5月8日、キヤノンはスウェーデンのネットワーク監視カメラメーカー、アクシスコミュニケーションズAB(通称アクシス)の買収が同月5日付で終了したと発表した。買収額はキヤノンのM&Aでは過去最高額の3337億円と見られている。
アクシスは1984年設立のネットワーク監視カメラ世界最大手で、96年にインターネット接続により遠隔地から広域利用できるネットワーク監視カメラを世界で初めて開発した。現在、世界179カ国・地域に進出、14年12月期の売上高は約770億円。世界シェアは21.0%(14年、金額ベース/テクノ・システム・リサーチ調べ、以下同)。
同カメラは遠隔地から防犯・防災向けの監視ができるのはもとより、小売業などでは映像から客の流れを解析して売れ筋商品を特定したり、高齢者の見守りサービスなどにも利用できる。監視カメラの世界市場規模は現在約4600億円だが、周辺機器を加えると約1兆6000億円になる。これが18年には3兆円近い規模に成長すると予測されている。
対してキヤノンの監視カメラ売上高は年20億円程度といわれ、世界シェアはコンマ以下。要するに監視カメラ市場では実質的に「員数外のメーカー」。世界シェア8.4%のパナソニックとも比較にならない存在といえる。そんなキヤノンが、いきなり世界シェアトップメーカーを買収したのだ。
●新規事業の発掘が急務に
複写機、デジタルカメラに続く新規事業が育たない――。96年のデジカメ事業参入以来、キヤノンが20年近くにわたって悩まされ続けてきた経営課題だ。同社の新規事業育成下手は今に始まったことではない。同社はこれまでも数百億円を投資して失敗したSEDテレビをはじめ光カード、パソコンなど、新規事業育成に失敗した例には事欠かない。
業界関係者は「祖業のカメラ事業も、ライカを模倣した国産カメラから始まっている。複写機もゼロックスへの対抗から始まった。つまり、オリジナル製品やオンリーワン製品を生み出すDNAはないといえる。後発で参入し、たゆまぬ品質改善とコスト圧縮で先発を圧倒するのがキヤノンの強みであり、そこに他社が真似のできないオリジナリティがある」と指摘する。
それはさておき、新規事業を育てられないため既存2事業への依存度は年々高まり、14年12月期は91.8%に達している。この事業ポートフォリオの偏りが原因なのか、売上高も過去5年間前期比増減を繰り返している。
加えて深刻なのが、デジカメ事業の衰微化だ。
●ジリ貧確実のキヤノンの打開策
これまで第3の柱と位置付け、育成に努めてきた医療事業も現在の売上高は数百億円規模。1000億円台にブレークスルーする兆しは一向に見えてこない。
14年12月期末で8446億円という潤沢な純資産を持つ優良企業の同社ではあるが、このままではジリ貧が明らかで、経営陣が危機感を抱くのは当然といえる。
医療機器より先に収益貢献できる新規事業は何かと、同社が血眼になって探してもおかしくない状況だ。
「そんな中で浮かび上がってきた新規事業がネットワーク監視カメラだった。デジカメ技術の応用で生まれた商品なので、当社既存経営資源との相乗効果も高い」(キヤノン関係者)と言われる。
かつて監視カメラの用途と言えば街頭や商業施設内などを監視する防犯カメラや、河川の水量などを監視する防災カメラが大半だった。これらの監視カメラは現在、国内に約500万台設置されているという。
この用途を一挙に拡大させたのがアクシスのネットワーク監視カメラだった。
例えば、スーパーマーケットなどの小売店では、監視カメラの映像解析により来客人数、客がよく集まる棚や時間帯、在庫切れチェックなどが本部で一元的に行える。したがって来客人数に合わせて即座に店員の配置を変えたり売れ筋商品を補充したりといった店舗運用効率化も可能になった。
業界関係者は「それまで防犯・防災に限られていた監視カメラの用途制限を取り払ったのがアクシスの功績。今後はさまざまな用途開発により監視カメラ市場は急成長してゆくだろう」と期待する。
実際、国内では20年の東京五輪開催に向けてネットワーク監視カメラの需要急増が予測されており、海外ではテロ対策のために公共施設や交通機関で導入が進んでいる。「ネットワーク監視カメラは久々に出たお宝市場」と指摘する向きもあり、自分で有望な新規事業を創出できないキヤノンは、このお宝市場に飛びついた格好だ。
●御手洗会長が他社の機先を制す極秘行動で射止めた買収
14年8月下旬、キヤノンの御手洗冨士夫会長兼社長は単身でデンマークのコペンハーゲン空港に降り立った。顔を隠すようにして足早に空港ロビーを抜けると、待ち受けた車に乗り込み、車で1時間ほどの場所にあるスウェーデン・ルンド市にあるアクシス本社へ向かった。
御手洗会長が秘書も伴わずにアクシスに向かったのも、東京からの行き先をコペンハーゲンにしたのも、社内外への情報漏れを防ぐ極秘行動だったからだ。その目的はアクシス買収だった。
キヤノン関係者によると、アクシスを訪問した御手洗会長は、応接室で待ち受けていた創業者のマーティン・グレン氏やレイ・モリソンCEOなどアクシス経営陣と面談。
その後11月に今度はグレン氏がキヤノン本社を訪問して御手洗会長や役員たちと懇談。以降、両社の関係が急速に親密化し、アクシス経営陣と主要株主はキヤノンの買収に合意。今年2月10日のTOB(株式公開買付け)発表となった。
「アクシスはネットワーク監視カメラのパイオニアで、世界シェアトップといえども、規模的には14年12月期で売上高約770億円、社員約1900人のメーカー。中堅企業レベルなので買収はしやすい。実際、監視カメラ市場の覇権を虎視眈々と狙う電機・精密機器系メーカー大手は水面下で14年春頃からアクシス買収に動いていた。国内ではパナソニックも買収に動いていたとの噂がある。御手洗会長がこうした水面下の情報をキャッチしたのは14年6月頃だ。したがって、御手洗会長のあの電光石火の極秘行動には、アクシスを何がなんでも他社に取られまいとするキヤノンの執念がこもっていた」(業界関係者)
そればかりではない。今回の買収は単なる猪突猛進ではなく、用意周到だったことも見逃せないだろう。
それは、御手洗会長が4月21日付「ウォール・ストリート・ジャーナル日本版」記事の中で次のように語っていることとも符合する。
「成熟したカメラ事業の上にネットワーク監視カメラ事業を乗せれば、今後も成長を続けられる。世界の激しい競争の中で持続的に成長するためには、もはや新規事業を創出・育成ののんびりした戦略ではなく、M&Aで時間を買う戦略への転換が必要だ」
自社技術、マイルストーンシステムズの監視カメラ管理ソフト技術、そしてアクシスの映像処理・伝送技術。この三位一体でキヤノンはネットワーク監視カメラ事業をシナリオ通り第3の柱にできるのか。今後が注目される。
(文=福井晋/フリーライター)