キース・ハドスン
キース・ハドスンのプロフィール
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読み方
(きーす・はどすん/Keith Hudson)
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ニックネーム
キース・ハドソン, Dark Prince of Reggae
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出身地
ジャマイカ
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没年月日
1984年11月14日
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職業・ジャンル
音楽プロデューサー, ミュージシャン
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略歴
70年代初頭からホレス・アンディなどのプロデュースを手がけ、その後自身もパフォーマーに転身。1974年『Flesh of My Skin Blood of My Blood』は、レゲエ初のコンセプト・アルバムといわれる。1984年ガンにより死去。
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トリビア
もともとはジャマイカのゲットーで歯科医として働いていた。その後、音楽への道へ進み、知名度こそ低いがリー・ペリーやキング・タビーなどと並び、ダブ創始者のひとりとして評される。1974年発表のセカンド・アルバム『Flesh of My Skin Blood of My Blood』は、黒人の歴史をモチーフにした、レゲエ初のコンセプト・アルバムとされる。ボブ・ディラン「I Shall Be Released」のカバーも収録。70年代後半は、彼の音楽が正当な評価を受けず、ヴァージンと契約を結ぶなど転機を睨んだが失敗。その後不運な時期が続いた。1984年、42才の若さで死去。限られたリリース作品は入手が難しく、高値がつけられている。