「稲盛和夫」--今や、この人の名を知らない人は少ないだろう。ビジネス情報に疎い昨今の大学生でも知っている。
今さらいうまでもないが、京セラの創業者で、破綻した日本航空JAL)を無報酬で再生に取り組み、蘇らせた経営者である。松下幸之助氏は昭和の「経営の神様」と呼ばれたが、稲盛氏は平成の「経営の神様」と称されており、当サイトでもたびたび取り上げられてきた。

 企業の経営、再建をめぐっては、どのようなケースでも評価は分かれる。稲盛氏もしかりである。JAL再建以前から稲盛氏に対してはさまざまな評価がつきまとう。稲盛氏を絶賛する一方で、稲盛経営の特殊性を非難するジャーナリストも少なくない。

「濃い企業文化」を持つ企業にはありがちな評価だ。そのような情報、オピニオンは、すでに書き尽くされているため、今さら取り上げるほどの話題でもないだろう。

 ましてや、そうした見方が核心を突いているか否かは、より経営を洞察する力を持たなければ断定できない。また、経営者も一人の「弱い人」であるとすれば、その思想、行動は、時間の経過とともに変わっていくものである。「弱い人」の一人であるジャーナリストが、過去の事例だけで、人の姿を100%断定する叙述は歯切れよく感じられるが、本質を論じるには不十分で断片的分析でしかない。筆者も「弱い人」であるがゆえに、不完全な批判的文章を書いたこともあるが、それはあくまでも明らかに表面化している事象に対してであり、人については、長所とのバランスを常に考慮している。

 経営学、社会学、文化人類学では、民族誌学的な調査方法も用いたエスノグラフィック・リサーチなるものを応用する。これは、アンケート、統計分析などの定量的方法ではなく、デプスインタビュー、ユーザビリティテスト(ラボテスト)、観察調査、コンテクスチュアルインクワイアリーなどの手法により、潜在的な情報を探る精緻な調査を指す。記者会見での公式見解や、1~2回ほどインタビューしたレベルのものではない。経営、経営者の実態を論じるには、少なくとも企業や経営者に張り付き、エスノグラフィック・リサーチを実施する必要がある。このようなアプローチでは、重箱の隅をつつくようにあらを探すよりも、学びのある長所に目を向ける場合が多い。短所を指摘する際も失敗の要因を究明し、今後の参考になるような提言をするように努める。

 このような指摘をしても、ブラックな情報を好む読者、さらには今でも否定的情報だけが受けると思い込んでいる旧態依然としたメディア、そのニーズに呼応しようとする、もしくは、「是々非々主義」を口にしながらも、批判こそ使命と確信してやまないジャーナリストは共感しないかもしれない。それは、そのような人たちのスタンスであり否定はしないが、異なった多様な見方があることも理解していただきたい。

 このような前置きを前提に問いたい。世の中は否定的な情報ばかりに興味を示しているのだろうか。

●稲盛本ブーム

 この問いを検証する上で、2013年に起こった「稲盛本ブーム再燃」は無視できない。前向きのコンテンツに関心を示している知的大衆の潮流が明確になった。

「造られたブーム」と指摘する人もいるが、それにしては、あまりにも多くの人が稲盛本を手にとっている。今や、14の出版社から60点が発行されている。

 その中でも、注目されるのが、04年に出版され13年において累計100万部を突破しロングセラーとなった『生き方』(サンマーク出版)である。「次は200万部を向こう5年ぐらいで達成してほしい」(藤井武彦・トーハン社長)というほど、出版流通業界でも期待されている。また、「日本だけでなく、アメリカ、ロシア、中国など十数カ国で翻訳出版」(古屋文明・日本出版販売社長)されており、「中でも中国では150万部を突破、海賊版を含めると300万部になる」(植木宣隆・サンマーク出版社長)という。

 紀伊國屋書店の高井昌史社長は「売れたと言ってもすぐに消えていく本が多い中で、企画から7年待ち続け完成したこの本が、数少ないロングセラーの一つになっているのは、16年連続で前年実績を割っている出版業界にとっては大変喜ばしいこと。

これからは日本だけでなく、海外市場でもさらに部数を増やし、クールジャパンを体現してほしい」とエールを送る。

 今年9月に発売された『燃える闘魂』(毎日新聞社)も10万部を超す勢いだが、今のところ『生き方』が稲盛本の中では突出した存在感を示す。中小企業経営者を対象に「稲盛哲学」を教授する「盛和塾」でも、この本が事実上のバイブルとして読まれている。サンマーク出版の編集者は「稲盛哲学をトータルにまとめた本が意外にもなかった。その隙を突いた格好です」と勝因を説明する。

 盛和塾に参加している経営者によると「私たちにとって稲盛さんは神です。

外の方には温厚な表情で接しておられますが、経営を指導するときは別人かと思われるほど厳しい」という。

 その厳しさは、10年から2年かけて企業再生支援機構の支援のもとに断行されたJALの再建でも如何なく発揮された。これまで基本的に人員削減を行ってこなかった稲盛氏も、JALの再建では血税がつぎ込まれたこともあり、いわゆるリストラを断行した。早期退職した人たちの感情は悲喜こもごも。その中には、「元JALキャビンアテンダント」と略歴に書き活躍している人も少なくない。同じく一度破綻したダイエーの元社員があまり過去を語りたがらないのとは対照的だ。JALを退職した人からは次のセリフを耳にする。

「辞めてわかりましたが、恵まれた良い会社でしたよ」

 破綻寸前でも、社員が「恵まれた良い会社」と思っていたJALは、企業文化が異なる京セラを経営してきた稲盛氏にとって「異国」だった。JAL社員から見ても、稲盛氏は黒船から上陸してきたペリー提督のように見えたのではないだろうか。しかし、異国で永住しても稲盛氏はまったく変わらず、「稲盛哲学」の軸はぶれなかった。

●非合理性を重要視する経営

 では、稲盛哲学に裏付けられた経営とはどういうものなのか。ここであらためてレビューしておこう。

「稲盛本」のラインアップを見ると、「経営」だけでなく、いわゆる「稲盛哲学」について書かれたものが少なくない。時を経るに従い、後者の比率が高まる。つまり稲盛和夫という「人」に世の中の関心が寄せられている。「経営は人なり」と主張する経営者や評論家、雑誌は少なくない。「人」という場合、性格などの属人的特性を指している。

 実際に稲盛氏にお会いしていると、多くの成り上がりに見られる傲慢さが感じられない。稲盛氏は読書からだけでなく、得度し悟った「人の弱さ」を心に据えているからだろう。稲盛氏の精神的支柱である仏教だけでなく、キリスト教も人は弱い存在であると教えている。文化圏を形成してきた伝統的宗教には、人を暴走させないための教えが多い。稲盛氏は80歳を超えた今も、自身の煩悩と戦い続けているように見える。

 稲盛氏を思想家的経営者として見ている人が多いが、思想の人である以前に、実利の人なのである。経営学のテキスト的にいえば、経営者は両方とも備えておかなくてはならない。だが、稲盛氏どころか、彼が敬愛した松下幸之助氏でさえ、起業当初から高邁な経営哲学を築いていたわけではない。経営が軌道に乗るまでは実利的、合理的に考えていたのである。ところが、その過程で泥水を飲みながら、人が織りなす「経営は合理的ではない」という側面にも高い関心を示すようになった。結果から洞察すれば、先に合理性があったからこそ、非合理性の重要性に気づき相乗効果を発揮できた、と考えられる。

●アメーバ経営と集団経営方式

 その集大成が「アメーバ経営」と呼ばれる独特の経営管理手法である。「アメーバ経営」「京セラアメーバ経営」は、京セラの登録商標になっており、他社に対してコンサルティングビジネスも展開、現在では300社以上の企業が採用している。

「アメーバ経営」を一言でいえば、小集団部門別採算制度に基礎を置いた全員参加型の分権的経営システムのこと。従業員の経営参加意識を持たせてモチベーション向上を狙った。企業組織を数名~50名程度のメンバーからなる自律的小集団の「アメーバ」に細分化し、効率性が徹底的にチェックされるシステムであると同時に、責任が明確であり、細部にわたる透明性が確保されている。各アメーバがお互いに協調、競争することでリーダー育成と継続的な創意工夫を促すとともに、経営環境の変化に即応できる体制をつくり、必要に応じて、分裂、新設、廃止が行われる。その様が細胞分裂を繰り返し、増殖するアメーバに似ていることから、この名が付いた。それを支えているものとして「京セラ会計学」なるものがある。稲盛氏は技術畑出身だが、経営における会計の重要性を次のように強調している。

「会計とは、企業経営において目標に到達するための“羅針盤”の役割を果たすものであり、企業経営にとって、なくてはならない重要なものです。そして、会計上の問題であっても、常にその本質にまでさかのぼって『人間として何が正しいか』をベースに正しく判断することが重要です。また、真実をありのままあらわすことが会計のあるべき姿であり、公明正大でしかも透明性の高いガラス張りで経営することが大切です。京セラ会計学は、会社の実態とその進むべき方向を正しく把握するための実践的な会計原則となっています」

 アメーバ経営の部門別採算制度においては、簡易管理会計システムである「時間当り採算」でアメーバが相互に比較される。製造部門は「(総生産-経費)/総時間」、営業部門ならば「(総収益-経費)/総時間」で算出。総時間はアメーバの定員の総労働時間に共通部門人員の応分を加えた時間である。総生産、総収入を最大化し、経費と総時間を最小化するのが目標。

 アメーバ経営の求心力になっているのが「京セラフィロソフィ」。この基本思想があるからこそ、経営者感覚を持った人材の育成が可能になる。つまり、アメーバ経営は、人材育成を究極の目標として、組織、管理会計、トップの経営哲学が補完的に影響し合うビジネスシステムであると言えよう。このような経営理念と管理会計を強く関連させる考え方は、欧米の管理会計の議論ではほとんど見られない。

 経営学の諸分野やマスコミにおいてアメーバ経営が注目され、「アメーバ経営を導入すれば必ず業績が向上する」という「アメーバ経営万能論」ともいえる思い込みが生まれた節もある。経営学には、優れたビジネスシステムを導入しても必ずしも成功するわけではない、という研究成果がある。トップのリーダーシップ、組織風土、社内パワー、教育訓練体制、新旧システムの調和など、さまざまな因子との整合性により、ビジネスシステムの長所が発揮されるか否かが決まる。経営理念と相性の良いビジネスシステムが稼働してこそ、企業は順調に成長を遂げられるのである。

 ワンマンなカリスマ経営者に見られている稲盛氏が、強いリーダーシップに基づくトップダウン経営ではなく、集団経営方式を強調するのは矛盾しているようだが、自分がいなくなったとき、京セラをどのように経営していくべきかを若い頃から探究してきたようだ。

●合理性だけで経営を考えること自体が合理的でない

 その背景には、創業間もない頃に起こった労働争議から得た教訓がある。ファインセラミックス技術を世に問いたいという自己実現のために、稲盛氏は起業し研究開発に没頭していたが、社員たちはその思いを理解せず、ついてこなかったのだ。稲盛氏は経営者の孤独を経験していた。そこで、社員になんのために働くのかを自覚してもらう目的で、「京セラフィロソフィ」として結実することになる稲盛氏の経営理念を、ビジネスシステムに落とし込むことにした。そして誕生したのがアメーバ経営なのだ。

 経営はシステムだ、経営は人だ、経営は理念だ、など持論を唱える経営者は多い。稲盛氏の経営哲学については「稲盛教」と揶揄する人もいる。たしかに、その言葉の響きからは、経営の非合理性を極めて重んじているようにもとれる。しかし、思想家である以前に稲盛氏は、経営の合理性を重んじる極めてプラグマティックな経営者である。これまでも稲盛氏は、JALだけでなく三田工業など数々の企業を立て直した。

 稲盛氏も完璧な存在ではない。それは、稲盛氏自身が最もよく認識している。他の創業経営者と同様、経営においても過激な部分が垣間見られる。その部分をクローズアップし、「京セラは元祖ブラック企業」とする指摘するジャーナリストもいることは承知している。そのような見方があることを踏まえながらも、念頭に置いておかなくてはならないのは、ベンチャーとして誕生し、無理に無理を積み重ねてきたからこそ急成長してきた歴史だ。豊かになった現在の基準から見れば、急成長した日本企業のほとんどが、かつてはブラック企業だった。

 かといってブラック企業を肯定しているわけではない。「ビッグデータ」が注目され、ビジネス誌などで「ハウ・ツーもの」が台頭している今こそ、浅薄な合理性追求にとどまらず、リーダー教育において「ビジネス・リベラルアーツ」の重要性を再考すべきではないか。

 非合理性と合理性の両方を理解し、そのバランスを保ちながら歳を年ねている稲盛氏からは、新しい時代に向けて模索している日本企業の未来を考える上で大きなヒントを得られるのではないだろうか。後継者育成、後継者候補に悩んでいる経営者、そしてリーダーになろうとしている人にとって、稲盛氏がビジネスシステム構築にかけた情熱と行動の軌跡は大いに参考になる。稲盛氏を「合理的」「思想家的」のいずれかの側面だけを見ていると大きな学びを見落としかねない。経営者、ビジネスマンの基礎力として合理性は必須だが、合理性だけで経営を考えること自体が合理的でない--これが稲盛氏から学べる点ではないだろうか。

 どのような地位にあれ、すべての人は長所と短所を持つ。欠点ばかりに目を向け、人に指を指していてばかりいても得るものは少ない。長所に学びあり--このような人びとの思いがベストセラーの背景にはあるのではないだろうか。
(文=長田貴仁)