■“迷宮”のコンセプトが“迷路”に
開くことのないシャッター。むき出しのまま、ガランとした空き区画。撤退したテナントに散乱する備品。買い物や食事を楽しむ人が少なく、ショッピングモールとしての賑わいが感じられない。
新幹線も停車する新神戸駅にそんな廃墟モールが存在する。「コトノハコ神戸」だ。
コトノハコ神戸の前身「新神戸OPA」は、1988年の開業時には192店の専門店を擁する西日本でも有数の大型ショッピングセンターだった(「繊研新聞」2019年4月2日付)。それが現在では稼働しているのは6フロアのうち4フロアだけで、テナント数も27軒(2026年6月時点)にまで減っている。
なぜコトノハコ神戸は廃墟化してしまったのだろうか。その理由は大きく分けて4つの要因にある。
1つ目の要因は、巨大な迷路のような構造で、自分がどこを歩いており、目的の店舗がどこにあるのかわかりにくいことである。
コトノハコ神戸は地下3階~地上37階の建物のうち、地下3階~地上3階を占めている。各フロアは大きな通路に店舗が面しているのではなく、通路の形が複雑だ。なおかつ西館と東館をデッキで行き来しなければならないため、どこにどの店舗があるのかわかりにくい。
外から見ると複数のデッキや大きな階段が織りなす形が楽しそうな印象を与えるが、実際に館内を歩くとストレスを感じる。深く考えずブラブラと歩いてショッピングしたいところを、フロアガイドを探して、歩いて、また迷って……となるようなモールは敬遠されるものだ。
コトノハコ神戸は新神戸オリエンタルパークアベニュー・OPA(以下、OPAと表記)としてオープンしたモールで、開業当初からこのような構造であった。OPAは複雑な構造を逆手に取って、「ラビリンス(迷宮)&ネバーシース(とまらない)」をコンセプトとしていた。
しかしオープン1年後には日本ショッピングセンター協会が、「ラビリンス(迷宮)になっているため、ほんの一部であるが、お客の寄りつかないスペースが出来てしまった」と課題を指摘している。
今となっては、地上1階はほとんどが空き区画で一面が白い仮囲いになっているため、迷路感が余計に増している。
■観光客にもビジネスマンにもスルーされる
廃墟化の2つ目の要因は、観光客が通り過ぎていることだ。
コトノハコ神戸には神戸布引ハーブ園/ロープウェイが隣接しており、その出入口は平日でも国内外の観光客がひっきりなしに通っている。神戸市発表の観光入込客数を見ると、神戸布引ハーブ園には年間59.3万人が訪れている。
このあたりは北野エリアと呼ばれ、異人館街もある神戸の観光スポットのひとつである。しかしコトノハコ神戸では、観光客らしき人はほぼ見かけない。
飲食店が9つあり、3階には日本の古い街並みを感じさせる内装のレストランエリアがある。日本らしい串かつやとんかつの店舗が並び、店先のメニュー表に英語表記をしている店舗もあることからインバウンドを狙っている様子もうかがえるが、人通りはまばらだ。
また、コトノハコ神戸は山陽新幹線の停車駅である新神戸駅と直結しており、施設周辺には新幹線を利用する観光客やビジネスマンもいるはずである。しかしそのような装いの人も、コトノハコ神戸ではほぼ見かけない。
北野エリアの観光客や新幹線を降りた人が立ち寄らず、施設内で消費をしていないのである。
数字で見ると、その「人通りの差」はさらに明確になる。
新幹線専用駅の新神戸で降りた観光客が、まず三宮を目指す動線はこの規模差からも自然に説明がつく。
■運営主体が何度も変わっている
3つ目の要因は、ダイエーの経営破綻と運営主体の頻繁な変更だ。
コトノハコ神戸はOPAとして1988年9月に開業し、ダイエーリアルエステートが運営していた。
ダイエーがバブル崩壊により経営が圧迫していたところに1995年、阪神・淡路大震災が発生。発祥の地、神戸・三宮でも甚大な被害を受け、被害総額は500億円にのぼった。
OPAの運営は十字屋へ引き継がれていたが、赤字に陥り、2001年3月には同じダイエーグループの福岡ドームに営業権が譲渡された。
2004年にはモルガン・スタンレーに売却され、生みの親のダイエーグループの手を離れることに。運営管理は一度モルガングループが担ったのち、2006年にジオ・アカマツ(現野村不動産コマース)へ委託された。
2009年にはタイの大手財閥へ売却され、2019年にJLLモールマネジメント(現JLLリテールマネジメント)によりコトノハコ神戸へリニューアルされたという変遷をたどっている。
モールは開発して終わりではなく、建ってからが始まりである。運営主体が定期的に変わると、中長期的な運営方針やテナント誘致戦略を立てにくい。何度も運営主体が変わっていることは施設にとって大きな痛手だ。
■「屈指の繁華街」との絶妙な距離感
4つ目にして最大の要因は、三宮エリアとの絶妙な距離感である。
神戸市は北側に山、南側に平地と海が広がる地形で、南側の平地を中心に発展してきた。コトノハコ神戸は平地と山地の境目にあたる傾斜に位置しており、後ろには雄大な山々がそびえ立っている。
コトノハコ神戸が立地する新神戸駅から電車で1駅、徒歩でも15分ほどの距離に三宮エリアが広がっている。三宮は高架下の商店街や複数の商業施設などが集積し、平日でも多数の人が行き交っている。神戸市屈指の繁華街だ。
新神戸―三宮間は歩ける距離感で、電車やバスも通っているが、目的がなければ行き来しない。新神戸で新幹線を降りて三宮に向かう人はいても、三宮から新神戸へ買い物や飲食を目的に来る人は少ないだろう。
ここまで挙げた4つの要因、迷路のような構造、観光客の素通り、運営主体の度重なる変更、そして三宮との絶妙な距離は、対等に並んでいるわけではない。
集客力のある立地であれば、迷宮的な構造はむしろエンタメ性として機能したはずだ。三宮ほどの繁華街が徒歩圏になければ、新幹線で降り立った観光客も館内を一周しただろう。施設の収益が立ち上がっていれば、運営主体がこれほど短いサイクルで切り替わることもなかった。
つまり「構造」「観光客」「運営」の3要因はそれぞれ独立した問題ではなく、最大要因である「三宮との距離」によって増幅され、表面化した症状にすぎない。コトノハコ神戸が抱える本質的な問題は、やはり三宮の近くに建設してしまったことなのだ。
■「通過点」になる運命だった
そもそも新神戸駅は、開業の瞬間から神戸市民にとって「通過点」になることが運命づけられていた。
新神戸駅は市内で唯一の新幹線駅であり、1972(昭和47)年の山陽新幹線の新大阪駅―岡山駅間の開通と同時に開業した。
三宮は古くから市街化されており、ここに新幹線駅を設けるほうが便利に思える。しかし三宮は狭い平野部で、JRや私鉄が集中しており、騒音問題もあることから新幹線を新設するのは困難であった。
その結果、現在の位置に新神戸駅が新設されたものの、JRの在来線が通っていないため乗り継ぎが不便である。なおかつ東京方面へ向かう場合、山陽新幹線からの直通列車しか通らない新神戸駅よりも東海道新幹線の始発のある新大阪駅のほうが本数が多いため、神戸市民でも新大阪駅を使う人が少なくない。
新神戸駅自体が、市民の動線からも観光客の動線からも外れた「通過点」なのである。
■「新○○駅」が持つ“立地の弱点”
郊外であれば、大型商業施設をきっかけに人が集まるようになる「立地創造」ができたかもしれない。しかし、すでに一大市街地が形成されていた三宮からひと駅という絶妙な距離感において、新たな商業立地を創造するのは困難であった。
新神戸、新大阪、新横浜……「新」を冠するこれらの新幹線駅はいずれも高速走行を維持するための直線の確保、既成市街地における用地取得の限界、騒音問題などから立地が選定された。
大阪駅と新大阪駅、横浜駅と新横浜駅を見ても、やはり古くから栄えた大阪駅と横浜駅が商業地として発展し続けており、新大阪駅と新横浜駅は「通過点」の側面が強い。
コトノハコ神戸もまた、そうした「通過点」の宿命を背負った施設のひとつだ。新幹線で降り立った観光客は隣接する布引ハーブ園や北野異人館街、そして三宮へと素通りし、神戸市民は買い物・食事の目的地に当然のように三宮を選ぶ。構造の複雑さや運営の不安定さは改善の余地があるとしても、古くから繁栄し再開発も進む三宮のそばで求心力を保つのは容易ではない。
コトノハコ神戸は、廃墟化から脱する出口を探し続けている。
----------
坪川 うた(つぼかわ・うた)
ライター、ショッピングセンター偏愛家
熊本県出身。熊本大学卒。新卒で大型SCデベロッパーに就職。小型SCデベロッパーへの転職を経て、フリーランスに。国内外で500以上の商業施設を視察済み。宅建・FP2級。
----------
(ライター、ショッピングセンター偏愛家 坪川 うた)

![[のどぬ~るぬれマスク] 【Amazon.co.jp限定】 【まとめ買い】 昼夜兼用立体 ハーブ&ユーカリの香り 3セット×4個(おまけ付き)](https://m.media-amazon.com/images/I/51Q-T7qhTGL._SL500_.jpg)
![[のどぬ~るぬれマスク] 【Amazon.co.jp限定】 【まとめ買い】 就寝立体タイプ 無香料 3セット×4個(おまけ付き)](https://m.media-amazon.com/images/I/51pV-1+GeGL._SL500_.jpg)







![NHKラジオ ラジオビジネス英語 2024年 9月号 [雑誌] (NHKテキスト)](https://m.media-amazon.com/images/I/51Ku32P5LhL._SL500_.jpg)
