AV女優「渡辺まお」としてデビューし、人気を博すも早大卒業とともに現役を引退。その後、文筆家「神野藍」として活動し、著書『私をほどく~ AV女優「渡辺まお」回顧録~』を上梓した。

いったい自分とは何者か? 「私」という存在を裸にするために、神野は言葉を紡ぎ続ける。連載「揺蕩と偏愛」#30 「人ってあまり変わることはないんじゃないか」



人間ってあまり変わることはできないんじゃないか【神野藍】連載...の画像はこちら >>





【夢の中の私】



 私が私の夢を見るようになったのは、いつからだろうか。



 どこまでも白が続いていく空間に私は立っていて、視線の先には



 必ず、姿を変えたもう一人の私が佇んでいる。きまって、私はその私に対して何の手出しもできず、ただ石のように固まったまま眺めていることしかできなかった。とある日は遠くをぼんやり眺めている幼少期の私が、とある日は瞼を泣き腫らした少女の私が。そして今日は、傷だらけで血を滲ませた私が現れた。震える手で小さな刃物をこちらへ突き立てて、口元を歪ませて笑っている。一歩、また一歩と近づいてくる。息の吹きかかる距離まで来たとき、その私は私に言った。



 「決して忘れるな」と。



 咄嗟に瞼を開くと、先ほどまでの白の世界とは対照的な、光の刺さない空間が広がっていた。一瞬どこにいるか分からなくなり、首を左右に振ったが、そこは見慣れた自室に過ぎなかった。

泥のように重い身体を起こし、枕元のコップに手を伸ばす。すっかり温くなった水が喉元を通り過ぎる感覚を苦く味わいながら、サイドテーブルに置いてある錠剤の抜け殻を見つめた。あれほど医者から「アルコールと一緒に飲むな」と言われていたのに、昨晩の私の頭からは綺麗に抜け落ちていたらしい。



 見たくない夢を見せられるのは、当然の報いだった。そんな自分に小さく舌打ちをして、空になったコップを手にキッチンへと向かう。中途半端な睡眠時間のせいで足元がふらつきかけたが、気にも留めなかった。冷蔵庫から冷えた水を取り出し、グラスに注ぐ。どこまでも澄んだその水を見つめていると、先ほどまでの夢が透明な底からふわりと浮かんできた。





 ここ一年で、私の進む道は蜘蛛の糸のような危うさから、硬いコンクリートの上へと変わった。どこに顔を出しても友人がいて、カレンダーからは空白の方が少なくなった。かつては止まることを知らなかった言葉の嘔吐も、いつの間にか蛇口を開閉するように、自分でコントロールして流せるようになった。一言で括るなら、安定していた。

ずっと喉から手が出るほど欲しかった穏やかな凪がここにある。ただ不思議なことに、現実の私が笑う時間が増えれば増えるほど、夢の中に出てくる私の翳りは深くなっていく。それが分かっていながら、私は今日も外の世界へと出かけていく。スマートフォンの写真フォルダに収まっている「幸せそうな私」の画面を指でなぞりながら、奇妙な状況をどこかで弄んでいた。



 私は血中に溶けたアルコールを感じながら、夢で会える私を求めて、瞼を閉じることを繰り返した。





【安定という名の麻酔】



 安定という名の麻酔を打たれ、痛覚を失いかけている現実の私に、あの傷だらけの私は「決して忘れるな」と刃を突きつける。それは呪いという名の、私を引き留めるための救いだった。カレンダーの空白を埋め、他愛もない会話の蛇口を器用にひねりながらも、私はあの白い空間にいる、血を流した私を愛おしく想ってしまう。その歪な渇きだけが、私が私であることの唯一の証明だった。



 小さなグラスの縁から溢れ出した水が、私のつま先を濡らしたところで、私は目の前の現実に引き戻される。溢れた水を拭こうと手を伸ばしかけた瞬間、脊髄の真ん中を、切り裂くような何かが走り抜けた。



 そのまま呼吸することさえ忘れて、私は真っ白な原稿に向かい、ただひたすらに文字を埋めていく。

そうしているうちに、身体のふらつきはいつの間にか消え失せ、再び心地よい静寂が、私の内側をゆっくりと漂い始めていた。



 そうだった、私は私だ。



 夢の中の私が深く傷つくほどに、現実の私の言葉はより鮮烈に、ちゃんと走り続けてくれる。それが現実の穏やかな凪だろうと、夢の中の血塗られた嵐だろうと、こうして言葉を紡いでいる瞬間の私だけが、間違いなく、私だった。





文:神野藍

編集部おすすめ