※本稿は、ジェーン・スー『おつかれ、今日の私。』(マガジンハウス文庫)の一部を再編集したものです
■「しんどい」がしっくりくる
関西ことばの「しんどい」が全国区で使われるようになってから、ずいぶんと時間が経った。私もよく使う。力尽きて思わず立ち止まってしまいたくなるような心の状態を、「つらい」や「キツい」より実感を込めて言い表せるし、なにより相手に与える印象が重すぎないのが良い。
私にとって「つらい」や「キツい」は、「助けてほしい」の意味をちょっと含んでいる。助けが必要なら迷わずそう言うけれど、そこまで切羽詰まっているわけでもなく、いや切羽詰まっていたとしても、いまは放っておいてもらえると助かるなあと思うとき、私には「しんどい」がしっくりくる。さしたる理由はないのに重力を過分に感じてしまうこと、どんより佇むしかないことって、誰にでもあるだろう。
■しんどさの放電
口に放り込んだそばからとろけていくリンドールの甘いチョコレート、ビヨンセのライブ映像、夜眠れなくなることなんかお構いなしの昼寝。転んでは立ち上がりを繰り返すなかで、不足エネルギーをチャージする処方箋をいくつか手に入れることができた。けれど、しんどさど真ん中での急速エネチャージは、私をもっとしんどくさせることも知った。充電のまえには、ワンクッションが必要なのだ。
深く傷つくのとは一味違う、しんどい状態。落ち込みと立ち直りのあいだにある停留所。立ち直りステーション行きのバスが来るまでは、そこでやり過ごすしかないと、頭ではわかっている。けれど、待ちぼうけのあいだに少しでも重力を軽くすることができたらいいのに。ナマケモノのスピードで試行錯誤をしてみたところ、私の暫定的な結論は「ニヤニヤできるものを常備しておく」に着地した。
■カッコイイ「だけ」、可愛い「だけ」
しんどいときに懐かしい写真を眺めたり、好きな音楽を聴いたりは私の心を軽くしてくれなかった。ニヤニヤ以外のセンチメンタルな感情が湧いてしまうから。もっと単純にニヤニヤできるものが効く。たとえば推しのカッコイイだけの写真や、可愛いだけの動物動画。ポイントは「だけ」なところ。
さまざまな感情を呼び起こす多層的なエンターテイメントは、心が健やかなとき、もしくは立ち直る準備ができたときにしか効かない。だから、そういうものに心が動かされないときはかえって注意が必要なのだ。自分でも気づかないうちに、心が疲れているかもしれないのだから。
しんどくなったら、ニヤニヤしよう。無条件にニヤニヤできるものさえ準備できれば、あとはベッドに横たわり、それを眺めていればいい。気づけば声をあげて笑う自分がいて、しんどさも消えている。私は待ってましたと言わんばかりに、リンドールのチョコレートを口に含む。そろそろバスが来る頃だろう。
■「なんのために生きているか?」
つい先日、すごいことに気づいてしまった。
「なんのために生きているか?」なんてことを考えるときは、自分の存在価値がわからなくなっているときに加えて……「つまんないとき」です!
ジャジャーン! あれ? 肩透かしを食らった気分? いえいえ、ちゃんと説明すれば、わかってもらえるはず。「なんのために生きているか?」を言い換えるなら、この世に生を受けた理由、自分の使命、生き甲斐などになるだろう。つまり、「私はこのために生きている!」と思える瞬間があれば、なんのために生きているかなんて自分に問うている隙はないのだ。
私が「このために生きている!」と快哉を叫びたくなるときは、たいてい喜びやしあわせに満ち満ちている。片や「こんなことのために生きているの?」と恨みがましい気持ちになるときは、悲しかったりつらかったりする。
■つまらなさを持て余している
ならば、「なんのために生きているの?」が湧き上がってくるのは、「悲しいときや、つらいとき」なんじゃない? いいえ、そうとは限らない。悲しくても、つらくても、同時にうっとりと自己陶酔してしまう瞬間が私にはあるから。自己憐憫と言ってもいい。そんなときは「なんのために生きているか?」なんて、人生のコマを先に進めようとすることは考えない。シクシクしながら、ジトーッとそこにいたいのが本音。
自己憐憫する余地すらないとき、つまりくちゃくちゃと味わえる喜びも悲しみもないとき、私はつまらなさを持て余している。実働として忙しいかヒマかは、さほど関係がない。忙しくてもつまらなくて反吐が出そうな日々はいままで何度もあったし、ヒマでもしあわせに包まれていたときのこともよく覚えているもの。
■軽い気持ちで新しいことでも始めたらいい
つまらないと、もっとほかにやることがあるはずだと思う。悪いことだとは思わないけれど、ほかのことをやれる能力があると無条件に考えているなら、うぬぼれに近い期待が、自分にあるのだと思う。その「うぬぼれ」を少し高尚な言いまわしにしたのが、私にとっての「なんのために生きているか?」なのだ。要は、つまんないのだ。飽きているのだ、自分と日常に。自分の生き死にになんらかの価値や意味をつけたくなったら、誰かに認めてもらおうとする前に、軽い気持ちで新しいことでも始めたらいい。私にとっては、ただ、それだけのこと。
最後に注意。
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ジェーン・スー(じぇーん・すー)
作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ
1973年、東京生まれ。TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」、ポッドキャスト番組「ジェーン・スーと堀井美香の『OVER THE SUN』」のパーソナリティとして活躍中。著書に『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(第31回講談社エッセイ賞受賞)、『生きるとか死ぬとか父親とか』『おつかれ、今日の私。』『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』などがある。
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(作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ ジェーン・スー)

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