◆日本の津波被害
地震は数百kmも離れた場所を強く揺らすだけではなく、震源域周辺では、地面を隆起させたり沈降させたりして山や潟を形成したり、山地を切って直線的な近道となる通り道を作ったり、緩傾斜地という、農耕中心の集落形成に向いた土地も作り出す。こういった地盤の変動が海底下で発生すると、重力的に釣り合うジオイド面にしたがっている海面を、平衡位置から急激に上げたり下げたりと、ずらしてしまう。
津波の伝播速度は海の深さに依存する。大洋は深さ4km程度なので、沖合では概略200m/sである。津波の周期が10分とすると、津波が1周期分の時間進んだ距離が津波の波長になるので、波長は120km である。津波の波高はだいたい数m以下、超巨大地震でも30mにもならないので、半波長60kmの距離で最高地点と最低地点とで海面の高さが60m違うとしても、水平距離に対して高さの差は1/1000のわずかな違いである。当然船から見てもまず風による波浪に紛れて認識できない。しかし海岸に近づいて水深が浅くなると、速度がどんどん遅くなり、波長も短くなるので、半波長の距離に対する波の高さの比率が大きくなって、目視でも通常の海の波浪とは異なる波だと認識できる。津(入り江)に入ってくると初めて認識できる波なので、日本では「津波」と名前が付いたのである。
名前を付けるほどよく経験される事象なので、地震の大きい揺れを感じたら、昔から沿岸部の日本人は高台へと避難していた。感心するのは、数世代大津波被害が途絶えていたはずの西日本の四国や紀伊半島沿岸で、1707年宝永地震の時には、住民は迷わず高台へ逃れ、一昼夜は戻らずに居たことである。そのためか、大津波で集落ごと流失したところが多い土佐でも、死者は多くない。かなりの住民の命だけは守れたのである。津波の襲来頻度がもっと高い三陸リアス沿いの浦々では、近代になってからだけでも、1896年、1933年、1960年と、揺れの弱い津波地震、海溝軸外側の太平洋プレートのアウターライズが曲げ応力に屈して破壊した恐怖を感じる揺れを伴う正断層地震、地球の反対側からほぼ1日かけて伝播してきた長周期の遠地津波、と地震のタイプこそ違えども、生涯で数度の大津波被害を経験している。海辺近くに暮らす者たちは、大揺れだったら高台へ、ゆらゆら揺れたらさらに高い所へ、潮が異様に沖まで引いたらすぐに高台へ、と津波から命を守る知恵を次世代へと代々受け継いできた。
太平洋岸は西南日本でも東日本でもこのように津波から生き残るための高所避難を伝承してきたのだが、東西で津波災害に関して決定的な違いがある。東日本は海溝軸も遠く、巨大地震の震源域までの距離がある程度大きいために、地震発生から15分以上津波避難に費やせる時間がある場合はほとんどである。避難の余裕があるため、昔の簡単な船であれば、漁師は地震の揺れを感じてから急いで沖合まで船を移動して流失から守れる場合が多かった。一方の西日本では、巨大地震の震源域が沿岸部付近と近いため、津波の到達が早い。
2011年の東日本大震災の際には、三陸リアスの住民の多くは、最近の津波災害記憶である1960年チリ地震による津波を想起したようである。この津波は高さや流速よりも、長周期であることに特徴があったが、2011年は高くて速くて遡上範囲も広い大津波であった。未経験の強く長い揺れに反応して生存本能的に「普通」よりもさらに高所へ向かわなかった場合は、チリ津波では大丈夫な避難所の多くが、残念ながら決して安全ではなかった。津波被災頻度が格段に低い仙台湾以南の南東北や関東地方では、そもそも揺れによって津波を想起して高所避難を開始しなかった人が少なくなく、轟音とともに押し寄せる波を見てからの避難で逃げ遅れた率が高くなった。
津波が高くなる所や、遡上し易い場所などは、沿岸部の海底地形や、川の流路などで決まる部分が大きく、津波災害には地域性が著しい。
[書き手] 松浦 律子(まつうら りつこ・(公財)地震予知総合研究振興会上席研究員)
『日本歴史災害事典』(共編著)吉川弘文館2012年、『日本被害地震総覧 599-2012』(共編著)東京大学出版会2013年
【書誌情報】
地震災害と地震学: 被害・観測・研究の1400年著者:松浦 律子
出版社:吉川弘文館
装丁:単行本(240ページ)
発売日:2026-02-27
ISBN-10:4642016767
ISBN-13:978-4642016766