ずいぶん前に新聞で、「麻薬を体内に隠して成田空港から持ち込もうとした女が逮捕された」という記事を読んだ。
さて、「体内」とはどこのことだろうか。同一の事件を週刊誌は、「麻薬をコンドームに詰め、膣内に押し込んでいた」と説明していた。これで、すっきりと理解できた。
女の局部は隠し場所でもある。ともあれ、新聞記事の「体内」は苦心の表現というべきか。
江戸時代、小伝馬町の牢屋敷では、収監される人間はツルと称する金を楼内に持ち込んだ。牢名主と呼ばれる古株にツルを渡さないと、新入りはひどい目にあわされたからである。この悪習慣は明治になっても続いていたようだ。
『幕末明治女百話』に、つぎのような話がある。

窃盗団の親分の女房のお政は、俗に「蝮(まむし)のお政」とも呼ばれていた。明治十五年、蝮のお政は重禁固二年の判決を受けた。牢に収監されるに先立ち、相棒の男がそっと金を手渡した。
「お政さん、牢内ではツルがいる。ここに十五円あるから、小さく丸めて持っていきなせえ」
「でも、どうやって持っていくんだえ。身体検査を受けたら、すぐにばれちまうよ」
「姐御(あねご)もお察しが悪いや。いいとこへ隠したら、いいじゃねえか」
もちろん、「いいとこ」がどこかを説明する必要はあるまい。いっぽう、『事々録』には、つぎのような話がある。
天保九年(1838)、女親分が男の手下四人を率いる盗賊団がいた。京都の商家に押し入って盗みをはたらいた直後、ついに召し捕られた。役人が盗んだ金額をたしかめると、商家が申告した額より五両少ない。
「五両はどこに隠した」
「知りません。いくら盗んだか総額は覚えていません」
しかし、役人がきびしく究明するにおよび、女親分はついに五両を自分の陰門に隠していたことを認めた。
引き出させると、五両が現われたが、すべて二朱金だった。つまり、二朱金を八十粒、陰門のなかに隠していたことになる。
盗賊団の親分たる者がわずか五両をくすねていたのはおかしいが、きっと牢に入れられるときのツルにするつもりだったのであろう。