かつて年賀ハガキに新潟県の「なまはげ」のデザインが採用されたことがあった(1980年用年賀ハガキ)。なまはげがトレードマークの出刃包丁を持っているのは「物騒」であるとして農具のクワを持ったデザインになったんだけど、違和感があって見た人から苦情が殺到したのだという。
だけど「切手に刃物は登場させるべからず」という鉄則があるらしく、郵便局はいちいち公式に説明して「クワのなまはげ」に対する理解を求めた。

どうでもいい気がしますね。でも、そうはいかないのが公共性の高い郵便事業。

年賀ハガキという老若男女が利用するものだからこそ、こういう出来事が今までにたくさん起こってきていて、それらは多かれ少なかれそれぞれの時代を反映していた。そこに着眼し、年賀状を中心にして起こる色々を並べて見ていくことによって戦後史を語ろうとしたのが本書『年賀状の戦後史』だ。書いたのは郵便学者・内藤陽介。


戦前からあった年賀状文化は、敗戦が色濃くなると国から自粛が求められた。「年賀なんて祝ってる余裕があれば国債買ったりして国に尽くせ」ということだ。だけど戦中戦後、疎開や出兵でバラバラになった日本中の人たちがお互いの安否を確認・報告するのに年賀状は役立ち、相当の人が出していたという。

そしてどんどん定着して国民的行事になった年賀状は、戦後の成長とともに郵便事業の大きな収入源となり、社会と様々な関わりが生まれてきた。

年賀状ハガキの切手部分のデザインは毎年変わり、日本各地の干支をモチーフにした郷土玩具が描かれることが多い。戦後すぐには戦前戦中の日本を否定する急進的な考えを持つ人々から「干支なんてやめろ」と言われたり、ハガキデザインの重要性が高まった時代には郵政大臣が自分の地元選挙区の郷土玩具をデザインに採用して地盤固めに使ったり、そういうエピソードが年ごとに紹介されている。
単なる年賀状でも、想像もつかないぐらいの影響力があるんだな。

「宝くじ」も忘れてはいけない年賀状の特徴。切手収集ブームで中学生が賞品の「年賀切手シート」欲しさに他人の郵便受けから年賀状を盗んで補導されたりしている。「くるってる!」と思うけど、源氏物語絵巻の記念切手目的に学校の1割の生徒が授業をサボって郵便局に行列を作る時代だ(1964年)。みんなが夢中だった切手の絵柄が「源氏」なんて渋いのがなんだか面白い。ちなみに1950年の最初の宝くじの商品は特等ミシン、3等コウモリ傘など、完全に異世界なラインナップ。


家庭用の印刷機「プリントゴッコ」やワープロが登場して年賀状文化が豊かになったり、宛名の機械読み取り技術が上がっていったり、パソコンや携帯電話の登場で年賀状の勢いが衰えるまでの長い時代が1年ずつ、切手の写真とともに書かれている。労働組合の激しい運動によって年賀状が配達できなかった年や、繰り返された郵便価格改定時のトラブルなど、うまくいかなかった年も多くて面白い。

最近ではハガキの年賀状を出す人は少なくなっていると思うけど、それでもまだまだ毎年お正月になると誰かから届くし、届いたら返したりする人も多い。

減ったとは言え、官製年賀ハガキは2011年1月1日にも35億枚以上発行されており、ピークの1989年度には42億枚近くが発行されていたという。最近出さなくなった人にも、まだまだ出してる人にも、政治や経済、文化と有機的に影響し合う「年賀状で読む戦後史」は、どこかしら楽しめると思います。
(香山哲)