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替え玉? 自殺? アメリカの謀略? 戦後最大級の未解決事件・下山事件2

2014年7月7日 09時00分

ライター情報:近藤正高

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松本清張『日本の黒い霧』(新装版・上巻、文春文庫)
戦後日本の怪事件をとりあげた松本のノンフィクションの代表作。下山事件をめぐる論争にふたたび火をつけた「下山国鉄総裁謀殺論」はその巻頭に収録されている。
作家やジャーナリストのなかには下山事件の謎に取り憑かれた者も少なくなく、「下山病」という言葉もあるほどだ。その“患者”には本文でとりあげた松本や佐藤一のほか、『謀殺 下山事件』を著した朝日新聞の元記者・矢田喜美雄、柴田哲孝らの取材にも協力した共同通信社の元記者・斎藤茂男といった名前があげられる。

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いまから65年前の7月、その前月に発足したばかりだった日本国有鉄道(国鉄、現JR)の総裁・下山定則が怪死するという事件が起こった。いまなお謎の部分の多いこの事件は、前回紹介したとおり、手塚治虫の長編マンガ『奇子(あやこ)』(1972年)でもとりあげられている(ただし作中では下山は霜川となっている)。

とある地方旧家の人々を描いたその作品中、一家の次男である天外仁朗がGHQの秘密工作員として、下山事件の予行練習として行なわれたと思しき殺人事件に関与する。殺害対象となったのは民進党(共産党がモデルだろう)の地方支部長・江野正。仁朗は、地元の駅で下車した江野を指定された場所まで連れて行き、べつの男たちに引き渡すという指令を与えられる。さらに30分後、同じ場所に戻り、そこに停められた車のなかにある人間の死体を、車ごと指定の線路まで運ぶ。そして死体を線路上に置き、車は放置したままさっさとその場を離れろ――というのが、GHQから仁朗に課せられた使命だった。

実行当日、仁朗はたしかに駅から江野と思しき男を指定場所まで案内し、そこで待っていた男たちに引き渡す。30分後、仁朗は同じ場所に戻り、停められていた車のなかの死体を確認するが、それはさっき彼が案内した男とはそっくりだが別の人間であった。死体は指令どおり線路上に置かれ、翌朝、バラバラになって発見される。

タネ明かしをすれば、仁朗が案内したのは江野ではなく替え玉であり、車の死体こそ江野本人であった。江野は東京ですでに殺されており、車で運んだうえ、わざと列車に轢かせて自殺に見せかけたのだった。

じつは下山事件でも替え玉説が取り沙汰された。手塚治虫はおそらくそれを踏まえて、先のような話を描いたものと思われる。替え玉説の前提となるのは、行方不明となっていた下山定則を、遺体発見現場近くの旅館やその周辺で目撃したという複数の証言だった。

■失踪後も何度か目撃された下山総裁
下山が行方不明となったのは1949年7月5日のこと。その朝、東京都大田区の自邸を、運転手つきの乗用車で出発した下山は、午前9時37分ごろ、三越日本橋本店に車を着けさせ、そのまま店内へ入って行った。下山は普段より車を何時間も待たせる癖があったので、この日も運転手は夕方まで待っていたが、午後5時になってカーラジオからのニュースで初めて総裁が行方不明になったことを知り、警察に通報する。

遺体発見後の捜査のなかで、三越に入って行ったあとの下山を目撃したとの証言があいついだ。

ライター情報

近藤正高

ライター。1976年生まれ。エキレビ!では歴史・科学からドラマ・アイドルまで手広く執筆。著書に『タモリと戦後ニッポン』(講談社現代新書)など。愛知県在住。

URL:Culture Vulture

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