「会社員を3か月で辞めた」“生きてる実感”を求めたヒルクライムTOC、名曲「春夏秋冬」誕生の裏側
「会社員を3か月で辞めた」“生きてる実感”を求めたヒルクライムTOC、名曲「春夏秋冬」誕生の裏側

今年で結成20周年を迎えたアーティストのHilcrhyme(以下、ヒルクライム)。2009年にリリースした『春夏秋冬』が、オリコンチャート6週連続TOP10入り、配信ダウンロードではミリオンを達成するなど大ヒットとなった。

現在もカラオケなどで歌い継がれる平成を代表する名曲はどのように生まれたのか。ヒルクライムのフロントマン・TOC(トク)にインタビューした。

大学卒業後はサラリーマンに…諦められなかった音楽への思い

ヒップホップをベースに、TOCの情緒あふれるリリックが特徴となっているヒルクライムの楽曲。TOCがヒップホップに魅了されたのは、地元・新潟県の大学に通っていた時のことだった。

「ヒップホップに目覚めて、ラップを始めたのは19歳のときでした。大学に入る前までは、剣道一筋でスポーツばかりの日々だったんですけど、高校卒業と同時にやる気が燃え尽きてしまって。

大学からは何か別のことに打ち込みたいなって、なんとなく考えていたちょうどそのときに、大学の学園祭のステージで先輩たちがラップを披露している姿に衝撃を受けたんです。

カッコよすぎて、先輩たちがスターみたいに輝いて見えて。そこから本格的に自分でラップをやり始めました」

最初は洋楽のヒップホップのビートに合わせてリリックを乗せる練習をするなど、ヒップホップのスキルを一から独学で身につけていったTOC。

しかし、音楽はあくまで趣味として割り切り、大学卒業後は建設会社に就職した。

「将来は安定した職に就きたいという思いがあったんです。音楽は本当に楽しかったけれども、仕事にするという考えは当時まだなくて、普通に就職活動をして建設会社に入社し、営業の仕事をすることになりました。

就職したはいいものの、次第にこの仕事は合わないかもしれないと、違和感を抱くようになっていったと同時に、音楽に対する思いが一気にあふれてきたんですよね。

大学生の時を振り返ってみて、やっぱり音楽をしていたときは、“生きている実感”を得られていた時間だったなと改めて感じたんです」

こうした葛藤について、大学時代からクラブでのライブ活動をともに行なっていた相方のDJ KATSUに相談したことが、結果的にヒルクライム結成へと繋がった。

「KATSUに音楽に対する自分の正直な気持ちを相談したところ、“TOCの実力だったら絶対いけると思うよ。もしお前が本気なら一緒にやろう”と言ってくれました。

このことがきっかけとなって、入社して3か月で会社員を辞め、音楽を本格的にやろうと決意したんです」

「メジャーデビューの1年前にはすでに出来上がっていたんです」

会社員を辞めてからは、アルバイトをしつつ、DJ KATSUと共同生活をしながら曲作りに励んだ。

そして地元新潟でのライブやデモテープ配布など、地道な音楽活動を続けてインディーズでの人気を着々と高めていき、2006年にDJ KATSUとヒルクライムを結成。

その後多数のレコード会社からメジャーデビューのオファーを受けた。

「実は『春夏秋冬』はメジャーデビューの1年前にはすでに出来上がっていたんです。この曲はラップ歴9年目になる当時の自分の集大成として、かなり納得のいく自信作でした。周りの人たちにも聴いてもらったところ、“いい曲だし絶対売れるよ”という反応でしたね。

メジャーでも十分に戦える曲だと思ったので、複数のメジャーデビューのオファーのなかで、一番いい条件を提示してくれたレコード会社にだけデモを渡そうと決めていました。

そのため最初は『春夏秋冬』の存在を隠して各レコード会社と話し合いをしていたんです」

そんな“秘蔵の自信作”『春夏秋冬』は、どのようにして生まれたのか。

「当時アルバイト先だったバーが、夕方6時から朝の6時までやっていたんですけど、1人で閉店作業をしてから、朝がた店の中で一人でPCを開いて歌詞を書き上げました。

春夏秋冬というタイトルですけど、四季の風景を見ながら歌詞を思いついたとかじゃないんですよ(笑)。

歌詞はまずサビから作成したんですが、サビは8小節で構成されるんです。

はじめに“今年の春はどこに行こうか”というフレーズを思いついて1小節が完成し、春に続くものといえば夏なので、次に夏で1小節を作り……といった感じで、結果的に季節を歌った曲になったため、タイトルを後付けで『春夏秋冬』にしました」

そして熱烈なオファーを受けた現在のレコード会社のユニバーサルミュージックとメジャー契約。

2009年7月にインディーズ時代の人気曲だった『純也と真菜実』を“ヒルクライムの名刺代わり”となるファーストシングルでリリースし、その後セカンドシングルで『春夏秋冬』をリリース。

この流れは、セカンドの『春夏秋冬』のヒットを見込んでのリリース戦略だった。『春夏秋冬』ヒット時の心境についてTOCはこう語る。

「最初に自分らがテレビで取り上げられたのが、朝のニュース番組『めざましテレビ』でした。出演情報を事前に親に伝えていたのですが、番組を見てやっと親は僕のことを認めてくれたというか……ホッとしたようです。

自分自身もアルバイト生活から抜け出せたことが純粋に嬉しかったですし、安定した道のはずだった会社員を辞めてしまったけれども、その決断は間違っていなかったんだと改めて実感しました」

『春夏秋冬』に対するプレッシャーとソロデビューのワケ

ヒット曲を一度世に放つと、次のリリース曲によってそのアーティストの評価が問われるということは、多くのミュージシャンたちにとっての“定め”とも言える。

俗に言う“一発屋”になることに対するプレッシャーはヒルクライムも経験していた。

「3rdシングルはインディーズ時代の人気曲だった『もうバイバイ』をリリースし、その後に『春夏秋冬』を含めたメジャーで初のアルバム『リサイタル』を出しました。

ここまでは売れる見込みがあって、ヒットは確約されていたようなものでしたが、この後の4thシングルが問題でした。

プレッシャーはもちろん感じていましたが、KATSUが当時作成したトラックを聞いてみたら、すごく気に入って感動したので、これはいい曲にしたいなと思って。

そのトラックに僕がメモ帳にたまたま記していた“俺が大丈夫って言えば、君はきっと大丈夫で”というフレーズを当てはめてみたらピッタリで、最終的にすごくいい仕上がりになったんです。

こうして『大丈夫』という曲が生まれ、結果好成績を収められました。

曲の人気投票でも1位となったくらい今でもファンたちから愛されていますし、毎回ライブの最後にも歌う思い入れのある曲ですね」

さらに2013年には、TOC(ティーオーシー)名義でソロデビューも果たす。ヒルクライムとの活動とは別に、ソロ活動を始めた経緯についてTOCはこう話す。

「ヒルクライムはヒップホップをベースにしつつも、より“大衆性”を意識した曲作りをしていました。でも自分のなかで、もっとエッジが効いていて、テクニカルな本来のヒップホップの形も追い求めていきたいという思いもあって。

そこでヒルクライムの世界観を崩さないためにも、自分がやりたい方向性はソロで表現することにしたんです。

ヒルクライムの活動もやりがいがあって楽しかったですが、ヒルクライムではできないことをソロで表現するのが、自分のなかでいい意味で“ガス抜き”になっていて、より楽しく音楽を続けられましたね」

〈後編へつづく『相方の逮捕、活動休止…結成20周年のヒルクライムTOCが語る“それでも解散しなかった理由”』

取材・文/瑠璃光丸凪(A4studio) 撮影/立松尚積

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