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タモリから赤塚不二夫へ〈私も、あなたの数多くの作品の一つです〉。あれは弔辞のパロディだった『大弔辞』

2011年12月9日 11時00分 ライター情報:近藤正高

『大弔辞――先輩、友、後輩へ綴られた最後の愛の手紙』高平哲郎著/扶桑社
2011年10月刊。目次を開くと、テレビプロデューサーの横澤彪、俳優の原田芳雄、コメディアンの坂上二郎と、今年亡くなった人の名前も目立つ。

結婚披露宴で祝辞を詠んだことのある人はかなりいると思うが、葬儀で弔辞を詠んだことがあるという人は案外少ないのではないか。個人的に、弔辞はそれなりに功成り名遂げた人に対して詠まれるものというイメージがあるし(そうでもないのかもしれないが)、故人とよっぽど親しかったとしても、二つ返事で引き受ける人もあまりいないように思う。最近、その名も『大弔辞――先輩、友、後輩へ綴られた最後の愛の手紙』という本を上梓した演出家で編集者の高平哲郎(かつては構成作家として「今夜は最高!」や「笑っていいとも!」などといったテレビ番組にも携わった)の場合、仕事を通じて多くの著名人とつきあいがあるものの弔辞を詠んだのはただ一度だけだという。そもそも高平はそれまでにも後輩や友人や先輩の弔辞を頼まれることがあったがすべて断り、その代わりに葬儀を仕切る役で故人との関係を貫くことにしてきたというのだ。

《葬儀に立ち合うのは気が重い。だからいつも葬儀の関係者側について、忙しく振る舞いつらい気持ちを押し殺すことに徹してきた。弔辞なんか詠んだら泣いちゃうんじゃないか。泣いて詠めなくなるんじゃないか。だから弔辞は断ってきた》

そんな高平が、放送作家でのちには小説家として直木賞もとった景山民夫が亡くなったときだけは弔辞を引き受けてしまった。中学以来の友人で、ともにテレビのバラエティ番組の制作に携わってきた2人。しかし80年代には景山が雑誌やテレビで高平を批判したこともあって、高平は彼と距離を置くようになる。それが1997年、仕事の打ち上げで行った焼肉屋で、高平は偶然にも景山と再会、そこで和解を果たすのだった。景山が自宅での火災で急死するのはその翌年のことである(このあたりの経緯については、以前紹介した高平の著書『今夜は最高な日々』にくわしい)。高平が景山に向けた弔辞の冒頭、《民夫、とんでもないことになっちゃったな》という言葉は、上記のような突然の死を受けてのものだ。このあと、中学からの景山のファッションや趣味の思い出――落研、フォークグループ、テレビ出演など人前に出ることが好きだった彼について、高平は思いつくままに詠みあげていき、《まあ、いつの時代も派手なことが好きだったけど、その意味じゃ今回も派手だったな》と語りかけると、最後は《夢で逢いましょう》と締めた。結局、高平は自分の文章に感情移入ができず、心配していたように泣くことはなかったようだ。

ライター情報

近藤正高

ライター。1976年生まれ。エキレビ!では歴史・科学からドラマ・アイドルまで手広く執筆。著書に『タモリと戦後ニッポン』(講談社現代新書)など。愛知県在住。

URL:Culture Vulture

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