「この世界は儲かるで。だから夢があるねん。
めっちゃ儲かるし、めっちゃ大きい家に住めるし、めっちゃいい女抱けるで。好きな車に乗れる。それががんばれるエネルギーやねんから」
場所は、NSC(吉本総合芸能学院)。
島田紳助が、喋っている。
「いっしょやった、昔は。いっしょいっしょ。
パチンコ行って二千円負けて、なんでパチンコ行ってしもたんやろ、って半日悩んでたもん。いっしょいっしょ」
聞いているのは、漫才師の卵たち。特別講義だ。
「でも、夢が叶っていくと残念ながら夢を失っていってるから。たぶん君らとぼくが、一対一でお酒飲んで、夢を語り合ったら、残念ながら君らの勝ちやで。いっこだけ負けてるとしたら、それやな。
それ思うと泣けてしまう」
そう言いながら、紳助の目がうるうるしてくる。
「10億で売ってくれるんやったら変わってほしいもん。だから、いっぱいお金持ってる俺が100パー君たちに勝ったと思ってへんねん。
な、何が負けてるか。夢の数、若さ、負けてんねん。神様が売ってくれる言うんなら、10億払う、お金なくなってもいい」
2007年3月12日、吉本総合芸能学院。
2時間喋りっぱなしのラストだ。
「ということは、いまみんな10億円ぶん持ってんねんで。ただ、このまま50になったら何もなしや。だから、漫才は一回目。これがあかんかってもすべて終わるちゃうねん。でも一回がんばってみよ、いまの方法で。
あかんかったら、違うことがんばろ。またんまだまだ大丈夫、夢がいっぱいやもん」

この特別講義は、DVD『紳竜の研究』に収められている。
「紳竜の証」と「紳竜の絆」の2枚組。
「紳竜の証」には、1980年から1982年、紳竜の漫才が15本収録されている。オーディオコメンタリーで、島田洋七の解説が入る。
「紳竜の絆」は、前半がドキュメンタリー。
沖縄にいる紳助のところに竜介が倒れたという電話が入ってくる。紳助は大阪に戻る。というシーンからはじまる。
紳助は、50歳になったらコンビを1日復活する予定だったと語る。
「なつかしいネタをやるんじゃなくて、いまのリアリティでやりたかった」
つなぎを着て、50歳になった紳助竜介が、50歳のふたりとして漫才をやるという構想だ。
「おまえ人間かわってしもうた。
あのころのお前はどこにいってん!ってツッコミをいっぱいウケながらね」

後半が、冒頭で紹介した特別講義だ。
「わかりやすくいうと0から5まで。才能も、努力も、0から5まで。才能5の人間が5努力すると5×5=25で最高点。
ひょっとしたら、5の努力をしてないんちゃうか。やったつもりでも、間違って努力してるかもしれん。
1の努力しかしてへんかったら、才能が3、4あっても、かけたら3、4にしかならない。そういう結果しか出てへんこがいるかもしれないからね。
だから、ぼくが伝えられるのは努力の方法だけ」
真摯な喋り方、場の緊張感が伝わってくる。
「すごい努力してますね、って言われるけど、まったくしてないよ。掛布さんも同じこと言う。虎風荘で、寝る前に毎日500回バットふってた。だからミスタータイガース、掛布になれた、と言われる。紳助さん、違うんですよ、と。プロなったら、毎日500回ぐらい全員素振りしてますよ。それ努力といえますかね」
ただがむしゃらに努力してもダメだと言うのだ。
「意味なく500回素振りしたら腕太くなるだけやで。みんな、してる。一所懸命してる。筋トレやねん、そんなものは。意識して、500回のうち1回1回をイメージして。ピッチャーがおって、それが誰で、何球目で、どう投げるか、イメージして、意識して、500回振る」
DVDを観ながら、ぼくはうなる。語りのうまさ。説得力の持たせ方。すごい。
「ボクサーは1日3時間以上練習したらオーバーワーク。ものすご漫才師と似てると思う。異常な練習はダメ、たくさん練習したらダメ。いっぱいネタあわせして、気持ちよくて、うまくなった思うのよ。でもそれは、うまくなったんでも面白くなったんでもない、たんに馴れただけ。ネタは必要以上の練習はしない。そんなことより、もっと基本的なことしなあかん」
その基本的なことを、どうやればいいのか。紳助は、具体的に自分の例を織り交ぜて、熱く語る。

基本的なリズム感の作り方、漫才の教科書を作った話、分析の方法、相方の探し方(仲の良いやつ探しにきてるんじゃないから、自分に必要なやつを探さなあかん)、「ザ・マンザイ」に向けてネタをどう作っていったかという体験談、ダウンタウンの出現をどう感じたか、同期が誰かっていうところからの戦略、脳で覚えるんじゃなく心で覚えるということ、テレビでの喋り方(どんな話でも30秒越えたらすべってんねんからな)、M1で勝つ方法などなど。

紳助は、何度も「ウソをついたらあかん」という。本当だと自分が思っていることだから、本気になれる。
「きよしさんが一万円落ちてた、言うたら、お客さん『そんなことがあったんか』と信じる。でも、若造のおれらが言うても、信じてくれん。それでオチにいっても、軽いよ、そりゃ。どうしたら信じてくれるか。必死しかないよ。ほんまや、と」
紳竜の漫才は、必死だった。
「ウソをついたらあかん」けれど、同時に、本当のことをそのまま出すだけでもダメだ、とも語る。
「そんなおもろいことあらへんで。勝手におもろーしないといかん。まさに料理人と思うねん。たとえばキャベツがあるやんか。素人は、調理人と違ごうて、キャベツはキャベツにしか見えへん。でも、おれキャベツ見たときな、このキャベツこうしたらおもろいんちゃうか。こうしたろ、わ、おもろ。って勝手に思うねん、それ喋ってるだけ」
体験や自分のことを話すときでも、同じだ。
「友達と一緒に体験したこと、何ヶ月後かに喋ると、俺の友達言いよんねん。『あんた原型ないやん』 そら、ないよ。だってもとはキャベツだった、キャベツを料理したらああなんねん。でないと、生きてて、あんなうまく完成した料理に出会わへんで」
紳助、突然の芸能界引退!というニュースをぼくが知ったのはネット上で、だ。
なにしろウチにはテレビがない。
「一瞬てっぺんに半年くらい上った」という時期の紳助をテレビで見たこともない。
だから、騒ぎになってることも、よくわからない。
今回の引退の理由が、うまく料理された話なのかどうなのかも、よくわからない。
そんなぼくでも、島田紳助が、話をおもしろくしたり、感動的にしたりする才能を持ち、努力をした人だということは、わかる。
このDVDを観るだけでもそれが伝わってくるし、そのノウハウが惜しげもなくあかされる講義映像は、勉強になるなーという以上に、感動さえしてしまう。
こういった作品(漫才やテレビやDVD)は、作り出した本人の考え方ややってきたことから生まれてきているはずだ。だけど、生まれてきた作品は、作品だ。制作者のプライベートは関係なく、それを越えて、作品そのものを、楽しんだり、感動したりしても、いいはず。
ぼくは、DVD『紳竜の研究』を何度も見返したし、何度も、すごいなーって感動する。心が動かされる。今回、改めて観て、その気持ちはまた大きくなった。(米光一成)