6月22日にTwitterを開始した鬼束は、異様なテンションで書き込みを展開し、「あ~和田アキコ殺してえ」「なんとか紳助も殺してえ」とツイート。
23日に鬼束のアカウントは承認したフォロワーしか見られない「鍵付き」となり、所属事務所が「本人の大人げないいたずらな書き込み」で迷惑をかけたとして謝罪。さらに、鬼束が直筆の謝罪文を発表し、本人にも謝罪したことを明らかにした。
25日にTwitterを再開した鬼束は、「状況は厳しい。
以前は陰のある大人しいイメージだった鬼束だが、当時から“変わり者”の片鱗は見せていた。「月光」がヒットした翌年の2003年、音楽番組『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)に出演した鬼束は「飼っていたハムスターがカタカタうるさかったのでベランダに放置したら熱射病で死んでた」「またハムスターを飼って外に出したら凍死した」と発言。動物虐待ではないかとの批判が殺到し、当時の所属事務所が謝罪する事態となった。
その後、03年に声帯結節を発症して活動休止。
07年に個人事務所を設立した鬼束は、今までの清楚なイメージを覆すような過激なロックテイストのビジュアルに変化し、インタビューなどでの発言もエキセントリックなものになった。10年8月には、同棲中の男性に暴行を受けて全治1カ月の重傷を負うという事件にも巻き込まれ、お騒がせキャラのイメージが定着してしまった。
この激変ぶりのウラには、一体何があったのか。
彼女の自伝的エッセイ『月の破片』(幻冬舎)をひも解くと、彼女はデビュー当時にスタイリストが用意した清楚な服が「『超』がつくほど不満だった」と記している。「胸が大きいから、それを隠すようにAラインのワンピース着せられたり、パステル調の服を着せられていた」とも語っており、事務所の方針に不満があったようだ。実際は「とうとう気が狂ったんじゃねえか?」と思われるほどの派手なコーディネートが好きだという彼女は、自由にやらせてくれる今のスタッフと出会ったことで本来の自分のキャラを取り戻したようである。
また、彼女は02年の全国ツアーで「観客の顔が突然悪魔に見えて、マイクを持つ手がガタガタと震えた」という経験を何度もしたことで、パニック障害を患っていることが判明。そのツアーを最後に発作は出ていないが、今でもステージに立つと不安になるという。現在は過激すぎるステージパフォーマンスを繰り広げている彼女だが、本来の自分を解き放つことで発作を抑えたいという意識があるのかもしれない。
彼女の激変には、所属事務所につくられたキャラと自身のギャップに悩んだ過去が関係していたようだ。同じ女性ソロアーティストとしては、「1/2」などのヒットで知られる川本真琴(38)もデビュー当時の“つくられたイメージ”に悩んでいたと語っており、現在は細々とながら自分らしさを生かした活動を展開している。
ビジュアルを激変させてから左腕や右足首にタトゥーまで入れたことで「もう普通のおばさんには戻れなくなった」と覚悟を決めた鬼束。Twitterでは暴走が過ぎたようだが、周囲の顔色をうかがうことをやめて自分らしさで勝負することを決意した彼女の今後に期待したい。
(文=佐藤勇馬)
※イメージ画像:『HOTEL MURDERESS OF ARIZONA MY GUN』フォーライフミュージックエンタテインメント