■大不況のアイルランドから東京へ
新潟に約3年滞在した後、再びアイルランドに帰国した。アイルランドはこの時、経済破綻するよりは前だったが、すでに深刻な不況に見舞われ失業者が急ペースで増加していた。
「帰ってからは、少しゆっくりしたいと思っていた。それで、アルバイトをしながら大学院に通ったんだ。今まで日本にいて考えていたことを何か形にしたいと思っていたからね。あのときは新潟にいたときに出会った寺山修司の作品を題材に比較文学の論文を書いていたんだ」
そうしているうちに国の経済は破綻。失業者があふれ、仕事を得るために国を出る人も多かったという。フィルさんの友人にもアメリカやスイス、オーストラリアなどに行った人が珍しくなかった。海外へ滞在するためのビザ発給のため、また失業手当や生活保護をもらうため、関係する機関の窓口に行列ができている光景を目にすることもあった。
修士号を得てからは、フィルさんはフリーランスで翻訳や通訳などの仕事をしていた。不況の影響はもちろんあったが、幸運にも一人でやっていけるくらいの仕事はあった。
「失業保険をもらっていた時期もあったけど、その後は自分で生計を立てることができていたし、プライベートも充実していたんだ。案外悪くない毎日だったよ」
だが一方で、ずっと暮らしてきたアイルランドにマンネリを感じていたのも事実だった。さらに、日本にもう一度行きたいという思いが、前からくすぶっていたのだ。
「新潟で仕事をしてみて、日本で働くことに実感を持てたというのもあるし、東京なら仕事を得る機会がずっと多いだろうと考えていた。もちろん不安はあったけどね。仕事のこともそうだけど、親しい友達や家族と離れるのはやっぱり辛いだろうと思っていたから」
■東京での孤独感と居場所の発見
アイルランドに戻ってから4年後、ついにまた日本にやってきた。今度は東京へ。東京のような規模の大都市に住むのはフィルさんにとって初めての経験だった。期待をこめてやってきたが、最初に住んだ場所では、人と関わる場所がほとんどなく、友達も増えず疎外感を強く感じていたと言う。フリーランスの仕事をしていたため一人で作業することが多かったことも孤独感を強めた。
ところがその後、研究機関で翻訳と編集の仕事をすることになり、東京の北東部にある下町エリアに引っ越して状況は変わった。
「人に温かみがあってフレンドリーだし、今まで日本で住んだ場所の中でも一番自分に合っているよ。
■東京に住んでみてわかったこと
東京に住んで3年目になるフィルさんに現在の生活についてたずねた。
「東京は、何をするにも選択の幅が広いよ。何かやっていても飽きたら、すぐ違うことができる。たとえば自分の場合は、音楽が好きだからレコード屋めぐりが楽しいね。何軒も店を回って、聴ききれない程のレコードを買ってしまうときもあるくらいだよ」
住んでいれば、見えてくるのは良いところだけではない。
「満員電車はやっぱり嫌だな。
■「日本」という場所と自分の“これから”
これまでを振り返り、日本に来たことがとてもポジティブな経験となったとフィルさんは話す。
「楽しいこととか刺激的なことだけじゃなく、大変な時期とか辛いこともあったよ。やっぱり知らない国で最初から生活を成り立たせるのには苦労した。そういう経験の中で立ち直るのはかなり早くなったね。住む場所がいかに大事かということもわかった。他にも、辛いと思っていた時期をなんとかやってきたことが実は人生の重要なレッスンだったんだ、と思えることがいくつもあったよ。日本にきていなかったら考えもしなかっただろうね」
下町エリアに住んで、この先も長期で日本に住んでいくイメージをもてるようになった。
「これからは、もっと日本語を勉強したい。
インタビュー・文・訳/エキサイトニュース編集部 萩原