芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!

 かつて“演歌の女王”と呼ばれた八代亜紀が、ジャズ歌手として、10月10日にユニバーサル・ミュージックからアルバムを発表するという。その公開レコーディングが7月11日に行われたが、八代については、忘れたくても忘れられない思い出がある。

 八代は熊本県の中学を卒業後、上京。演歌歌手としてデビューする前は、銀座のクラブ歌手だった。その頃、後に日本レコード大賞の賞レースで“五八戦争”といわれてしのぎを削ることになる五木ひろしも、銀座のクラブで弾き語りをやっていた。

 八代は1971年にデビュー。その後、「なみだ恋」や「愛の終着駅」「舟唄」と次々にヒット曲を飛ばして、スターの座に上り詰めた。その頃に、親しい芸能関係者から「八代には上京する前、熊本県八代市のキャバレーで歌っていた時に、地元の人間との間にできた隠し子がいた」という信じられない情報を得て、裏取りのために単身、八代市に取材に向かった。

そこで、八代が歌っていたというキャバレーの外観写真を撮っていると、いきなり暴力団風の数人の男に囲まれ、組事務所に連れていかれたことがあった。

 全員が見事な入れ墨。まるで東映のやくざ映画を見ているようだったが、事は深刻だった。「八代の“隠し子”がいるかどうか取材に来た」と話したら、筆者は3人の暴力団に囲まれて、廃墟となった工場に連れて行かれた。ビビりまくる筆者に、暴力団の一人は「廃工場では他組織からの攻撃に備えて、組員が特訓している」と説明をした。完全な威圧行為だったが、そこでは何もなかった。

 その後、車は一路、水俣市に向かった。車中では両サイドから拳銃のようなものを突きつけられて生きた心地がしなかった。しかし、筆者が知人のある暴力団幹部の名前を挙げると態度は急変。水俣に着くと、キャバレーに連れて行かれ、なぜか御馳走になった。正直、とっとと退散したかったが、解放されたのは朝方の5時頃。その後は、緊張で宿では眠れず、早く東京に戻ろうとしたが、強風で東京便は欠航。

とりあえず、逃げるように大阪便に乗り、ホッとした。

 結局、隠し子は確認できなかった。というより、確認しようがなかった。だが、別ルートの情報もあり、八代の親類には、複数の暴力団関係者がいたという事実は掴めた。八代は、そうした一族、そして八代という町にとっては、かけがえのないスターであり、それゆえに、自分たちが守らねばならないという意識が、筆者を脅した男たちにはあったのだろう。

 筆者は40年近く芸能関係の取材をしてきたが、あんな怖い取材は二度としたくない。

しかし、八代の演歌は大好きだ。その八代がジャズのアルバムを発売するという。しかも、自信があるのか、公開レコーディングをした。これにはどうも、ユニバーサルと八代が所属する日本コロムビアの思惑があると思ったら、案の定、“事務所幹部解任騒動”の渦中にいる小林幸子に代わって、八代をNHK白歌合戦』に推すという動きがあるようだ。

 小林も所属するコロムビアは、騒動の影響を考慮し、6月に発売が予定されていた新曲「絆坂」の発売無期延期を決定した。ところが、新曲を7月中には発売しないと、今年の紅白出場条件をクリアすることができないと判断した小林は、騒動後初の会見を開いて「紅白に出たい、新曲も出したい」と訴えた。

しかし、解任した所属事務所の元社長に、次々にそれまでの発言のウソをばらされて、さらに業界から信用をなくしてしまったことで、新曲発売は暗礁に乗り上げ、紅白は絶望的になっている。そこで、コロムビアとユニバーサルが白羽の矢を立てたのは、最近は三浦春馬とCMで共演するなど、タレント的な活動も目立つ八代だった。01年以来、紅白出場がない八代に、ジャズを歌わせるという企画性で紅白出場を狙っているのだ。

 確かに、ヒットや新曲もない、衣装の奇抜性だけで紅白に立たせるくらいなら、八代にジャズを歌わせたほうが音楽番組としては筋が通る。NHK側はどんな判断を下すのか見ものだが、ジャズも歌っていた実力者・ちあきなおみが、芸能界から引退同然で消えた今、八代の復活に期待したい。
(文=本多