音楽プロデューサーの川添象郎容疑者が6日、覚せい剤取締法違反の疑いで警視庁麻布署に逮捕されていたことがわかった。川添容疑者は先月下旬、港区のコンビニ店で万引をしたとして窃盗容疑で逮捕された際、言動に不審な点があり、同署で尿検査を実施。

覚せい剤の使用を示す陽性反応が出たという。

「川添容疑者には過去にも覚せい剤使用の前科があるのですが、72歳で逮捕というのは驚きです。万引で捕まったのがキッカケのようですが、生活に困窮していたわけではないでしょうから、覚せい剤の影響によるものだったのでは」(芸能記者)

 音楽プロデューサーとしての川添容疑者は、近年では青山テルマやSoulJaの作品を手がけたことも記憶に新しい。若い世代にはあまりなじみがないかもしれないが、わが国の芸能史に名を刻む“超大物”だといっていい。

「1960年代から活動を行っている川添容疑者ですが、69年に当時アメリカで社会現象になるほど大ヒットしたロックミュージカル『ヘアー』の日本版のプロデューサーを務め、話題を呼びました。しかし、大麻不法所持で逮捕され、以後の公演が中止されたこともあります。

その後、アルファレコードを設立し、松任谷由実(当時は荒井由実)やYMOといった大物アーティストを送り出し、大ヒットを連発しました。今は死語になりましたが、“ニューミュージック”というジャンルも、彼が作り出したもの。日本の音楽界の新しい流れの裏には、いつも川添容疑者の存在がありました」(同)

 音楽プロデューサーとしてだけでなく、その出自や著名人らとの交流など、華やかな私生活も芸能マスコミの耳目を集めた。

「曽祖父は明治の元勲、後藤象二郎という名門の出。両親は、各界著名人の御用達として現在も存在するイタリアンレストラン『キャンティ』を創業したことでも知られています。60年の創業時から同店には文化人や芸能人、クリエーターらが夜な夜な集い、常連たちは“キャンティ族”などと呼ばれたものです。

ユーミンは同店の最年少の常連客でした。川添容疑者はこうした交流から各界に人脈を築き、その後の活動に生かしていくわけです。また、作家の林真理子の小説『アッコちゃんの時代』(新潮社)の主人公は、川添容疑者の2番目の妻がモデル。80年代のバブル期、彼女は“地上げの帝王”と呼ばれたバブル紳士の早坂太吉の愛人でしたが、彼と別れた後、川添容疑者と付き合うようになったのです。当時、川添容疑者は女優の風吹ジュンと結婚していたのですが、この不倫劇は芸能ニュースでもたびたび報じられました」(同)

 川添容疑者は、その後も音楽の分野にとどまらず、海外ファッションブランドのライセンス開発や店舗プランニング、テレビ番組のプロデュース、海外の有名文化人や大物俳優などのマネジメントやコーディネートなど、多岐にわたって活躍。本業でも08年にプロデュースした青山テルマの「そばにいるね」は、「日本で最も売れたダウンロード・シングル」としてギネス世界記録に認定されている。
60年代には当時台頭し始めていた和製ロック、70年代にはニューミュージック、80年代にはテクノポップと、常に時代の最先端の音楽に関わり、老境を迎えた現在もJ‐POPやヒップホップといったジャンルの音楽をプロデュースし大ヒットを飛ばすというのは、特筆に価する。しかし、やめられなかったのが麻薬だった。

「麻薬をやめられないという現象面では、清水健太郎と同じですが、川添容疑者の場合は別の側面もあると思います。というのも、川添容疑者が20代を過ごした60年代後半は世界的に反体制の機運が高まっていた時期で、ロックやドラッグは反体制の思想を象徴するものでもあったわけです。最初にプロデュースしたミュージカルの『ヘアー』も、反体制がテーマでしたからね。時代の最先端を走っていたように見えても、結局はそうした60年代的な価値観から逃れられなかったのではないでしょうか」(同)

 年齢的にも今後の再起は厳しい状況の川添容疑者だが、超大物プロデューサーとしての晩節を汚してしまったといえるだろう。