■曾祖父、徳川慶喜公の面影が残る紳士

 茨城県ひたちなか市にあるジャズバー、「サムシング」に待ち合わせ時間ちょうどに現れた、小柄な中年の紳士。写真で見た慶喜公の面影がどことなく思い浮かぶ、柔らかで優しい顔つきが印象的です。
この方こそ、徳川慶喜公直系の子孫であり、徳川慶喜家第4代目当主の徳川慶朝(よしとも)さん。家康公の子孫であり、慶喜公の曾孫に当たります。

 20年間東京の広告制作会社のカメラマンとして活躍後、フリーランスとなり、今は茨城県在住。世が世なら第18代将軍?という、慶朝さんの生活を伺いました。


―この店は行きつけですか?

「はい。週に2~3回はここでジャズを聴いて、お酒を飲んでいますね。
ウイスキーのボトルのタグにも『将軍さま』ってあるでしょう(笑)。数年前まで東京都内のマンションに住んでいましたが、茨城県に引っ越してきました。」

―徳川家に縁が深いから茨城なのですか?

「いいえ、水戸藩だったというのはたまたまです。一番の目的は自分で焙煎している『徳川将軍珈琲』の仕事に専念するため。茨城にあるサザコーヒーで『徳川将軍珈琲』を販売させてもらっています。それまでは東京から通っていたのですが、やはり近くの方がいいですし、仕事を通して仲間もでき、土地柄も気に入ったので。元々私は筋金入りのコーヒー好きで、昔から色々な種類のコーヒー豆を買ってきて、飲み比べていました。
コーヒー店に通いつめて、焙煎の様子をじっくり観察したりもして。興味を持ったらとことん凝るところは、慶喜公と似ているかもしれません。行きつけの喫茶店の方に焙煎からネイルドリップまで教えてもらったりしました。その後サザコーヒーの経営者の方と出会って、自分で焙煎したコーヒーを販売させてもらえることになったのです。」

―カメラマンのお仕事は?

「もう自分で写真を撮ることは少なくて、昔の写真を貸し出したり、写真コンテストの審査員をしたりしています。今はコーヒーに専念して、悠々自適な暮らしをしています。実は将軍珈琲はかなりの人気商品なんですよ。」

■「もし将軍になっていたら速攻で大政奉還していた」

―曾祖父の慶喜公とお会いになったことは?

「慶喜公は大正2年に亡くなられているので、会ったことはありません。
亡くなった伯母の高松宮喜久子妃殿下は、慶喜公に抱かれている写真があります。」

―世が世なら将軍様ですが。

「もしまだ江戸時代が続いていて、将軍になってしまったら。慶喜公のように、私は速攻で大政奉還していたでしょうね(笑)。政治や権力に全然興味がないんです。全国民の責任を負うのは大変だし、将軍は始終誰かに監視されて、食べ物も毒味が終わった冷めたものしか食べられません。それよりは、今の自由な生活の方がずっといい。」

―徳川家の資産はどのくらい相続しているのですか?

「父は徳川家、母は会津松平家出身で、2人とも裕福な家庭に育ちました。
しかし私が生まれた時点では徳川家の資産なんてほとんど残ってなくて、私はただの庶民。ずっと一般的なサラリーマンでした。何も知らない人には、相続した莫大な財産があると思われたりもしますが…。あと徳川埋蔵金などとテレビで放送されたりしますが、そんなものはないと思います。

江戸時代に慶喜公は将軍という日本で最も高い地位にいたため、明治新政府にそっくり資産を取られてしまいました。かえって地方の大名の方が、財産がそのまま残って、子孫は今でも資産家だったりします。
慶喜公は明治になってから公爵の地位を与えられ、東京・小石川の小日向第六天町に3000坪ほどの屋敷がありました。しかしそれも戦後、莫大な税金を課せられて手離すしかありませんでした。」

―そのお屋敷に住んだことは?

「私はありませんが、両親はそこに住んでいました。母は小さい頃からずっとお姫様のように育てられて、料理もしたことがなかった。だから戦後に小石川の屋敷を出た後は、かなり苦労していました。自分で家事をするようになったのもそれからですから。でも、元々資産家だったのが没落していくより、生まれた時点で普通だった方が幸せではないでしょうか。
私は普通の庶民に生まれて良かったと思っています。」

■薪を割り、かまどでご飯を炊く生活

―食にはかなりこだわりがあるそうですが。

「はい、自分で料理をすることも多いですよ。朝ご飯は毎日自分で作っていますし。今の家には玄関を入ってすぐの場所にかまどがあって、薪で火をつけてご飯を炊いています。家を建てる時にシステムキッチンは撤去してもらって、かまどと煙突をつけてもらいました。かまどで炊くご飯は本当に美味しいですよ。朝ご飯のおかずは、松花堂弁当のような9つの仕切りがある漆の器を買ってきて、そこに9種類入れて食べています。味噌汁とご飯は別で。贅沢な気持ちになれるし、その方が楽しいでしょ。

独身で1人暮らしが長いので、家事は何でも自分でできます。今の生活は気楽で、何も不自由なことはありませんし、寂しくもないです。もし今後、生涯一緒にいたいと思えるような女性に出会えば、変わるかもしれませんが…。

将軍は周囲の人に常に見られながら食事をしていましたが、私は作るのも食べるのも1人。もしいきなり倒れても誰にも騒がれないし、そう考えると江戸時代から随分時間が経ったんだなぁとは思いますね。」

■「徳川将軍珈琲」でモンドセレクション金賞を狙う!?

―旅行にはよく行くのですか?

「旅が好きで、昔から国内旅行には行っていました。海外に行き出したのは3年ほど前から。今まで訪れたのはイギリス、フランスのパリ、アメリカ西海岸やNY、ハワイなど。ほとんど1人旅です。私は英語は全然話せませんが、現地に行けばいつも何とかなりました。

飛行機は全部ファーストクラス。資産家ではプライベートジェットで移動している人もいますが、エアラインのファーストクラスの方がずっと居心地が良いし、私はこちらの方が好きですね。往復200万円くらいかかりますが、ファーストクラスの世界一周切符もあって、それは100万円くらいでお得です。今後旅行するならそういうのを利用するのもいいなと。

イギリスではロンドンの高級老舗ホテル、クラリッジに宿泊しました。ここは慶喜公の弟、昭武公が渡欧の際に宿泊したホテルで、私も一度泊まってみたかったのです。宿泊費は一泊15万円くらいで高いですけど。あと私は『くまのプーさん』が好きなので、物語の舞台になった森にも訪れました。イギリスは食事も私には合うし、好きな国ですね。

今年は、上手くいけばイタリアに行けるかもしれません。実は、徳川将軍珈琲をモンドセレクションに出品しているのです。今審査中で、結果発表はこの4月。もし金賞がとれたらヴェネツィアで授賞式があるので、それに参加できます。このためにタキシードを新調しようかと考えているところです(笑)。」

(【2】につづく)

徳川慶朝(とくがわ・よしとも)
1950年、徳川15代将軍慶喜公直系の曾孫として静岡県に生まれる。東京の広告制作会社でカメラマンとして20年にわたって活躍後、フリーランスに。自ら焙煎したコーヒー豆を「徳川将軍珈琲」として販売している。著書に『徳川慶喜家にようこそ』『徳川慶喜家の食卓』(文藝春秋)など。(情報提供:YUCASEE MEDIA(ゆかしメディア))

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