池上彰氏(以下池上さん)はテレビでいつも私たちが「明日からすぐ使える」役立つ知識を教えてくれる。
しかし、「池上彰の教養のススメ 東京工業大学リベラルアーツセンター篇」(著:池上彰/日経BP社)を読むと、本来の池上さんは「すぐ使える知識」よりもむしろ「すぐには使えない知識」の方が大事であると考えていることが分かる。

では、すぐに使えない知識とはなんだろう。それは「教養」であると池上さんは語る。
教養というと、哲学、歴史、宗教などが挙げられる。これらは普段、池上さんがテレビで解説する「なぜイスラム国は生まれたのか」などといった知識と比べると実用的ではないし、なにしろ答えが必ずしも決まっていない抽象的なものも多い。

【教養は最強の武器】


そんな無駄な知識にも思えるような教養を、法律学や経営学のような実学よりも大事だと語る理由はどこにあるのだろう。
池上さんはこう語る。「すぐに役立つものはすぐに役立たなくなる。」
教養を学べば、自ら問題設定して新しい解を探すことができるようになるが、教養を身に付けていないと枠の中だけで生きる融通が利かない人間になってしまうというのだ。

具体的な例を挙げると、古代史から現代史までの歴史を学べば人間の創ったルールや制度がいかに崩れるか分かるため、ルールそのものを疑えるようになる。
また、ギリシャ哲学には人間の様々な思考や心理が織り込まれているため、これを学ぶと企業などでの難しい交渉で役立つ。

【日本停滞の原因は?】


しかし、日本人は教養を学ぶ機会が少ない。このことが近年、ソニーなどの日本企業が海外の企業に押されている原因であると池上さんは考える。日本企業はこれまで既存のルールの中で優れたモノを作るのが上手であった。しかし、最近ではIT化やグローバル化の波で既存のルールそのものが崩壊してしまった。そのようなルールという枠組みがない場所では教養が足りていない日本企業は、ルールを自ら創ることができず苦戦していると語っている。


また、日本にはたとえ合理的な選択をしても、教養が足りていなかったために不合理になってしまったケースが見られる。
例えば、筑波の研究学園都市計画。これは現在の筑波大などを移転する際の計画である。この計画は作り自体はとても合理的で洗練されたものだった。しかし、"洗練されすぎていた"ために、人気がなくなり自殺者が多く出てしまったらしい。これについて、稀代の教養人で「セゾン文化」の生みの親、堤清二は「都市というものは路地裏のような非合理的なものがないと人が寄り付かない」と語っている。

さらに、ライブドアによるフジテレビ買収失敗も教養が足りずに失敗した一例だ。企業のM&A上はとても合理的なホリエモンらしい判断であったが、フジテレビ社員や経営陣の心情という非合理的な側面をまったく無視したために反感を買い、結果として失敗してしまった。

【アメリカが新たな市場を創れる理由】


その一方でアメリカはAppleなどを中心に新市場を開拓し続けている。なかなか思うようにいかない日本との違いはなんだろうか。
アメリカの新市場を開拓の能力には、やはり教養の力が生きている。
これはいったいどういうことだろう。
というものアメリカは、日本と比べものにならないほど教養を学んでいるのだ。この傾向は1流と呼ばれる大学ほど顕著で、大学の4年間を丸ごと教養科目に費やす大学もあるほどだ。(この大学はヒラリークリントンの母校としても知られる。)
たとえば、超1流大学のMITでも理系の学生が音楽を履修するなど、どの大学も「最先端の知識はすぐに古くなる」という認識を抱いている。これは、法律や経営理論など「すぐに役立つ」実学を増やして学ぼうとしている日本の大学とは真逆であることが分かる。

だが実際、本当に教養を学ぶことが新市場開拓に生きるのだろうか。

ひとつ象徴的な例がある。iPhoneやMacBookなど数々のイノベーションを起こしてきたジョブズ。その彼がこのような革新的商品を生み出すことができた背景にも教養が大きな役割を果たしている。
というものジョブズは大学時代、カリグラフィーという学問に熱中した。カリグラフィーというのは西洋や東洋などで文字を美しく見せるための手法である。ジョブズはITとはまったく関係ないように思えるこの学問に熱中したからこそ、文字のデザインの良さが他メーカーと比べ群を抜いているiMacを生み出すことができた。
後にジョブズは、「点(カリグラフィー)と点(コンピューター)が繋がって線になった」と語っている。

このように学べば非常に大きな武器となる教養。一見無駄なことに見えても学べば、自分の血となり肉となり必ず役立つ機会が訪れるだろう。ぜひ、書店で自分とは今まで無縁だった哲学や歴史などの本を手にとってみてはいかかだろうか。
(さのゆう)