日本が世界に誇る木造建築は、地震大国でなぜ千年以上も生き残ってきたのか。東京大学非常勤講師の左巻健男さんは「五重塔や姫路城には、現代の最先端ビルも驚くべき緻密な構造計算と、災害から建物を守る『先人の知恵』が詰め込まれている。
その技術がスカイツリーにも受け継がれている」という――。(第2回)
※本稿は、左巻健男『サイエンス日本史』(集英社新書)の一部を再編集したものです。
■なぜ五重塔は地震で倒れないのか
世界有数の地震国日本で、高い塔が倒壊せずに残ってきたことは驚異的だ。千年以上残り続けてきた理由は、ヒノキや和釘のおかげだけではない。ここでは塔の構造にも注目してみたい(図表1)。
五重塔は、中心に立っているヒノキの柱(心柱)と周囲にある5層の瓦屋根(庇)からできていて、塔の重量はほとんどその庇が担っている。
心柱の周囲は吹き抜けになっていて、階段すらなく、各階の庇とは直接つながっていない。心柱が他の構造と接しているのは屋根の部分だけだ。心柱はただ地面から立っているだけで、庇自体の重量を支えているのは心柱とは別の16本の柱なのだ。しかも、ある階の庇は下の階の庇に間接的に乗っているだけで、構造は階ごとに独立している。
そして、塔の部材を組み立てるやり方は、釘を使わずに柱や梁などの木材に凹凸を加工し、その部分を接ぎあわせる木組み工法だ。木組みは、戦前まで民家に盛んに用いられ、現在も残る町家などで見られる。

各階の庇は上にいくほど、小さく軽くなっているので、大きな地震が来ると、各階の重量が違うためタイミングがずれて揺れることになる。そして、しばしば逆向きに振動し、各階の重心の変化は塔全体としては打ち消しあう。さらに塔が全体として大きく傾かないのは、塔を構成する木がしなったり、接合部分がめり込んだりして、その揺れを吸収しているからだ。
■伝統建築が守る日本の城
法隆寺の五重塔に使われた構造は、日本各地にある寺院の塔に使われているが、この構造によってどの塔も火災で焼失することはあっても、地震が原因で倒壊することはほとんどないのである。
戦国時代前半、城は山城が主流だったが、戦国時代後半には土木・建築技術が発達し、徐々に平地に天守のある城(平城)が築かれるようになった。
城の建築物は、敵からの侵攻を阻むための石垣、塀、曲輪、櫓や、土蔵、住居、天守などからなる。高くそびえる天守、石造の城壁と白色の土塀をめぐらせ、敵からの防御だけではなく、城主の権力を誇示する象徴として発展し、豪壮華麗になっていった。このような日本の独特の城づくりの様式は、16世紀中頃に確立した。
兵庫県姫路市本町にある姫路城は、17世紀初頭の日本の城を代表するものだ。この時代の城建築の最盛期の遺産であり、1993(平成5)年、法隆寺とともに日本で初の世界文化遺産となった。姫路城の建造物は、国宝として大小天守4棟と渡櫓4棟、重要文化財として櫓16棟、渡櫓11棟、門15棟、塀32棟がそれぞれ指定を受けていて、群を抜いて多い。
■姫路城を火から守る「漆喰技術」
姫路城の歴史は古い。
鎌倉時代の終わりとなった1333年の元弘の乱のとき、赤松則村が姫山に陣を構え、南北朝の内乱では、1346年、則村の子貞範が築城し、姫山城とした。山名氏、黒田氏を経て、羽柴秀吉が1580(天正8)年に毛利氏との戦いの拠点として本格的に改修し、三層の天守を築いた。これが現在の姫路城の始めである。
1600(慶長5)年に姫路に入った池田輝政は、姫路城の大改築を行った。1601年に着工し、9年の歳月をかけて完成。周囲は内堀・中堀・外堀の三重の堀で囲まれている。
この輝政の大改築によって、姫路城は今日見るような規模になり、白漆喰で塗り固められた白亜の天守群が、青空に翼を広げたシラサギのように見えることから「白鷺城」と書き、「しらさぎじょう」、あるいは「はくろじょう」ともよばれるようになった。
漆喰とは、昔から日本建築の白壁の材料として使われているが、消石灰(水酸化カルシウム)に糊と繊維を混ぜてつくられたものだ。漆喰の持つ優れた耐火性は、古くから人々に知られていたが、その主な要因は、主原料であるこの消石灰の性質にあった。
壁に塗りつけられた漆喰は、空気中の二酸化炭素を吸収して炭酸カルシウムに変化し、固くなる。これらの要素の働きにより、漆喰の塗られた土壁は火事のときでも簡単には炎を通さないのである。当時、漆喰が多用されるようになったのは、それまで米からつくっていた糊を安い海藻に代えることができるようになったからだ。

■昔の人が考えた地震に負けない技術
現在でも江戸時代から天守が残っているのは、姫路城、松本城、彦根城など12城しかない。これら現存天守以外の天守は、主に昭和になって復元、復興されたものだ。
姫路城の天守は、五重6階天守台地下1階(計7階)の大天守と三重の小天守3棟、その各天守の間を櫓で結んだ頑丈な造りになっている。
そのうち大天守は、外観は5階建てに見えるが、内部は地上6階に地下もある。それは、「地階から2階まで」と「3階」「4階」「5階から6階まで」の4つのブロックで構成されている。各ブロックの縦の柱の位置はまちまちで、このままだと横揺れに対する強度が心配になる。
その弱点を補うのが、高さ24.6メートル、根元の直径0.95メートルの東西2本の心柱の存在だ。2本の心柱は地下から6階床まで貫いて、各ブロックが心柱に向かって固く絞り込まれるように組みあげられている。
つまり2本の心柱を全体の芯にしているので、強度が増し、横揺れを防げるようになっている。さらに、横揺れに対する強度を保つために心柱の東西にも梁を通し、各ブロックと心柱との固定化をはかっているのだ。
■職人技が光る石垣の崩壊を防ぐ排水の仕組み
城の建築で最も難しいのは石垣技術といわれる。石垣は、高く積みあげたときに内側から圧力が高まると、樽状に膨らみ、ついには崩れてしまう。
その崩壊を防ぐための技術が戦国時代を通して急速に進歩していった。
戦国時代前半は、自然石を積んでいくだけの「野面積み」の技術が主流だったが、その技術は見た目以上に優れており、400年を超えた今もなおその石垣が残っている城は多い。やがて技術がさらに進んで、石の接面を平らに加工して積む「打ち込み接ぎ」に移行した。
近世の城の大多数はこれだ。さらに四角く削った石を整然と積んだ「切り込み接ぎ」へと発展した。これは江戸幕府が築いた城に多く見られる(図表2)。
石垣の積み石は、土塁(土で築いた堤防)と合わせて積んでいくが、積み石(築石)と土塁の間(積み石の裏側)は小石の裏込め石(栗石)で固める(図表3)。裏込め石どうしはそれぞれに隙間があるので、雨が降ったときには雨水が裏込め石の隙間を流れていき、石垣の外や下へ排出される。
こうして石垣の内側に流れ込む雨水の排水をスムーズに行うことができる。しかし、裏込め石の構造がしっかりつくられていなければ雨水が中に溜まり、積みあげた石垣を外へと圧迫して崩壊させる危険性があるのだ。
■日本建築の頑丈さのヒミツ
また積み石の表面に隙間があると、見栄えが悪いし、敵の侵入の足がかりになってしまう。そこで、野面積みの石垣では積み石と積み石の間に間詰石とよばれる小石を詰める。
裏込め石や間詰石には地震の揺れのエネルギーを吸収する働きもある。
高く美しい石垣が現代まで崩れることなく残っているのは、当時の人が行っていたこうした工夫があったからである。
日本三景の1つである宮城県松島の優美な諸島を眼下に望む「国宝瑞巌寺」。戦国大名・伊達政宗の菩提寺である。戦国時代を経て衰退していた寺を伊達政宗が1604(慶長9)年から5年の月日をかけて再建し、瑞巌寺と称した。
2008(平成20)年「平成の大修理」とよばれる解体修理が始まり、2018(平成30)年3月、10年にも及ぶ工事が完了した。このとき判明したことがある。本堂の主要な壁に「筋交い」が入っていたのだ。部材や構造から、これらの筋交いは瑞巌寺の創建時に設置されたものであることがわかった。
筋交いとは、木造建物構造材の1つで、柱と梁で囲まれた四角形の部分に補強材を対角線のように取りつけたものだ(図表4)。
建物に筋交いを入れることで、耐震性が増し、その数が多ければ多いほどさらに丈夫になる。建物は地震があった際、縦揺れ・横揺れによって、柱は横に、梁は上下に揺れるので、家に傾きが生じて倒壊してしまう恐れがある。

■瑞巌寺が震災に耐えた驚きの理由
しかし、筋交いを入れることで、横のずれを防ぎ、上下に押しつぶされる力に耐えられるようになるのだ。瑞巌寺の他、法隆寺や姫路城などにも、この筋交いが数多く用いられているため、現在まで倒壊を免れているというわけである。
1596(文禄5)年に慶長伏見地震が発生している。京都を中心とした畿内を震源とする内陸直下型地震で、推定でマグニチュード7.5以上、震度6程度の地震と考えられている。この地震で伏見城天守などが崩壊し、石垣も崩れ、500人以上が圧死するなど、死者は1000人を超えたとされる。
地震は京都を中心とするものだったが、瑞巌寺創建の大工の棟梁は上方から連れてきたという。おそらく慶長伏見地震の経験がこのとき活かされたのだろう。そして、「平成の大修理」中だった瑞巌寺を2011(平成23)年の東日本大震災から守ることになったと推察される。
■スカイツリーの「心柱制振」とは
東京スカイツリーが建物の揺れを抑えるしくみは「質量付加機構」といい、このしくみを使った地震対策は「心柱制振」とよばれる。五重塔がこれまで地震による倒壊例がないのは、やはり心柱に理由があると推定される。そこで、五重塔の心柱の精神に敬意を表して「心柱制振」と名づけられたという。
スカイツリーは、高さ634メートル、自立式電波塔として世界一の高さを誇り、鉄骨を組んだタワー塔体内側に、直径8メートル、高さ375メートルの鉄筋コンクリート製の円筒(心柱)が立っている。
スカイツリーでは中心を階段室という非常階段が貫いているが、これがスカイツリーの心柱で、展望台の部分とつながっている。また、心柱とまわりの鉄骨でできた塔体とはオイルダンパーでゆるくつながっているのだ(図表5)。
オイルダンパーとは、オイルが入ったシリンダーとピストンで構成された筒状の装置で、地震や風などの揺れを吸収するしくみだ。地震や強風の際、心柱(階段室)が塔体とは違う動きをし、揺れを打ち消しあう。心柱(階段室)を付加質量として加え、塔体とタイミングがずれて振動するようにしてある。揺れを軽減する度合いは、地震で最大5割、強風で最大3割だという。
古代の高層建築に使われた心柱の精神が、千年以上の時を経て、最新の現代建築にも「心柱制振」という新しい言葉になって残ったということだ。

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左巻 健男(さまき・たけお)

東京大学非常勤講師

東京大学教育学部附属中・高等学校、京都工芸繊維大学、同志社女子大学、法政大学生命科学部環境応用化学科教授、同教職課程センター教授などを経て現職。東京学芸大学大学院教育学研究科理科教育専攻物理化学講座を修了。『RikaTan(理科の探検)』誌編集長、中学校理科教科書(新しい科学)編集委員。法政大学を定年後、精力的に執筆活動や講演会の講師を務める。『面白くて眠れなくなる物理』『面白くて眠れなくなる化学』『面白くて眠れなくなる地学』『怖くて眠れなくなる化学』(PHP研究所)、『身近にあふれる「科学」が3時間でわかる本』『身近にあふれる「微生物」が3時間でわかる本』(明日香出版社)、『絶対に面白い化学入門 世界史は化学でできている』(ダイヤモンド社)など著書多数。

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(東京大学非常勤講師 左巻 健男)
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