■「世界3大市場」の絶妙な距離感
世界経済において、唯一「眠らない市場」が存在します。外国為替市場(FX)です。
株式市場であれば、東京証券取引所は午後3時に閉まり、翌朝9時までは静寂に包まれます。しかし、通貨の交換は24時間、1年365日(週末を除く)、世界のどこかで絶え間なく行われています。
月曜日の早朝、ウェリントン(ニュージーランド)市場が目覚めた瞬間から、金曜日の夜、ニューヨーク市場が閉じるその瞬間まで、巨大なマネーのリレーは止まることを知りません。
なぜ、世界には無数の都市があるにもかかわらず、ロンドン、ニューヨーク、東京という3つの都市が、長きにわたって「3大市場」として君臨し続けているのでしょうか。彼らの金融スキルが優れているから? 違います。答えはもっとシンプルです。彼らが「地球の自転に合わせて、ちょうどよい間隔(経度)で配置されているから」です。
金融とは、どれほどデジタル化が進んでも、人間が太陽の光を浴びて活動し、夜に眠るという生物学的な制約(概日リズム)から逃れられない以上、「太陽の運行」すなわち「時差」によって決定づけられる物理現象なのです。
■「金融の帝王」として君臨するロンドン
外国為替市場において、圧倒的なシェアを誇る都市はどこでしょうか。
世界最大の経済大国アメリカのウォール街(ニューヨーク)ではありません。イギリスのシティ(ロンドン)です。国際決済銀行(BIS)の統計を見れば一目瞭然ですが、ロンドン市場の為替取引額は世界全体の約40%前後を占め、2位のニューヨーク(約20%)にダブルスコアをつける圧倒的王者です。
かつて「大英帝国」として七つの海を支配したこの島国は、軍事力や産業力を失った今でも、金融の世界では帝王として君臨しています。最大の理由は、ロンドンが「経度0度(本初子午線)」に位置しているという、ただ一点の地理的事実に尽きます。
■銀行やヘッジファンドは無視できない
地球儀を回してみると、その優位性は明らかです。ロンドンが朝を迎えてディーラーたちがデスクに着く頃、東には夕方を迎えるアジア市場(東京、香港、シンガポール)があり、まだ取引が続いています。そしてロンドンが午後を迎える頃、西には朝を迎える北米市場(ニューヨーク)がオープンし、フレッシュな注文が入ってきます。
つまり、ロンドンのディーラーだけが、1日の労働時間の中で、アジアの膨大な「実需マネー」と、アメリカの巨大な「投資マネー」の両方と、リアルタイムで取引ができるのです。「アジア」と「アメリカ」の間にある「ヨーロッパ」という位置こそが、地球規模の取引における中心なのです。
特に、ロンドンの午後とニューヨークの午前が重なる時間帯(日本時間の21時~25時頃)は、世界中のプレイヤーが参戦するため、世界で最も取引が活発になるゴールデンタイムです。この圧倒的な流動性があるからこそ、世界中の銀行やヘッジファンドは、好むと好まざるとにかかわらず、ロンドンに拠点を置かざるを得ないのです。
ロンドンが「時間の支配者」なら、ニューヨークは「規模の王」です。しかし、ここでも地理が重要です。なぜ、アメリカの金融センターは、IT産業が集まる西海岸のシリコンバレーではなく、東海岸のニューヨークなのでしょうか。
■西海岸のロサンゼルスではダメな理由
それは「大西洋」を挟んでロンドンと向かい合っていたからに他なりません。
金融市場の規模は、参加者の多さで決まります。ニューヨーク市場がオープンする午前中は、ロンドン市場の午後と重なります。この「重複時間」があるからこそ、ニューヨークは欧州からの巨額の投資マネーを受け入れられます。
もし、金融首都が西海岸のロサンゼルスにあったとしたら、ロンドンとの時差は8時間になります。ロサンゼルスが開く頃にはロンドンは閉まっており、世界のマネーパイプは細くなってしまいます。
また、物理的なインフラの問題もあります。大西洋の海底には、ロンドンとニューヨークを結ぶ無数の光ファイバーケーブルが走っています。このケーブルこそが、米欧の金融市場をミリ秒単位で同期させる神経網です。
「1日の終わりの価格(終値)」を決める場所として、ニューヨークは、地理的に欧州とリンクでき、かつ1日の終わりを告げる東海岸でなければならなかったのです。
■世界の投資家が「日本時間9時」を注目
最後に、東京市場です。シンガポールや香港の台頭により、東京の地位低下が叫ばれていますが、地政学的な視点で見れば、東京には他のアジア都市には真似できない決定的な役割があります。それは、「世界で最初に開く、本格的な巨大市場」という役割です。
日付変更線の関係上、オセアニア市場(ウェリントンやシドニー)が最も早く開きますが、参加者が少なく流動性が低いため、世界の機関投資家は「様子見」をします。真の意味で世界の市場が動き出すのは、巨大な実需を持つ日本勢が参入してくる「東京オープン(日本時間9時)」からです。
東京には、シンガポールにはない圧倒的な強みがあります。それは「実需の厚み」です。日本はGDP世界4位の経済大国であり、トヨタやソニーといった巨大な輸出入企業を抱えています。「1ドルいくらになろうが、今日中に部品代をドルで払わなければならない」といった、投機ではない切実な実弾(実需)が、毎日必ず発生します。これが市場の底板となり、安定性を生んでいます。
ニューヨーク市場が閉じた後の「空白」を埋め、新しい1日のトレンドをセットする。
■世界経済を守る「最大の防御壁」
ロンドン、ニューヨーク、東京。この3都市が、地球をほぼ三等分するように配置されていることは、世界経済にとって幸運な偶然でした。ロンドンを中心(経度0度)とし、西へ約5~6時間の時差にニューヨーク、東へ約9時間の時差に東京。この3点がトライアングルを結ぶことで、24時間、常にどこかの巨大市場が開いている状態が作られています。
もし、日本がインドの位置にあったり、アメリカがハワイの位置にあったりすれば、市場には致命的な「空白時間」が生まれ、世界経済の決済システムはこれほどスムーズには機能しなかったでしょう。空白時間はリスクとなります。市場が開いていない間に起きた事件に対して、投資家はヘッジ(回避)する手段を持たないからです。
1997年のアジア通貨危機では、ヘッジファンドはこの「地理的な隙間(アジアが閉まり、ロンドンが開くまでの薄い時間帯)」を狙って集中砲火を浴びせました。3大市場のリレーは、単なる取引の場ではなく、世界経済をリスクから守るための地理的なセーフティネットでもあるのです。
現代ではアルゴリズム取引が普及し、ミリ秒単位で価格差が狙われています。しかし、どれほどテクノロジーが進化しても、主要プレイヤーが活動を停止する「夜」という物理的な空白は消せません。
3大市場が経度ごとに分散し、常に地球のどこかで取引が行われているという地理的陣形は、デジタル時代の今なお、システムを崩壊から守る最大の防御壁として機能しているのです。
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宇山 卓栄(うやま・たくえい)
著作家
1975年、大阪生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。代々木ゼミナール世界史科講師を務め、著作家。テレビ、ラジオ、雑誌、ネットなど各メディアで、時事問題を歴史の視点でわかりやすく解説。主な著書に『民族と文明で読み解く大アジア史』(講談社)、『朝鮮属国史 中国が支配した2000年』『韓国暴政史 「文在寅」現象を生み出す民族と社会』『経済で読み解く世界史』(以上、扶桑社)、『民族で読み解く世界史』『王室で読み解く世界史』『宗教で読み解く世界史』(以上、日本実業出版社)、『世界一おもしろい世界史の授業』(KADOKAWA)、『世界史で読み解く天皇ブランド』(悟空出版)など、その他著書多数。
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(著作家 宇山 卓栄)

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