「生きるために死を受け入れる」膵臓がんステージ4の男性が、5年越しの妻へのプロポーズに込めた想いともう一つのサプライズ
「生きるために死を受け入れる」膵臓がんステージ4の男性が、5年越しの妻へのプロポーズに込めた想いともう一つのサプライズ

広島在住、29歳の男性・福積光一郎さん。妻と息子、そして妻のお腹には新しい命が宿り、多忙ながらも幸せな生活を送っていた。

そんな彼の身体に異変が起こり始めたのは2025年の夏。食欲不振、睡眠障害、倦怠感――、不調が重なった10月に診断された病名は「膵臓がん」ステージ4だった。「5年生存率は約1.2%」……それでも彼はあきらめない。

死の恐怖よりも罪悪感

「最初、『がん』って言われた時、いまひとつ、ピンとこなかったんです。でも、『膵臓が原発(がん細胞が最初に発生した臓器)』って分かって調べてみると、『生き続けるのが難しいがん』と知った。まず、何よりも、死ぬことが怖くなりました」

「膵臓がん」と診断された当時の思いを、福積さんは振り返る。一度眠ったら、もう目覚められないのではないか。家族と語らう朝を、もう二度と迎えられないのではないか。

息子はまだ4歳。そのうえ、妻のお腹には、2026年5~6月に産まれる予定の赤ちゃんが宿っている。

「次の赤ちゃんに会えないかも知れない。結婚して5年、一番幸せな時期に『死にます』だなんて、妻に申し訳ない。自分の中ではすぐに、死の恐怖よりも罪悪感が上回ってきました。

今でも、その気持ちの方が大きいです」

最初の兆候は、食欲不振だった。IT関連の会社員の福積さんは、北海道から沖縄まで出張で駆け回り、多忙な日々を過ごしていた。もともと食べることが大好きだった福積さんが、2025年6月のある日、出張先の北海道で異変に気づく。1日でおにぎり1個、パン1個しか食べていない。

「お? これダイエットチャンスじゃね? なんて呑気なことを考えてました。でも、そこから7月中旬まで食欲が湧くことはなくて。9月末に、食欲不振に加えて倦怠感。さらには睡眠障害が始まりました。『ストレスのせいだ、出張が終われば元気になる』ぐらいにしか思っていなかったのですが、その後、動けなくなるくらいの腰痛に襲われて」

ズキズキというよりもガンガンというような痛みだった。病院へ駆け込むと、診断されたのは「膵臓がんステージ4」。その瞬間から、苛酷な治療生活が始まった。

「もしも僕一人っきりだったなら、“治療しない”という選択をしたかも知れない」と彼は言う。

でも、今の自分には、妻や子ども、家族がいる。彼らに支えられている自分にとって、「病に勝たない」という選択肢はなかった。

「家族のために生きたい。家族のためなら、このつらい治療を全部耐えられる。抗がん剤はつらいけど、それでも、頑張れる。僕が生きる理由は家族の存在です」

「生きるために死ぬことを受け入れる」

彼の綴る「note」には、「私なりの癌との向き合い方」というタイトルの文章がある。その中に、こんな言葉が綴られている。

《生きるために死ぬことを受け入れる》

一見すると矛盾するような言葉だが、福積さんは、その言葉に込めた思いについて、こう話した。

「日々、がんと闘っていく中で、どうしても根底として、死ぬのが怖い。まだもっと生きる予定だった。周りは誰も死んでいない。でも、その怖さを乗り越えるために大切なのは、『受け入れること』なんじゃないかなと僕は思うんです。『怖い、怖い、怖い! 死ぬの怖い、死ぬの怖い!』って、ずっと縮こまって生きるのでは、家族のために闘えないなと」

死ぬ時は、死ぬ。

だったら、今この瞬間、前向きに明るく闘う。怖さを乗り越えるために、死を受け入れることを選んだ。しかし、死生観を語る福積さんの表情は決して暗くない。広島弁に持ち前の愛嬌を添えて笑う。

彼が笑って生きる理由。インタビュー中に何度も「家族の存在」に救われていると語る福積さん。妻、息子の「青空(そら)」くん、愛犬の「ハナビ」、そして今度産まれてくる赤ちゃん。家族の話を優しい声色で話す福積さんに赤ちゃんの話を聞くと、すでに名前も決めているという。

「もともと、青空(そら)とハナビ、どちらも“空”にまつわるので、赤ちゃんも空に関係するような名前を…とは思っていました。

僕の、この生きる、この暗い夜空に光っとる目印じゃないですけど、僕を導いてくれるような、そんな意味を込めて星奈(せな)っていう名前にしようかなと。がんという真っ暗な世界で輝いてくれる星のように」

絞り出すようにゆっくりと福積さんは続けた。

「会いたいし、抱っこしたいし、誕生日もずっと祝っていきたいし、小学校の入学式も卒業式も見たい。

まだまだいろんなことをしてあげたい」

子どもたちにできることを全て尽くしたい。父親として、どのような背中を見せたいか――、そう問いかけると、こう答えた。

「僕が痛みでうめいていたりすると、息子は不安そうな顔を浮かべるんですね。妻と僕が急遽病院に行くことになった時、『ママ、病院に行って、おらんようなったりせんとってね』って。

そういうのを見ると、かっこいいパパじゃなくて、ずっと一緒に居てあげられる、何でもないパパになってあげたい。他の家庭と変わらない、普通の、何事もないパパで」

5年越しのプロポーズ

先に挙げた福積さんの「note」には、「死ぬまでにやりたいことリスト」というものが綴られている。その中で、筆頭に掲げたのが、妻へのプロポーズだ。福積さんは照れくさそうに明かす。

「きちんとした言葉も送らずに始まった結婚生活で、流れ結婚みたいな感じだったので、妻から“プロポーズを受けてない”と言われた時に“あちゃー”って感じでしたね(笑)」

そうして、2025年11月25日、抗がん剤による副作用と闘いながらも、二人は広島の街を見晴るかすグランドプリンスホテル22階のレストランへ向かった。当時の心境を改めて聞くと――。

「もちろん『愛しています』という想いを伝えたんですけども、それよりも『絶対に一緒に生きていくよ』って伝えたかった。『絶対にがんに勝つし、死なないからね』って伝えたかったんですね」

プロポーズの言葉の中に、「今後、一生守るよ」という言葉を盛り込んでよいのか。

厳しい生存率を突きつけられた自分が口にしてもよいのか。その逡巡する気持ちの中で彼が送った5年越しのプロポーズは何よりも真心からのものであったに違いない。

そんな福積さんから妻へ送るもう一つのサプライズ。インタビュー取材後に彼が妻へ綴ったことを記す。

《真奈美さん! 僕は今まで何度も、あなたの明るい笑顔に助けられてきました! 助けられてばっかりです。そして今回もまた、助けてもらってます。

がんの怖さはあなたの笑顔で乗り越えられましたよ! 最後は、「がん、倒したぞ!」って最高の笑顔を、僕から送るからね! それまでもう少し待っててね。

いつもありがとう。愛してます!》

今日も、明日も、1歩ずつ。福積さんの「奇跡」への歩みは、家族と共に続いていく――。

取材・文/加賀直樹

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