったため、その時には口にしづらかった『家族孝行』について後日、ひゅうがさんからメッセージが届いた。

《家族へ》

がんになってから、家族の存在の大きさを改めて感じています。

通院のたびに送り迎えをしてくれて、入院しているときも毎日のようにお見舞いに来てくれて、本当にありがとう。

家に帰ったときに美味しいご飯を作ってくれることも、何気ないことのようで、今はすごく支えになっています。

言葉ではなかなか伝えきれないけど、いつもそばで支えてくれていることに心から感謝しています。

これからも長い戦いになると思うけど、よろしくね。

(前編はこちら)

取材・文/池谷百合子

編集部おすすめ