「女性が子供を相手にするのに適しているのは、女性自身が子供っぽくて愚かだからである」と言い放ち、以来、「女の敵」となった哲学者がいた。それは19世紀のドイツ哲学者、アルトゥア・ショーペンハウアーである。
彼は女性に対する厳しい言葉をほかにもたくさん書いているのでそれらを紹介するとともに、現代の女性たちの感想を聞いてみた。

問題の彼の著作は、「パレルガ・ウント・パラリポメナ」というエッセー風の哲学書の中にある「女について」の章で語られている部分。その前段部で強烈な一撃を放つ。
「我々の子供のころの養育者、教育者として女性がまさに適しているのは、女性自身が子供っぽくて、愚かで、浅墓で、一生大きな子供だからである。つまり、本来の人間というよりも子供と男の間にある中間段階の種なのである。我々大人が子供と一緒に一日中戯れ、踊り回り、歌っている少女を観察したとき、男性が努力によってその少女の役割ができると考えるだろうか」

男女平等社会を建前とする現代で、このようなことを言った途端、女性蔑視、男尊女卑と思われるだろう。
実際、数人の女性にショーペンハウアーを読み聞かせたところ、
「ひどーい(怒)!」
「母性本能よ!」
「子供と接するのが好きだからじゃないの?」
などの反論が出た。母性が果たして本能かどうかは疑わしいが、子供と接するのが好きなのは確かに保育士に女性が多いのを見ると頷ける。ではなぜ子供と接するのが好きなのか。それはやはりショーペンハウアーが言うように「女性自身が子供っぽいから」であろう。

私は日ごろ女性と接していて、うまく立ち回って得をする生き方が得意というイメージが浮かぶのだが、ショーペンハウアーはそれを「女性の偽る力」であると断じる。
「獅子には引き裂く鉤爪と歯を、象には突き刺す牙を、猪には噛み付く牙を、雄牛には角を、イカには海水を濁らす墨を、そのように自然は女性に防衛のための偽装術を備えさせた。
すなわち自然は男性に与えた体力的強さや理性のすべての力に値するものを、天分として女性に与えたのだ」

これに対してはほぼ肯定的だった。
「確かに男性の前で自分を変えるのは得意ね」
「男性がいると普段とは別人になって、ブリブリしてる子多いよ」
「ウソつくってことでしょ。年齢詐称とか、1~2歳は許容範囲じゃない」
男性も嘘をつく。だが、女性は罪の意識を感じていないかのように平然と嘘をついているように思う。まるで化粧をするかのように……

それから女性の悪い点として目に付くのが見栄っぱりと浪費だ。
「女性の虚栄心は、男性のそれより大きくないときでも、まったく物質的なもの、つまり彼女たちを美しくするもの、つぎに豪華、華美、壮麗なものへと向かう悪い性質がある。
ゆえに、社交もまたまさしくその一要素である。虚栄心は同時に彼女らの卑しい理性にもよるが、浪費へと傾く」

「服とか衝動買いしちゃうよね~」
「女の子同士、競争してる感じあるからね」
「だってデパート行ったら女性用売り場ばっかじゃん。これは買わねば!」
言われてみればデパート、商店街、大通りなどを見渡すと、それらは女性の浪費癖、衝動買いを狙っているように成り立っていると思えなくもない。

以上紹介したのは全体のほんの一部分だが、ショーペンハウアーは本当に女の敵だろうか。最後もやはり彼の言葉で締めくくろうと思う。
「男性同士の間では自然状態ではまったく無関心だが、女性同士というものは自然ともうライバル心が存在している」
(羽石竜示)

※文献
「女について」(ショーペンハウアー著、石井正、石井立訳、角川文庫)
・「Arthur Schopenhauer Parerga und Paralipomena II」 Saemtliche Werke Band V/2 Suhrkamp Taschenbuch Wissenschaft