物議を醸した国立競技場の建て替えで、ザハ案白紙撤回後の新デザイン案コンペに不透明な“黒塗り”が存在している。黒塗りの中身を明らかにするとともに、水面下で進む再開発プロジェクトとのつながりに迫った。
「建て替えの検討を始めてから十数年。ようやく念願がかなった」。東京・明治神宮外苑地区にある国立競技場敷地の南に位置するマンション「外苑ハウス」(写真参照)の住民は満足げだ。
今年2月、地上8階、196戸の外苑ハウスを地上22階、約410戸、高さ80メートルもの高層マンションに建て替える計画が近隣住民説明会で提示された。
新国立競技場を錦の御旗に、建て替えを阻んでいた障壁が一気に取り払われ、外苑ハウス関係者の多くは外苑再開発のメリットを享受する勝ち組となった。
外苑ハウス周辺の明治神宮外苑地区一帯は1926年、景観保護のため日本初の「風致地区」に指定された。そのため建物は最高高さ15メートルという制限があった。
86年を経た2012年、新競技場建設決定と同時に事業主体の日本スポーツ振興センター(JSC)が新たな都市計画を作成。それを受けて13年6月、東京都が「再開発等促進区」を設定し、建物の最高高さを80メートルまで緩和した。
15年4月には促進区の地権者である都、JSC、明治神宮、高度技術社会推進協会、伊藤忠商事、日本オラクル、三井不動産らが「神宮外苑地区まちづくりに係る基本覚書」を締結。再開発にいよいよ拍車が掛かった。
外苑ハウス建て替えは再開発に便乗する形で決まった。
三井不動産のグループ会社である三井不動産レジデンシャルが建て替えを企画するという話が出ているが、三井不動産担当者は「現時点で何も決まっておらず、話せることはない」と言う。計画はあくまでも水面下で進み、詳細は公にされていないのだ。
外苑ハウスの建て替え計画は今に始まったことではない。64年の東京オリンピックの際に外国の報道陣の宿舎として建設され、後に一般向け分譲マンションとなった外苑ハウスは、建設から30年ほどたったころから管理組合内で建て替えが議論されだした。しかし、二つの理由から幾度も話は立ち消えになった。
その一つが、外苑ハウスの目の前にある「都営霞ヶ丘アパート」の存在だ。こちらも前回の東京オリンピックに伴う再開発の一環で建設され、その南側に位置する外苑ハウスは「(霞ヶ丘アパートの)日照権などが絡んで大規模な建て替えができなかった」(住民)のである。
都は新競技場建設に伴って新しい都市計画を策定し、霞ヶ丘アパートの取り壊しを決めた。同アパートの住民は「都から何も聞かされないまま突如取り壊しによる移転を求められた。人権侵害だ」と移転反対運動を展開、今なお攻防は続くが、都は都市計画を曲げるつもりは毛頭ない。外苑ハウス住民にすれば、アパート取り壊しは渡りに船。
外苑ハウス建て替えのもう一つの障壁は、住民の合意の取りまとめが難しかったことである。賃貸の住戸が一部あり、「立ち退き料のゴネ得を狙う賃借人もいた」(所有者)という。
そのためか住民はなかなか一枚岩になれず、デベロッパー数社と協議をしていたものの、皆お手上げ状態で暗礁に乗り上げていた。しかし、こちらも大義ができたので、進めやすくなった。
うがった見方をすれば、都市計画変更を伴う再開発は外苑ハウス建て替えを可能にするための方策のような印象がある。「外苑ハウスの住民が政治家を通じて、石原慎太郎都知事時代に建て替えできるよう話を取り付けた」(新聞記者)といううわさも飛び交った。
明治神宮外苑にトリプルタワーがそびえ立つ外苑ハウス建て替えの説明会と同日、「日本体育協会・日本オリンピック委員会新会館」を外苑ハウスの東隣に建設するプランが、近隣住民説明会で発表された。地上14階、高さ60メートルで、これまた巨大なオフィスビルだ(下図参照)。
「説明会がたまたま同じ日に重なった」(日体協担当者)ことに加え、外苑ハウスの敷地上にまたがる形で建設されるため、「裏で外苑ハウスと手を組んでいるのでは」(近隣住民)ともささやかれた。
日体協新会館の前身である「岸記念体育会館」は、64年に国立代々木競技場第一体育館の近くに造られ、11年7月に日体協創立100周年を迎えるに当たり建て替えが検討された。
「選択肢は幾つかあった。
日体協新会館の南側に高さ60メートルの「新・日本青年館ホテル」も建てられるので、神宮外苑には“トリプルタワー”がそびえ立つことになる。新青年館はJSCが一部フロアを新事務所として使用するため、「税金で豪華なビルを建てるのか」と批判を浴びた。
もっとも、青年館はとばっちりを食らった格好だ。新競技場建設による敷地拡張に伴い、12年4月にJSCが青年館に立ち退きを要請。後の昭和天皇から与えられた旧施設は“聖地”なので、内部では移転反対の意見も出たが、東京オリンピックという大義を突き付けられてはのまざるを得なかった。
建設費165億円のうち青年館が118億円を負担し、建て替え中は営業休止。せめて移転後の新施設から新競技場が望めるかと思いきや、北と西に日体協新会館と外苑ハウスがそびえ立つ。眺望を売りにするのは難しそうだ。
新競技場デザインにおけるザハ案が白紙撤回となって以降も、トリプルタワーなど神宮外苑再開発計画がつぶれることはなかった。再開発によって潤う利権者がいても、全貌が世に示されていないのだから、強く糾弾しようもない。
ザハ案が撤回された新競技場については、15年8月から新たなデザインを決めるコンペが始まった。対決したのは有名建築家の隈研吾氏と伊東豊雄氏。結果的に大成建設と組んだ隈氏に軍配が上がったが、そこで大差がついたのは「工期」。伊東氏も建設工事はほぼ同じ工期を提示していたため、審査結果に対する疑念が渦巻いた。
なぜ工期に大差がついたのか。それを解くヒントは、JSCのホームページ上で公開されている伊東氏の技術提案書と15年12月19日に開催された第8回審査委員会の議事録に潜んでいる。
伊東氏の技術提案書の参考添付資料と議事録には、真っ黒に塗られた箇所がある。ここには伊東氏が提案した「人工地盤の縮小案」が描かれていた(下図参照)。
ここでいう人工地盤とは立体の公園スペースのこと。伊東氏が作成した二つのパースを見比べれば、縮小案はデザイン的に見た目がスッキリし、環境にも優しそうなのは一目瞭然。さらに約29億円のコストを圧縮できるという。
しかし、議事録を読むと、「人工地盤の縮小(ここは黒塗り、取材から推定)による都市計画変更は簡単にできることではない」という突っ込みが事務局であるJSCから入った。
伊東氏は一連の質問に対し「一方的に否定するような口調で多大な疑義を抱いた」と憤りを隠さない。人工地盤の縮小案は伊東氏にとっては「あくまでオプション提案」で、単にデザインとコストのスリム化を狙ったものだった。
そんなチャレンジングな姿勢がJSCらの“虎の尾”を踏んだのだろう。この案が通れば都市計画がゼロベースになり、トリプルタワーを含めた神宮外苑再開発計画が白紙に戻されかねなかった。
狭い敷地に無理やり巨大な新競技場を造るために、旧競技場と霞ヶ丘アパートの間にあった都立明治公園をつぶして敷地面積を広げる場合、都市公園法の定めにより、同等面積の公園を再配置する必要がある。そのため、JSCは人工地盤で公園面積を確保する立体公園制度の活用を考えた。ザハ案に沿って人工地盤を前提に都市計画を作成し、今回の応募要項でもそれが踏襲されていた。
ザハ案が白紙撤回になった時点で、ザハ案を下敷きにした都市計画そのものも見直す必要があるのではないか。15年8月の参議院文教科学委員会で野党議員からそう迫られた遠藤利明五輪担当大臣は「見直しは新競技場の本体の設計、施工のみ」と明言。都市計画まで見直す気はなかった。
では人工地盤を縮小した場合、都市計画はどうなるのか。都の担当者に確認すると、「伊東案を見ておらず何とも言えない」と前置きした上で「一般的に都市計画を見直す可能性がある」と言及した。
伊東氏は建設工事と同時進行で都市計画変更を2年以上かけて行うスケジュールを提示した。変更手続きが停滞すれば工事がストップするかもしれない。隈氏はその点をわきまえており、技術提案書に「都市計画を継承、活用する」と明記している。
つまるところ、JSCは都市計画変更にまで言及したチャレンジングな伊東案ではなく、地味だが堅実な隈案を選択したというのが真相のようだ。ここに工期で差がついた最大の理由があると考えられる。
審査結果の是非は別に、なぜ人工地盤の縮小案や議事録を黒塗りにする必要があったのか。JSCは明言を控えたものの、黒塗り箇所が「人工地盤の縮小」だったことを事実上認め、「表に出すと利害関係者との調整ができなくなるのが理由だ」と答えた。
どの審査員がどんな点数をつけたのかも明らかにされない不透明さがあるからこそ、伊東案が、都市計画をベースに神宮外苑地区再開発をもくろむ勢力に嫌われたという疑念が膨らむ。
事の真相は不明だが、状況証拠を並べる限り、再開発案件と新競技場デザイン審査という、一見バラバラに思える点が一つの線でつながっているように映る。