実は今回、「半ズボンは股下2~3センチなのに、なぜ“半”なのか」っていう疑問で、半ズボンのことを調べていた。あの丈の短さは、どう考えたって“半”なんてもんじゃない。
どうして、あの短さに半という単語があてられたんだろうかと。

調べてみて、僕の常識が間違ってたことに気づいた。
もともと半ズボンは、文字通り、丈が半分だったことを僕は知らなかった。

文化服装学院の朝日真先生に、話を伺った。
「今日では股下2~3センチのズボンも含めて半ズボンと呼んでいますが、この言葉が生まれた明治時代には、足首まであるものを長ズボンとし、膝までのズボンを長ズボンの半分の丈のズボン、つまり半ズボンと呼ぶようになったかと推測されます」

日本でひざ丈の半ズボンは、日清戦争(明治28年)の戦勝ブームの中で流行したとされる。欧米での流行を取り入れた形で、半ズボンの上はセーラー服。
この服装は皇族をはじめとする上層階級の子供たちが始め、のちに半ズボンは、さまざまな洋服と組み合わされ、庶民にも広まっていった。

丈が股下2~3センチ程度になったのは、1950年代の百貨店の子供服キャンペーンあたりとされる。新宿伊勢丹では、1954年7月に子供既製服の実演即売会、1955年10月に世界22か国の子供の民族衣装をオリジナル人形に着せる「世界の子供服衣装博覧会」が、それぞれ大成功を収めた。

ちなみに当時、海外ではすでに股下の短い半ズボンが普通だったようだ。1958年の朝日新聞の記事に、イタリア帰りの服飾研究者の話が書かれていた。
“(ローマの)男の子の半ズボンはみんな短く、きりっとしていて、日本のようにひざまであるような丈のものは全然はかしていません。
きいてみると、男の子は長ズボンをはかせるまでに、足の皮膚を丈夫にするためだということです”

こうして、デザインの新しさやかわいらしさなどから、丈が極めて短い半ズボンは、ファッション感度の高い家庭で買われるようになり、のちに多くの家庭に浸透していった。学校でも体を強くするなどの目的から、制服や体操着で採用され、半ズボンといえば丈が短いイメージが定着したようだ。

そして約30年後、股下の長さはまたひざ丈に戻り始める。
きっかけは1980年代後半のバブル期、日本に上陸したDCブランドが子供服で発表した、股下の長い半ズボンとされる。やっぱりまずは、ファッション感度の高い親の間で広まった。決定打は、Jリーグブームや、スラムダンクによるバスケットボールブーム、さらに子どものトランクス派の増加、ハーフパンツの大量販売など。
1993年あたりに一気に、全国の子どもの半ズボンが、股下の長いものに変わっていった。というか戻っていった。

つまり半ズボンの股下の丈が短かったのは、1960年~1990年前後の約30年間だけ。その間に小学生だった僕は「半ズボンは股下2~3センチなのに、なぜ“半”なのか」って疑問に思ったけど、あの半ズボンは、長いファッションの歴史の中では一時的な「半ズボンのトレンド」だったのかもしれない。

あまり知られていない、半ズボンの丈の歴史。
半ズボンの丈って本来、今くらいの長さのものだったみたいです。

(イチカワ)