
「僕の起点となった大会だった」。東京2025世界陸上が13日に開幕する。
開幕まで10日に迫った今月3日、山崎は1991年の東京世界選手権をともに戦った有森裕子、山下佐知子らと東京スカイツリーの点灯式に出席。日本陸上のシンボルカラー“サンライズレッド”に染まったスカイツリーを背に、「国立競技場をこの色で染めたい。満員のスタンドから、この色のユニフォームを着て躍動する姿を見ていただけると思います」と力強く語った。
“ファイナリスト”髙野進が語る東京世界陸上…「日本陸上が新しい時代に入った」91年の記憶と今大会への期待
1991年の東京大会で受けた衝撃はいまも鮮明だ。当時大学2年生、20歳だった山崎は自らを「陸上オタク」と振り返る。「半分観客、半分ファンみたいな感じで出られちゃったというのが正直なところ」。「カール・ルイスと髙野(進)さん。この2人が僕のスーパースターだった」と語った。憧れの存在と同じ舞台に立ちながら、山崎は予選敗退に終わった。一方で髙野は見事7位入賞を果たし、日本人でも世界の決勝で戦えることを示した。
「髙野さんは“ファイナリスト”という言葉を日本に広めました。有名な選手ばかりの中で、ちゃんと勝負できる人がいるんだ、日本人でも決勝に残れるんだという衝撃でした。僕にとっては始まりの大会で、本当に印象に残っています」
その後、山崎は1995年にスウェーデンのイエテボリで開催された世界選手権で、日本人として初めて男子400mハードルのファイナルに進出。7位入賞を果たした。その飛躍の背景には、1991年大会で髙野が残した足跡と、その大きな影響が確かにあった。
20歳で目の当たりにした勝負の世界。その光景を、山崎は“日本の未来”を担う選手たちにも感じてほしいと願う。高校生組の久保凛(17)、清水空跳(16)についても「楽しみたい、半分そんな気持ちでもいいと思います」としつつ、「ただ、やっぱり上は見てほしい。応援してくれる声に真っすぐ向き合い、厳しい声からも逃げずに全力で勝負してほしい」と優しく背中を押した。
山崎もそうだったように、久保や清水ら若手の挑戦は、日本陸上のさらなる発展につながるはずだ。山崎はチームの姿勢の変化にも言及。「昔はできるだけ多くの競技に参加することが編成の方針だったが、今はできるだけ多くのメダルを目指す形で組めるようになった」と語り、日本陸上の進化を実感している。
自国開催となる今大会、国民の期待は必然的にメダル獲得へと向かう。山崎も「優勝やメダル、入賞を狙えるチーム編成になった」と強調し、表彰台に立つ選手たちの姿を思い描く。「すごく頼もしい選手たちが集まってくれた。彼らが全力で戦えるよう、できる限りサポートしていきたい」。34年前と同じように、山崎の目は情熱を秘めて輝いていた。
▼日本陸上競技連盟(JAAF)特設サイト
https://www.jaaf.or.jp/wch/tokyo2025/
▼東京2025世界陸上公式サイト
https://worldathletics.org/jp/competitions/world-athletics-championships/tokyo25
取材・文:成田敏彬(SPORTS BULL編集部)