女優・工藤夕貴が山に登りはじめたのは、ここ数年のこと。今から8、9年前の富士山登頂をきっかけに、日本百名山を含むいくつもの山を登頂し、山に関連した番組等でも活躍している。
また、現在放送中のドラマ『山女日記』(NHKBSプレミアム・湊かなえ原作)では、主人公の登山ガイド立花柚月役を務め、実際に自分の足で山を登り、高地での撮影にチャレンジした。どうして彼女が山に登るようになったのか。その理由を探るため、11月上旬に行われた上高地でのインタビューで、「旅」というキーワードを彼女に投げかけてみた。

「どうして山に登るのですか?」という質問に対して、工藤夕貴さんは深く考え始めた。

 もちろん、きっかけはあったろうし、それは本人もよく知っているはずだ。だけども、山登りをはじめて数年が経った今、再び自分の中での山の存在が、変化を迎えているだと思う。

「変わらないものが、今世の中にあまりないからかな」と少し考えてから夕貴さんは話しはじめた。

「山って登ってみるとわかるんだけど、普通にただ登ってその景色の中に生きているだけで、手を合わせたくなる気分になる。

 生きさせていただきありがとうございますという感じで。自分の小ささに、全部削ぎ落とされて謙虚になるというか。

 いつも自分が試されていて、自然の中に生かされていることをただ実感する。

 それに、そこには悠久の時の流れを経て形成された、直ぐには動じない風景がある。

あるべきところにあるという雰囲気がある。

 私が死んでも、そこにずっとあり続ける、そういう大きさを、いやというほど感じさせてくれる。世の中はあらゆるものが変わり続けて、いつもめまぐるしく動いている。あっという間に変わっていく。

 でも山はいつ行っても、そこにある。今日撮影で行った上高地も、10代のときに行った上高地と全然変わらない。

自分が誰だとか、どんな見た目だとかが関係なく、ただ生き物として存在できる。それが有り難い」

 振り返ると、10代のときの「山登り」の記憶も心にずっと残っている。

 デビューしていろいろ苦しんで、まったく思うようにいかなくて、挫折感を持って自宅に帰ったとき、裏山を登って、小さい丘陵づたいに歩いた。

 子どものころから自分の秘密基地を作ったりして、ずっと山は好きだったんだけど、久しぶりに山に登って、歩いてたら風が吹いてきた。そのとき、風っていつもの風だなと思った。揺れる木々も道も何も変わっていない。

 自分が違う人間になったとか、そう感じているのは自分だけで、本当は何も変わっていないんだということを気づかされた。何にも変わっていないことになぜかほっとした。

 私は10年以上前、夕貴さんがまだハリウッドに住んでいたころに出会い、連載記事の編集担当としてお付き合いをさせていただき、日本に帰ってからはオフィシャルサイトを通じて彼女の写真を撮り続けている。富士山も一緒に登ったけれど、その後の山登りはしていない。

 富士山のときに、膝を痛めてしまったからだ。だけども、私がミニマリズムという言葉に惹かれ、人工物のない自然の中にいることの価値に気づきはじめたころ、夕貴さんは本格的に山に登りはじめた。

その、何もない場所での心理的な状況、クリアマインドという目的には、山もミニマリズムも共通点があった。

 もう一つ、このインタビューで夕貴さんが答えた悠久という言葉にも感じるものがあった。私は私で、なぜか、私には親がいて、祖先がいるということをただ考えていた。自分の家族の繁栄を願う、はるか昔の親がいる。遡ると、それは人間よりも前に、動物としての親もいる。それは他人ではない。

その祖先たちが見た風景はどんなだったろうかと、よく考えるようになった。

 山や海は、その一つの答えだったのだ。

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 工藤夕貴と旅

 インタビュアーである私は、そこで「旅」という言葉を本人に投げかけてみた。「山に登り続けるのは、『旅』のようなものではないですか。

なぜなら、夕貴さんはずっと『旅』をしているようにみえる」。

 芸能界に入り、ひとりの女優として、仕事として世界中を旅した。そして、10代でアメリカの映画出演という旅をし、その後はハリウッドに渡って活動するという旅をした。

 今は世界中に「旅行」に行くことを、なぜか好んでしてはいない。富士山の麓で畑と向き合い、米作りと向き合っている。あまり旅行に行かないのだ。

 そして、山に登っている。

 だから、山の一つひとつに向かうことが、旅なのではないかと思った。

 ニュアンス的には、旅というより、ジャーニーという響き。

 私自身、何を問いかけているのかわからなくなったが、雰囲気の話である。夕貴さんは、ジャーニーをしている感じがする。

「やっぱりやりたいのは、縦走。山の縦走。北岳から間ノ岳に縦走したことがあって、登って降りて。一つの山は次の山に繋がっている。本当に人生と同じ。山登りは体感する哲学のような感じ。歩いているだけで、勝手にいろんなものを感じ取れる」

 たしかに、自然の中をひたすら歩いて行く。それはジャーニーの予感がする。ただ、私もジャーニーとは何なのか、やはりよくわかっていない。私は一人の名前を出した。「星野道夫」という名前。

 私が10代のころに好きだった冒険家・写真家だが、なぜか最近、自分のまわりにその名前が頻繁に出てくる。なんとなく気になっていて、彼自身を覆う雰囲気に対して、ジャーニーという言葉があっている気がした。すると夕貴さんからこんな返答があった。

「私、星野さんが大好きで、20代のころに何度も手紙を書いたことがある」

なんとなく出した名前に、そんな繋がりがあったとは。

 

 ジャーニーの意味

 20代のころ、星野さんの生き方に感動した夕貴さんは、星野さんになかばラブレターのような手紙を送る。すると、写真家・橋口譲二さん(『17歳の地図』で工藤夕貴を撮影)が、星野さんと引き合わせてくれた。二人は学生時代の同級生だったのだ。東京の写真展で紹介してもらい、2、3度、文通した。星野さんからは、アラスカの木の実などを入れた瓶が送られてきたこともあった。

「星野さんが好きといえば、私がどういうものが好きかわかると思う。植村直己さんも大好きだから」

先日東京で行われた星野さんの写真展にも行ってきたばかり。

「冒険的な旅が、好きなのかもしれない。山に憧れたのもそこからだから」

若くしてアラスカのイヌイットの村に訪れるという星野さんの行為と、ハリウッドの世界に飛び込んだ夕貴さんの行為も、似ている気がする。

「山は決して、連れて行ってもらえる場所じゃない。自分で歩いていかなければ行けない場所。だから、行ったところの価値は大きい。飛行機に乗って辿り着く旅ではなくて、本来の旅は、自分の力で行くこと。今の旅は人工的で、飛行機でアメリカに辿り着くより、船で辿り着くほうがいい」

 私はその話を聞いて、龍村仁(映画『地球交響曲』監督)が、星野さんの死後、ある村を訪れたとき、そこにカヌーで訪れたことに意義があるという話を思い出した。カヌーの横には豪華客船があり、普通の旅行ではこういった客船によって訪れるはずの場所を、カヌーを漕いで、はるか古代の人たちのように、村の姿を見たという話だ。

「自分の足でまわりたいと思って、キャンピングカーも買った。そこにわざわざ、自分で選んだ道と道具で辿り着くというのが好き。だから山も好きなのかもしれない。飛行機に乗って、いいホテルに泊まるという旅が好きじゃなくなったのは、そういうこと。もし私が男だったら、山から山へと歩き続けて、半年は帰ってこないかもしれない」

 今は、困難な山ほど、挑戦したくなっているという。子どものころはあまり歩いたことがなくて、運動も得意じゃなかった。何泊もする山なんて行きたくないと思っていたのに、今は充実感を経験して、変わってきた。

「山登りには毎回、自分なりの挑戦がある。それに挑み続けるのが、今の私には必要。冒険できる数はもう限られている。やり遂げた達成感はあと何度出会えるのか。山はそれを与えてくれる」

 ジャーニーの意味は、自分の方法で、自分の体で、自分の選んだ道で、目的地の風景を見て、佇むこと。

 そして、得た感動を、言葉で伝えきることができないものになるという、私的な旅。

 工藤夕貴が山に登る理由は、それだ。

 

【工藤夕貴出演番組】

*NHK BSプレミアム プレミアムドラマ『山女日記~女たちは頂を目指して~』主演:立花柚月 役 日曜よる10時 連続7話http://www.nhk.or.jp/pd/yamaonna/

 *NHKBS1『実践!にっぽん百名山』メインMC 毎週土曜日 17:00~17:30 O.A.http://www4.nhk.or.jp/j-100yama/

*NHKBS1『Let’s!クライミング』メインMC 毎週土曜日 17:30~17:50 O.A.http://www4.nhk.or.jp/lets-climbing/