戦争は理不尽である。とりわけ住民犠牲が続出した沖縄戦は、理不尽極まりない戦争だった。

 糸満市摩文仁の「平和の礎」に刻銘された県出身の戦没者約15万人分のデータを分析したところ、1945年6月南部での死者が突出し、年齢別では、18歳と1歳が4千人を超え最も多かったという。
 戦争の被害は、社会的に弱い立場の人に集中しがちだ。沖縄戦では乳幼児や若い世代の人的被害が目立つ。
 文化人類学者で沖縄戦にも詳しい北村毅さんは「沖縄戦は、若い世代の大量死が短期間で発生した逆縁の極み」だと指摘する。
 逆縁とは仏教由来の言葉で、親が子を、年長者が年少者を弔うことである。逆縁は生き残った人々を苦しめる。
 伊江島で9歳の時、沖縄戦を体験した平安山ヒロ子さんは、壕から出た際、銃弾にやられ、おんぶしていた幼い妹を失い、自らも負傷した。
 生活が落ち着いた戦後も、体の不調を訴えることが多く「晩発性PTSD」と診断された。
 死体を踏みつけた時の足の感触や、砲弾で吹っ飛んだ肉片が木にぶら下がっている光景が、今もよみがえるという体験者もいる。
 浦添市出身の又吉蒲戸さんは2012年、99歳で亡くなった。火葬に付し、遺族らが収骨した際、遺灰に混じって銃弾が出てきたという。
 又吉さんの中では戦争が続いていたのだ。

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 沖縄はきょう戦後81年の「慰霊の日」を迎える。
 「平和の礎」には沖縄戦などで亡くなった計24万2659人の名が刻まれている。毎年、追加刻銘があり、1995年に設置された礎は今も未完のままだ。
 慰霊の日に合わせ、刻銘者の名前をリレー方式で読み上げる取り組みが、今年も各地で行われている。
 ここでは国籍の別なく、日本の軍人も沖縄の一般住民も、米英の軍人も台湾や朝鮮半島出身者も、等しく扱われている。
 そこに、未来に開かれた平和の礎の可能性を見たい。「平和の文化」を沖縄に根付かせるための、平和教育のモニュメントとしての活用が求められる。
 一方で懸念されるのは、戦争体験に根差した非戦の取り組みが弱体化し、「台湾有事」を想定した軍事化の動きを肯定する世論が広がっていることだ。
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 「戦争が起こるのではないか」との不安を、人々が口にするようになった。戦争の足音が近づくと、被害経験に刻まれた「土着の語り」よりも「国家や軍の語り」が大きくなっていく。
 平和教育への風当たりが強くなっていることと、南西諸島における抑止力強化とは決して無関係ではない。求められているのは、平和教育の積極的推進だ。

 二度とこの地に戦争を起こしてはならないというのが、党派を超えた戦後沖縄の原点だった。
 慰霊の日に、それをもう一度確認し、非戦平和の意志を内外に発信したい。
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