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「六輔その新世界」最終回。82歳・元祖フリートーク「永六輔」はもはや「ラジオの精霊」なのか

2015年9月26日 10時50分 ライター情報:近藤正高
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TBSラジオで1991年4月から24年半放送されてきた「土曜ワイドラジオTOKYO永六輔その新世界」(午前8時30分~午後1時)が、きょう9月26日の放送をもって終了する。

同番組でメインパーソナリティを務めるタレント・永六輔は今年82歳。しかも近年はパーキンソン病やケガで治療・リハビリを繰り返しながらも、毎週4時間半もの長丁場を担ってきたことにただ驚くしかない。「土曜ワイドラジオTOKYO」の枠は漫才コンビのナイツに譲るとはいえ、来週28日からはTBSラジオの新たなレギュラー番組として「六輔七転八倒九十分」(月曜夜6時~7時半)が始まるというから二度驚かされる。

ラジオとのかかわりは中学時代から


永六輔は1933年、東京・浅草の最尊寺の住職の次男として生まれた。永がラジオに携わるようになったのは、中学2年生だった1947年にまでさかのぼる。敗戦後の連合軍占領下にあったこの時代、日本にはまだ民間放送はなく、ラジオはNHKだけだった。

永少年は、政治などへの風刺をふんだんに盛りこんだ番組「日曜娯楽版」に憧れ、自身も時事コントを投稿するようになる。投稿はかなりの確率で採用され、そのうちに原稿料で学校の月謝が払えるぐらいになったころ、NHKからスタッフが足りないからコントを書かないかと声がかかった。当時日比谷公園の向かいにあったNHKへ永が出かけると、ディレクターに会う前に玄関で「子供は入ってくるんじゃない」と追い出されてしまったという(永六輔『上を向いて歩こう 年をとると面白い』)。結局、NHKでコントを書くのは高校に入ってからになるのだが、それでも十分に早いデビューである。
『上を向いて歩こう 年をとると面白い』(さくら舎)。表題に掲げられた永六輔自身が作詞した同名曲をはじめ、日本人と歌のかかわりをつづった一冊。

永の初めてのラジオ出演も「日曜娯楽版」だった。同番組には「冗談スリラー」というコーナーがあり、そのオープニングでは毎回、レギュラー出演者の丹下キヨ子が「ギャーッ」と叫ぶ演出だった。やがて丹下は番組を降板、このとき代役に指名されたのが永だった。

「日曜娯楽版」の制作の中心人物だった作詞・作曲家の三木鶏郎は、1951年以降、民放が各地で開局するとCMソングを多数手がけるようになる。56年には、三木によって民放の番組やCM制作を請け負う「冗談工房」という会社が設立された。永はその初代社長に据えられる。このとき弱冠23歳の永青年は、ラジオだけでなく、その3年前にNHKテレビと日本テレビが開局して以来、テレビでも放送作家として引っ張りだこだった。

ライター情報

近藤正高

ライター。1976年生まれ。エキレビ!では歴史・科学からドラマ・アイドルまで手広く執筆。著書に『タモリと戦後ニッポン』(講談社現代新書)など。愛知県在住。

URL:Culture Vulture

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