「料理研究家」という職業は不思議だ。レストランで腕を振るうシェフでもなく、大学で論文を書く研究者でもない。
最近ではそういう人もいるが、料理研究家と聞いてまず頭に思い浮かべるのは、テレビで上品な笑みを浮かべながら家庭料理を教えてくれる女性である。

料理研究家とは、いつから登場し、一体どんな存在なのか。これを理解するのに役立つ書籍が『小林カツ代と栗原はるみ―料理研究家とその時代』(阿古真理著、新潮社)だ。2014年に亡くなった小林カツ代や、現在も現役の栗原はるみなどを対比しながら、それぞれの活躍した時代や、求められる資質を分析する「本邦初の料理研究家論」。

同じ著者の「昭和の洋食 平成のカフェ飯 家庭料理の80年」は、レシピ本や料理マンガ、小説など各種メディアの情報から家庭料理の歴史を紐解いた内容だったが、今回はぐっと料理研究家に焦点が絞られている。

昔の料理研究家はセレブリティ


小林カツ代はアジテーター、栗原はるみはアイドル 「本邦初の料理研究家論」がすごい
『小林カツ代と栗原はるみ―料理研究家とその時代』(阿古真理著、新潮社)

本書によると、家庭料理のレシピを考えたり教えたりする料理研究家は明治に誕生した。女性向け初の料理教室が開設され、女学校が正式な高等教育機関に認められた時代だ。
『主婦之友』などの主婦雑誌も創刊されたころで、料理研究家は西洋料理を日本向けに改良したライスカレーやコロッケのような洋食のつくり方を主婦に教えていたという。

料理研究家の存在感が一気に増すのは、その後の戦争が終わってから。テレビが登場して料理番組がスタートすると、毎日の料理の献立に悩む主婦から支持され、30%もの高視聴率をたたき出す人気番組まで現れた。

本書を読んで驚かされるのは、初期の料理番組に出演していた料理研究家のセレブリティぶりだ。テレビ初の料理番組「奥様お料理メモ」で起用されたうちの一人の江上トミは、裕福な地主の父を持ち、母方の祖母は肥後細川家の重臣。結婚後は陸軍の夫とともに渡仏し、パリの一流料理学校、ル・コルドン・ブルーでフランス料理を学んだ経験を持つ。


NHK「きょうの料理」などのテレビ番組で活躍した飯田深雪は外交官の夫の勤務先であるシカゴ、カルカッタ、ロンドンで本場の料理を体験している。「憧れの欧米の世界を知りたい、という人が多かった高度成長期は、海外体験の豊かさが求められた」という。

セレブリティな料理研究家の教える料理はなかなか本格的だったらしく、江上のビーフシチューのレシピは、当時の日本人には馴染みの薄いタイムやローリエなどのハーブを使い、調理時間は2時間もかける。同書は具材にバリエーションが少なく基本的調理法が共通しているビーフシチューを「定点観測」することで料理研究家の個性をあぶりだす手法を取っているが、後の世代の料理研究家のレシピと比べると明らかに手間がかかっているのがわかる。

小林カツ代と栗原はるみの違い


時代の変化とともに料理研究家に対するニーズも変化していく。80年代に入ってパート仕事で忙しい既婚女性が増えたときに、強烈に支持されたのが小林カツ代だった。
第2章は「小林カツ代の革命」と題されているように、それまでの料理の常識をくつがえした功績を紹介している。少量の油を使う揚げものや、フライパンでの煮ものなど、数々の家庭料理を生み出した。

90年代に脚光を浴びる栗原はるみは小林カツ代と10歳差で、どちらもかなりの人気があるが、両者の違いを本書では以下のように記している。

「家庭料理の常識に挑戦し続けた小林カツ代は、アジテーターと言える。常識をくつがえすような価値観を提示するアーティストでもあった。ファンは思ってもみない新しい世界を知って驚くのである」
「彼女は、偶像の栗原はるみが実生活から乖離しないように、自分を主婦と位置付けているのである。
私生活をネタにするスタンスは作家的とも言えるが、私が彼女をアーティストではなくアイドルと考えるのは、その親近感による」


小林は主婦と呼ばれるのを嫌がったが、栗原はあえて自身を主婦と名乗る。栗原が人気を得た90年代はバブル経済崩壊や共働き世帯の増加があり、そんな中でも主婦は「人生の主役で居続ける」ことを女性誌ファッション誌で奨励された。結婚、仕事、子供のすべてを満たし、女性ヒエラルキーのトップにいると見られたのが栗原だったそうだ。

本書では料理研究家の歴史を扱いながら、それぞれの人物が支持される時代的な背景も浮かび上がらせる。料理研究家を「本格派―創作派」と「ハレ―ケ」の2軸でマッピングしたマトリクス図がまえがきにあり、これを見るだけでも理解が深まる1冊だ。
(小島カズヒロ)