健康状態に不安があるとき、その症状をインターネットで検索してみる人は多いだろう。精神科医の水野雅文さんは「うつ病や発達障害の診断には、本来は慎重な判断が必要。
しかし、今はデジタル上で『自己診断』を済ませた人が来院することも珍しくない」という――。
※本稿は、水野雅文『物語で治す 社会を変える精神医学』(朝日新聞出版)の一部を再編集したものです。
■スマートフォンが診断ツールになる時代
「ネットで調べたら、私はADHDだってわかりました」
初めて来院した20代の女性が、スマートフォンの画面を見せながらそう言った。そこには「ADHD診断チェック」というサイトが開かれており、「あなたはADHDの可能性が高いです」という判定結果が表示されていた。
「質問に答えただけで、すぐに結果が出たんです。当たってますよね? だから薬をもらいに来ました」
彼女は確信に満ちた表情で、診断結果をすでに「事実」として受け入れていた。私が詳しく問診を始めようとすると、少し不満げな顔をした。「もう診断は済んでいるのに、なぜまた聞くんですか?」
この光景は、もはや珍しいものではない。「ADHD診断チェック」「うつ病自己診断テスト」「発達障害スクリーニング」――現在、こうしたタイトルのスマートフォンアプリや診断サイトが数え切れないほど存在している。質問に答えるだけで「あなたはADHDの可能性が高いです」「軽度のうつ状態が疑われます」といった結果が瞬時に表示される。
医療機関を受診することなく、誰でも手軽に「診断らしきもの」を得られる時代が到来したのである。
■「セルフ診断」の氾濫と危うさ
これらのデジタル診断ツールの多くは「医師の診断に代わるものではありません」と小さく注意書きを記している。
しかし実際には、この結果を持参して「ネットで調べたら私はADHDでした」と受診する人が急増している。診察室で私が出会う患者の多くが、すでにデジタル上で「セルフ診断」を済ませた状態で来院するのである。
問題は、これらのツールの多くが医学的根拠に乏しく、診断基準を過度に簡略化している点にある。本来、精神科の診断は症状の程度、持続期間、機能的障害の有無、他の病気との鑑別など、複数の要素を慎重に検討して行われる。しかしデジタル診断ツールでは「集中力がない」「忘れ物が多い」といった表面的な症状のみで判定が下される。
誰にでもある一時的な不調に、簡単に「病気」のレッテルを貼られてしまう。そして一度そういったレッテルを内面化すると、人は自分の体験すべてをその診断名で解釈し始める。
この女性は、育児疲れで集中力が低下していた時期にADHD診断アプリを使用し、「ADHDの可能性が高い」という結果を得た。それ以来、自分の育児の困難を「ADHDの症状」として解釈するようになり、本来必要な育児支援や夫との関係調整ではなく、ADHD治療薬を求めて受診した。
デジタル診断は、本質的な問題を覆い隠してしまう危険性を孕んでいる。診断名という「わかりやすい説明」を得ることで、人間関係、労働環境、社会的孤立といったより複雑で対処が困難な現実の問題から目を逸らしてしまうのだ。
■診断されていないと共感が得られない
診断の拡散において、SNSの果たす役割は絶大である。
XやInstagramでは、「#ADHD」「#うつ病」「#発達障害」といったハッシュタグを使った投稿が日々大量にシェアされている。これらの投稿は診断を核とした新しいコミュニティを形成し、同じ診断名を持つ人々の間での情報交換や相互支援の場となっている。
「ADHDあるある」「うつ病の日常」といった投稿には、「わかります」「同じです」「私もそうでした」というコメントが数百件つくことも珍しくない。診断名を共有することで生まれる連帯感や安心感は、孤立しがちな当事者にとって重要な支えとなっている。
20代の男性は、「ADHDのコミュニティに出会って、初めて『自分だけじゃないんだ』と思えました」と語った。診断名は、孤独を和らげる「共通言語」として機能しているのだ。
しかし、このようなSNSコミュニティには問題もある。症状や困難を「診断名で説明する」文化が強化されることで、診断に依存した自己理解が固定化される傾向にある。「ADHDだから片付けられない」「うつ病だから朝起きられない」という語りが常態化し、診断を変化や成長の制約として機能させてしまう場合がある。
さらに深刻なのは、診断名を持たない人の声が届きにくくなる構造である。診断名がないと共感を得にくく、コミュニティへの参加も困難になる。その結果、「診断名を持たないと自分の困難を語れない」という感覚が広がり、診断取得への圧力として作用することもある。

■「診断名」がアイデンティティになるとき
SNS上では、診断名を自己紹介の一部として記載する人が増えている。プロフィール欄に「ADHD当事者」「うつ病サバイバー」「ASD+ADHD」といった記述を見かけることは、もはや日常的である。
診断名が「アイデンティティ」の一部となる。これは一方では、自己理解を深め、同じ困難を抱える人々とつながる手段として肯定的に機能する。しかし他方では、診断名が個人を定義する主要な属性となり、その人の多様な側面が見えなくなってしまう危険もある。
「私は発達障害者です」と自己紹介する青年に、私は尋ねたことがある。
「あなたは発達障害以外に、どんな人ですか?」
彼は戸惑った表情を見せた。
「それ以外? わかりません。発達障害が私のすべてです」
診断名がアイデンティティの中心になると、その人の趣味、関心、才能、夢といった他の側面が霞んでしまう。診断は、その人を理解するための「一つの視点」であるべきだ。しかしデジタル空間では、それが「唯一の視点」になってしまうリスクがある。
■公平性の維持に悩む管理職
企業の管理職も、同様の困難に直面している。
IT企業の部長職を務めている40代男性は、部下への対応に日々悩んでいる。
「『自分は発達障害かもしれないので配慮してほしい』と相談されることが増えました。しかし診断書はない。では何をどこまで配慮すべきなのか。他の部下との公平性をどう保つのか。産業医に相談しても『まずは医療機関を受診してください』と言われるだけです」
彼が特に困るのは、「セルフ診断」を根拠に配慮を求められるケースである。
「ネットで診断テストをやったら、ADHDの可能性が高いと出ました。だから会議資料は事前にもらえませんか」
そう言われると、配慮したい気持ちはある。しかし根拠が曖昧だと、他の社員から不満が出ることもある。
■「配慮してもらえると思ったんです」
職場での配慮は、組織全体のバランスの中で考えなければならない。一人への配慮が他の人の負担増につながる場合、どう判断すべきか。明確なガイドラインがない中で、管理者個人の判断に委ねられているのが現状だ。

さらに複雑なのは、配慮を求める側の心理である。20代の男性社員は、上司に発達障害の可能性を相談した後、かえって孤立してしまった。
「配慮してもらえると思ったんです。でも、上司は『じゃあ無理させないように簡単な仕事だけ任せよう』と判断して、やりがいのある仕事から外されました。『障害者扱い』されて、昇進の道も閉ざされた気がします」
配慮は時に、排除や差別と紙一重になる。「この人には難しい仕事は無理だろう」という判断が、本人の可能性を狭めてしまう。配慮という名のもとに、キャリアの選択肢が奪われることもあるのだ。

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水野 雅文(みずの・まさふみ)

精神科医・あさかホスピタル院長

1961年東京都生まれ。博士(医学)。1986年慶應義塾大学医学部卒業、同大学院博士課程修了。イタリア政府給費留学生としてパドヴァ大学心理学部に留学。帰国後、慶應義塾大学医学部精神・神経科専任講師、助教授を経て、東邦大学医学部精神神経医学講座主任教授(2006年4月~21年3月)、東京都立松沢病院院長(21年4月~25年3月)。
25年4月から現職。日本社会精神医学会理事長、日本森田療法学会理事長、第122回日本精神神経学会学術総会会長。著書に『心の病気にかかる子どもたち』(韓国語、中国語で翻訳出版、朝日新聞出版2022)、『リカバリーのためのワークブック』(中央法規2018)、『心のケアの羅針盤』(ラグーナ出版2021)などがある。

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(精神科医・あさかホスピタル院長 水野 雅文)
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