「あなたはどうして海外へ?」

 世界100の国・地域で生きる100人の日本人に、ライター・おかけいじゅんがインタビュー! 日本を飛び出て外国に移住したきっかけや、気になる現地での生活事情を深掘りする。

18歳から20年間介護…38歳で「自分に休暇を」とエジプト移...の画像はこちら >>
(本記事は『世界へ飛び出た100人の日本人』より一部を抜粋し、再編集したものです)

家族の介護をしながら、趣味で考古学を学ぶ

――エジプトで発掘調査に関わっている碧さんですが、そもそも考古学に興味を持ったきっかけとは?

 幼いころから考古学は身近な存在でした。遺跡の発掘が多いことで知られる東京の府中市の生まれで、小さいころから発掘現場を見ていました。
私も発掘がしたくて、母に長野県の野尻湖での市民参加型の発掘に連れていってもらったくらいです。この発掘にはいまでも帰国時に参加しています。

――その後、考古学はどこかで専門的に学んだのでしょうか?

 私の場合はかなり特殊です。少し話がずれますが、私が高校を卒業したころ、大叔母と大叔父、父方の祖母、母方の祖父母と家族の多くに介護が必要だったため、18歳(1992年)から38歳頃(2012年)までアルバイトをしながら家族の介護をする生活が始まりました。

――20年間も!

 でも考古学が大好きだったので、同時期に自宅から近いカルチャーセンターで考古学を学びはじめたんです。まあ、趣味ですね。そこに通い詰めるうちに、センターの常連の方が「早稲田大学にもいろんな公開講座があるよ」と教えてくれたんです。

 当時、早稲田大学では毎日のように考古学に関わる公開講座がありました。それがおもしろくて、大学も家から自転車で20分程度。結果的に、家で家族の介護をしながら、空いた時間に働いたり公開講座に通ったりする20年間でしたね。

――すごい……! エジプトとの出会いはいつごろですか?

 はじめて行ったのは22歳のときです。同じ講座に通う人たちから「考古学は座学ではわからない」「絶対現地に行った方がいい」としつこく言われて、そこまで言うならと行ってみたんです。
そのときはエジプト国内の有名な遺跡を回って、私は満足して帰ってきたのですが、翌年には「エジプトは2回行かないとわからない」としつこく言われて(笑)。またまたそこまで言うならと行ってみたら、案の定ハマってしまって……。それからは公開講座の仲間たちと一緒に行ったり、一人で行ったりと、ほぼ毎年通い続けるようになりました。

休暇のつもりが、発掘調査に参加することに

――エジプトに移住するきっかけはなんだったのでしょうか?

 38歳のときに家族の介護が落ち着いて、20年間介護をした自分に休暇を与えてもいいかなと思い、1年間エジプトで過ごすことにしたんです。これが移住のきっかけになりました。

――現地でなにがあったのでしょうか?

 当時(12年)は、ちょうど「アラブの春」の革命が起きて間もない時期で、エジプトの情勢は不安定でした。私は現地の事情をよく知っていたので、さほど怖さも感じず、むしろ「観光客が少なくてゆっくりできる」と思っていたんです。そんなとき、エジプト赴任中の早稲田大学の考古学の先生から「調査研究のアシスタントをやらないか?」と連絡があったんです。本来そうしたアシスタントは日本の学生が行うのですが、エジプトの情勢的に大学側が学生に渡航許可を出せない状況で、たまたまエジプトにいた私に連絡が入ったんです。

――すごい偶然ですね。依頼は即決したのでしょうか?

 はじめは「無理無理!」と思っていたのですが、調査に携わりたい気持ちはずっとあったので、お引き受けしました。そこから半年間、調査アシスタントとしてさまざまな仕事をしました。そして、予定していた1年間の滞在期間が過ぎたので一度帰国し、まだ調査の仕事が残っていたのですぐエジプトに戻り、そのまま10年以上経って、いまに至ります(笑)。


――休暇のはずが10年以上も……!

「インシャーアッラー(神がお望みなら)」の軽やかさ

――現在もエジプトで発掘調査をされているのでしょうか?

 はい。エジプトのアレクサンドリア近郊で、現地アシスタントとして発掘調査に関わっています。調査の手配がメインで、実際に発掘現場を訪れることもあります。

 あと、アシスタント業務を通して自然と現地の情報に詳しくなったので、現地の旅行代理店から「そんなに詳しいなら仕事にしないともったいない」と、旅行関係の仕事もいただいて、長年続けています。他にも、エジプトのお土産屋さんと一緒に日本人向けの商品づくりをしたり、日本企業や研究者の調査のお手伝いをしたりと、エジプトと日本双方からいろんなご依頼を受けることが増えたので、コンサル会社も設立しました。エジプトは住むには比較的物価も安いので、お金を稼ごうというよりも、お声がかかったならやってみようという感覚でチャレンジしていますね(政府がヨーロッパの物価を参考にしている「外国人料金」があるため、観光客の物価は割高)。

――異国での新たな挑戦、心理的なハードルはありませんか?

 私はもともと挑戦好きなのもありますが、エジプトだからできるという面もあります。アラビア語では「インシャーアッラー(神がお望みなら)」という言葉が日常的によく使われます。

 神が望むなら物事はうまくいくし、逆に神が望まないことはうまくいかないということですね。日本では逆に「頼まれたことは完璧にやらなければならない」「はじめたら途中で投げ出してはいけない」というプレッシャーがあると思うので、新しいことには挑戦しづらいですよね。でも、エジプトでは「神が望まなかったら、無理なものは無理」。だからこそ、「ダメでもともと、まずはやってみよう」という感覚で物事をはじめやすいんです。


日本人は地球人じゃない!?

――日本ではエジプトはピラミッドなどのイメージが定着していますが、逆にエジプトで日本はどんなイメージですか?

 日本のことを「プラネット・ジャパン」と呼ぶエジプト人が多いことに驚きますね。敬意を込めた、「違う惑星の人たち(同じ地球人とは思えない)」という意味です。というのも、日本は戦争で焼け野原になったにもかかわらず、たかだか30~40年で世界トップクラスの国へ発展を遂げて、街並みはきれいで清潔で、日本製品も高性能。そんな印象から、こう呼んでくれる人が多いようです。

――碧さんはそうしたイメージについてどう思いますか?

 もちろんうれしいですよ。でも、本当の日本というものを知ってほしい気持ちもあります。日本が戦後に発展したのは事実ですが、いいところばかりではありませんから。人種差別や経済格差、悲しい殺人事件や孤独死など、社会問題もたくさん抱えていますよね。あと、エジプトには日本に存在しないような「なんちゃって」なラーメン屋さんが多かったりと、本来の日本とは違った形のイメージが広がっていることもありますね。

既婚女性は髪と眉以外の毛をすべて抜く

――エジプト生活で驚いたことはありますか?

 既婚女性が髪と眉以外の毛をすべて抜くのには驚きました。

――なんと……それはどうして?

 結婚をしたらいつでも夫にきれいな身体を見せられる状態にしておく、ということらしいです。なので、日本人女性がこちらで結婚をしたら、夫のお母さんや姉妹から「今日は女の日よ」と呼び出されて、全身の毛を抜かれたというエピソードもあります……。逆にこの慣習を知らずに新婚初夜を迎えるとトラブルになったりするので、エジプト人と結婚予定の日本人女性と会ったら、この話は積極的に伝えるようにしていますね……。

――ちょっと怖い話ですね……。


これからはエジプトから日本へ

――稀有な経緯でエジプトにたどり着いた碧さんですが、今後はどういった活動をしていきたいですか?

「いつのまにかエジプトに長く住んでいる」という感覚なので、最近は日本に帰る時間も増やそうかなと思っています。ちょうど日本ではインバウンド観光が伸びていて、エジプトから日本を訪れる人も増えています。これまではエジプトに来る日本人や日本企業とお仕事をする機会が多かったのですが、これからはエジプトから日本に行く人や企業と一緒にお仕事もしていけたらと思っています。

 あと、日本でのエジプト人気は根強く、最近もエジプトグッズの日本販売は増えています。今後は徐々にエジプトから日本に向けた仕事をしていけたらいいなと思っています。

<文/おか けいじゅん 写真提供/嶋津碧(「Egypt-View」)>
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