(写真:アフロ)
4月13日、浅田真央が会見を開き、現役引退を発表した。
06年のトリノ五輪は年齢制限の壁が立ちふさがり、当時15歳の浅田は出場できなかった。
そんな浅田を支えてきたのは亡き母・匡子さん(享年48)だった。浅田の叔父はこう語る。
「匡子は12歳で父を亡くし、20歳で母を亡くしています。
母を勇気づけるため、浅田もまた“ある決断”をしていたという。
「実はバンクーバー五輪の直後、真央さんは実家の隣地を買い取っていたんです」
そう明かすのは、近所の主婦だ。10年4月、浅田が代表を務める有限会社名義で隣地を購入している。約400平米の土地に建つ木造2階建ての中古物件。そこには、母の夢が込められていた。
「浅田家の隣が売りに出され、それを知った匡子さんが気に入ったそうです。匡子さんは『リフォームして真央のメダルやトロフィーを飾りたい』と嬉しそうに話していました。真央ちゃんはお母さんの生きがいになればと思い、購入したのでしょう。匡子さんは桜の木を剪定させるなど、庭の手入れに励んでいました。夏の暑い日でも汗だくになりながら、雑草取りをしていてね。大変そうでしたが、嬉しそうだったのを覚えています」(前出・主婦)
その後も“真央ルーム”完成に向けて頑張っていた匡子さんだが、病状は悪化。
母の命が長くないことを覚悟した浅田は、母を看取る前から独り立ちへと向けて動き出していた。マンションで一人暮らしを始め、多忙なスケジュールを縫って自動車の運転免許も取得している。
「それまで送り迎えはお母さんの役割でした。でも真央ちゃんは自ら車を運転して移動するように。『私はもう大丈夫だから!』とお母さんに伝えたかったのでしょう。