いろいろなメディアでもお話していますが、私はクリスチャンです。
あれは30歳になる手前頃でした。当時は、自分の将棋に行き詰まりを感じていまして、棋士として脂の乗る指し盛りの年齢にもかかわらず、勝負は五分五分。棋戦優勝やタイトル戦からも遠ざかっていました。
その頃は将棋仲間からも「加藤の将棋はつまらない」などと言われていましたね。このままではいけませんから、何とかこの状況を打破しようともがいていました。その頃には「将棋とは何か?」という根源的な何かを追い求めていましたね。
将棋の本質を突き詰めていくと「将棋とは偶然に勝つものではない」「確かな手、つまり最善手を積み重ねることで必ず勝つことができる」と、その答えを掴むことができました。その頃から、人生においても「確かなもの」を求めるようになったのですね。将棋にもあるのだから、人生にもあるだろうと。
その頃に出会ったのがキリスト教です。実は少年時代から西洋の絵画や音楽に興味と敬意を持っていました。大人になってからも、クラシック音楽や彫刻、歴史に残る建築など西洋の芸術には強い造詣を持っていたこともあり、キリスト教に親しみを持っていたのです。
洗礼を受け、確信を得た私は将棋にも迷わなくなったそういった背景がありましたから、人生における答えを強く求め、教会の門を叩くことになったのです。そして、1970年12月25日に下井草カトリック教会で洗礼を受けました。
かくして、私はキリスト教徒となりました。洗礼を受け、確信を得た私は将棋にも迷わなくなりましたね。これまで感じていた迷いが吹っ切れたのです。神が直接私に語りかけることはないけれど、「誠心誠意、一生懸命考えて指せばいい」という結論を得ることができました。
将棋の対局中にも神の思し召しがありました。1982年、42歳のとき。中原誠名人との名人戦です。
それによって私は勝つことができました。紙一重の状況で念願の名人位を獲得できたのです。普通なら中原名人が見逃すわけがないですから、だからこそ神のお恵みなんですね。
座右の銘である「勇気を持って戦え」「相手の面前で弱気を出してはいけない」「あわてないで落ち着いて戦え」も旧約聖書の言葉ですし、対局の前日の夜には、聖書を読んでお祈りをしています。対局の合間に教会へ行ってミサにあずかることもありましたね。