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原発、尖閣諸島、新幹線……みんな角栄からはじまった。没後20年、田中角栄の功罪を検証

2013年12月16日 11時00分 ライター情報:近藤正高
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田中角栄『日本列島改造論』日刊工業新聞社
1972年7月の自民党総裁選を前に、政権奪取のため田中が刊行したマニフェスト的著書。そこでは、地方と大都市の格差を埋めるべく、高速交通・通信網の整備や大規模開発が提案された。

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1993年12月16日に元首相・田中角栄が75歳で亡くなってから、きょうでちょうど20年が経つ。この年の夏の総選挙では自民党が議席を大きく減らしたのに対し、新生党や日本新党といった新勢力が躍進、選挙後には8つの党会派が組んで、細川護熙(日本新党)を首相とする非自民連立政権が発足していた。

そういえば、私の通っていた高校の二学期の終業式で、校長が「新政権が発足したのと入れ替わるように、旧時代の遺物である田中角栄が亡くなり……」みたいなことを話していたのを思い出す。それを聞いて私は、「何言ってやがる、細川護熙も新生党の羽田孜も小沢一郎も、みんな元はといえば田中派じゃねえか」とツッコミを入れたものである。心のなかで。

この20年のうちに、田中派の流れを汲む自民党の平成研究会は、かつて党内最大派閥だったことが信じられないほど縮小するとともに、田中の愛弟子である小沢一郎が自民党を飛び出して進めた政界再編の動きは、2009年の総選挙での自民党から民主党への政権交代を最大の山場として、1年前の総選挙における自民党の政権復帰により大きな区切りを迎えたといえる。

こうした流れだけ見れば、政界における田中角栄の継承者たち(実の娘の眞紀子も含め)の勢力は、衰える一方だといえる。しかし、だからといって角栄の影響力が跡形もなくなったのかといえば、けっしてそうではない。たとえば、田中内閣時代の1973年に整備計画が決定された新幹線5路線(いわゆる整備新幹線)のうち、東北新幹線の盛岡~新青森間と九州新幹線の博多~鹿児島中央間はすでに全通し、北陸新幹線や北海道新幹線も全線とはいかないまでも、大部分の区間がここ数年のうちに完成を予定している(残る九州新幹線の長崎ルートも、昨年、諫早~長崎間が着工された)。

田中を語るうえでは、ロッキード事件の関与などに代表される金権政治や、自民党内での激しい派閥抗争など、さまざまなキーワードがあげられる。この記事では、とくに彼が首相時代に手がけた政策、それも現在の政治・社会が抱える課題にも大きく影響をおよぼしている「エネルギー政策」と「日中国交正常化」についてとりあげたい。

■エネルギー危機の回避策が招いた危機
田中は、それまで日本がアメリカの国際石油資本(石油メジャー)に大きく依存していた石油供給ルートを、より多様なものへと拡散するとともに、石油依存そのものから脱却するべく原子力発電を推進、それに必要な濃縮ウランの確保をめざした。

ライター情報

近藤正高

ライター。1976年生まれ。エキレビ!では歴史・科学からドラマ・アイドルまで手広く執筆。著書に『タモリと戦後ニッポン』(講談社現代新書)など。愛知県在住。

URL:Culture Vulture

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