来月で放送開始から29年目に入る「笑っていいとも!」。この番組タイトルは、あるジャズミュージシャンの口癖に由来するという。


高平哲郎*著『今夜は最高な日々』によれば、それはこういうことらしい。
ジャズのツアーでその日の演奏を終えたジャズマンたちは、宿舎に向かうバスのなかで、ツアー・コンダクターかバンド・マネージャーから明日の予定を告げられる。明日の朝が早いと、彼らはたいてい「エー」といやな顔をした。だが、テナーサックス奏者の中村誠一だけは、スケジュールを伝えられた瞬間、明るく「いいとも!」と答えたという。
「いいとも」の開始当初からかかわっている著者が書くだけに、ここから番組のタイトルがついたというのは信憑性がある。

*高平哲郎氏の「高」は正しくは、いわゆるはしご高ですが、機種依存文字のため、本稿では「高」の字を使っています。

300ページを超えるボリュームの本書には、著者がこれまで――本書では1980年代を中心に語られる――出会った人びとについて、上記のようなエピソードが随所にちりばめられている。
著者は1970年代、創刊当初の雑誌「宝島」の編集にたずさわったのち、アイランズという事務所を設立、編集やラジオ・テレビの構成の仕事を中心に手がけるようになる。タモリとの出会いは70年代半ば、新宿のスナック「ジャックの豆の木」でのこと。その後80年代に入ると、「いいとも」や、本書の題名の元になった「今夜は最高!」といったタモリの番組を担当することになる。
もっともテレビ番組の構成の仕事は、「宝島」をやめてから生活を維持するため、仲間から誘われるがままにはじめただけで、いまだにこの肩書きにはなじめずにいるという。
そのせいなのかどうか、「今夜は最高!」で著者が台本を書いたコントは、オチがないとよく言われたそうだ。
だが、オチが書かれていなくても、タモリは毎回アドリブでその場をまとめてみせた。
そのうちに、オチがあってもなくても、ディレクターはカメラを止めないで回し続けるようになる。これというのも、コントがひととおり終わってからタモリが何を言うか、どう切り回していくかを撮るためだった。タモリのおかしさを引き出そうという工夫である。
じつはこの演出方法には元ネタがある。それは、映画「社長」シリーズにおける、森繁久彌と三木のり平のシーンだ。このシーンでは監督はカットの声を出さず、2人にアドリブでやりとりをさせたという。

さて、本書のなかで個人的にもっとも興味深く読んだのは、JR東日本の車内誌「トランヴェール」の編集を手がけていた頃のくだりだ。
同誌の内容は、著者のそれまでの人脈を生かした豪華なもので、創刊号には、落語家の林家こぶ平(現・正蔵)、放送作家の河野洋、俳優の斎藤晴彦、映画評論家の野口久光、建築家の石山修武など多彩な人物が登場した。ある号では、作家の百瀬博教(のち格闘技プロデューサーとしても活躍)と、チケットがなかなかとれないことで有名な夜行特急「北斗星」の車内で行なうなど、JRの雑誌ならではの企画も行なっている。
このとき、以前からのテレビの仕事に加え、演劇やイベントにも手を染め多忙をきわめていた著者だが、かつての「宝島」のとき以上に雑誌を編集しているという実感を得ていた。
ところが、終わりは突然訪れた。
著者は、まったく自分のあずかり知らぬ事情から、1991年3月号を最後に「トランヴェール」の編集からの撤退を余儀なくされたのだ。それは、JRでのブレーン会議で、某社の雑誌の女性編集長から「無駄にお金がかかりすぎている」と指摘されたことがきっかけだったという。
91年といえば、バブルが崩壊した年だ。当事者としては、編集からの撤退にはいまだ不満が残るようだが、80年代を回顧した本書がこうしたエピソードで締めくくられているのは、じつに象徴的な気がする。それからしばらくして、雑誌もテレビも、無駄づかいを許されない、せちがらい時代へと突入していったのだから。(近藤正高)
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