指定暴力団・山口組の分裂抗争の最中、元後藤組組長の後藤忠政氏が3月24日に極秘帰国した。

 後藤氏は1984年7月、竹中正久組長(4代目)時代の山口組で直参に昇格。

渡辺芳則組長(5代目)時代の東京進出では先駆けとなって勢力を広げ、司忍組長(6代目)のもとで舎弟(司忍組長の弟分)に就任した人物だ。

 後藤氏は武闘派としても知られ、1992年には暴力団を描いた映画『ミンボーの女』の監督である伊丹十三氏を後藤組組員5人が襲撃するという事件も起こしている。その一方で山口組随一の経済ヤクザとしても知られ、直系組長の上納金が100万円であるなか、後藤氏は数千万円という破格の上納金を納め、組内での影響力を強めていったともいわれてきた。

 こうして“山口組のエリート街道”を歩んできた後藤氏だが、2008年10月、山口組の会合欠席や大物演歌歌手などを招いた派手な誕生日ゴルフコンペなどが問題視され、山口組から除籍処分を受けた。その後、天台宗の寺院で得度。10年には後藤組と創価学会の関係などを赤裸々に語った著書『憚りながら』(宝島社)がベストセラーになった。


 そんな後藤氏が山口組分裂抗争の最中に極秘帰国した理由は何か。ある指定暴力団関係者は、こう指摘する。

「後藤氏は山口組除籍後にカンボジアに渡ったが、その際に数百億円といわれる後藤組の資産を持ち出し、それを管理するために大手パチンコ店創始者の在日韓国人が東南アジアに銀行をつくったともいわれています。そして、後藤氏は現役時代から人脈を築いてきたカンボジアの政府・軍関係者に大金をばらまいて、カンボジア国籍を取得。その上『伯爵』の位までも手にし、現地で王侯貴族のような暮らしを送っていたが、最近になって様子が変わったようです」(指定暴力団関係者)

 この「後藤氏の変化」とは、山口組の分裂騒動に関係するのだろうか。

「除籍されたとはいえ、山口組の有力組長であった後藤氏の帰国は、抗争の帰趨に少なからず影響を与えるのではないか」(警察関係者)

●帰国の理由

 一方、抗争とはまったく関係ないという見方もある。


「今回の後藤氏の帰国と山口組の抗争は関係ない。後藤氏が望郷の念に駆られて帰ってきただけのこと。最近になってアルツハイマーの症状が出てきて、『日本に帰りたい』と漏らしていたらしい。後藤氏が除籍された背景には、改正暴力団対策法以降のシノギへの規制強化をめぐる6代目との対立があった。『除籍』というのも、山口組本家と最大の資金力を持つ後藤組が対立して組が割れることを防ぐための名目であり、事実上は最も重い『絶縁』を意味していたと認識されています。仁義なき戦いを繰り広げている山口組も、絶縁された男と再び縁を結ぶ理由はない」(前出・指定暴力団関係者)

 後藤氏の帰国について、前出・警察関係者は事実であることを認め、「芸能人や政治家がスキャンダルの際に逃げ込む都内の有名病院に入院した」と語る。
後藤氏の帰国は、混沌とする山口組の分裂抗争にどのような影響を与えていくのだろうか。
(文=編集部)