フジテレビのドラマ撮影現場で起きたトラブルが一大騒動に発展している。なぜなのか。
経営学者の舟津昌平氏は「今回のハラスメントとされる事案は、いくつもの『微妙な点』がある。『ハラスメントをした』というラベリングは『一発退場』を引き起こしかねない。だからこそ冷静に検討する必要がある」という――。
■男性俳優は「抗弁」しているのに
昨年世間を騒がせたフジテレビが、また騒動を引き起こしている。
事の発端は週刊誌による報道である。同局の連続ドラマに出演していた男性俳優が、共演した女性俳優に対するハラスメント行為に起因するトラブルを起こしたと報じられたのだ。
フジテレビ側はこの週刊誌報道について言及し、男性俳優による女性俳優への発言が「外部弁護士による調査で問題視された」(注1)として、男性俳優に対して厳重注意したことを明らかにした。
ここまでなら著名人によるハラスメント行為が問題になった、という話なのだが、今回はそれだけで終わらない問題に発展している。
この男性俳優が、自身のSNSをはじめとして「抗弁」しているのだ。報じられている事実関係に誤りがあり、自身に問題があるという結論は承服できない、という主旨である。ちなみに女性俳優側の事務所は、フジテレビの発表したことは事実だとコメントしている。
さらにこじれたことに、フジテレビは9月放送予定だったドラマから男性俳優を降板させた、とも報道された。

「事実」をめぐる混沌によって事態は錯綜し、女性俳優に対する誹謗中傷も止まず、男性俳優が無期限で静養するという報道もなされた。

注1:読売新聞オンライン「佐藤二朗さんにフジテレビが厳重注意、制作側の責任は…「共演者への配慮」情報共有あり方を放送業界で議論を
■今回のハラスメント問題は「微妙すぎる」
本件の焦点が「事実認識」にある限り、軽率に本件の是非を語ることはできない。外からは真偽の判断がつかない事実が多く、まだ報道されていない事実もあるだろう。
そこで本稿では、「ハラスメント」をめぐって本件から学びうる教訓について考えてみたい。
まず、ハラスメントにおける事実認定の微妙さ、である。
公開されている情報の限り、今回のハラスメント問題は過去より「一歩進んだ」感がある。両サイドともに、「専門家の意見」を参照しているのだ。
フジテレビ側は「外部弁護士による調査で問題視された」ことを理由に男性側を処分したと述べ、いっぽうで男性俳優側の事務所は「専門家からも男性俳優の言動がハラスメントにあたるものでないと、確認を得ています」と公式サイトの声明文で主張している(注2)。
そして両者ともに「専門家」に意見を乞うているにもかかわらず、結果的には真逆の主張になっている。
加害者側が事実を認めているケースならまだしも、少なくないハラスメント事案はこのような展開になるのではないか。つまり、判定が「微妙」なのである。どの立場からどの情報を得ているかによって、専門家でも意見が分かれてしまう。


注2:フロム・ファーストプロダクション公式サイト「弊社所属俳優 佐藤二朗に関する一部報道について
■フジテレビの「失敗」とは
公開されている情報からしても、今回のケースは「微妙」だ。身体接触をNGにしていた女性俳優に対し、それを知らされていなかった男性俳優側が演技中に接触。これを機に話し合いがもたれたもののわだかまりは解消されず、ドラマ自体は大団円で放送を終えたものの、週刊誌報道以降はこの状況である。
女性俳優は過去に他の男性俳優とは接触していただの、男性俳優側が収録中のオフショットで当て擦りのようなことをしているだの、ゴシップめいた非難は無限に湧いてくるものの、刑事事件に発展するような事件性はなく、「いざこざ」という範疇のものではある。
このようないざこざは、ハラスメントという言葉が広まっていなかった時代から存在することを、映画監督の三谷幸喜氏はほのめかしている(注3)。
「現場で役者同士のコミュニケーションがうまくいかないみたいな時がある」
今回は異性間の接触を含むためセクハラの要素もあるものの、異性間でなくとも揉める要素は多分にある。役者同士が互いに妥協できず、モラルを逸脱した発言や態度がうまれることも、容易に想像できる。
三谷氏は経験的に対処の知恵を語る。
「揉める時に1番大事なのは当人同士で言い争いをしない。必ず演出家に言う。プロデューサーを挟むというのが1番の解決策」
このプロデューサーとは本事案におけるフジテレビの立場を指すわけで、やはり両者の仲介に失敗した結果、こうなっているとも考えられる。
注3:東スポWEB「佐藤二朗のハラスメント報道に三谷幸喜氏『男性俳優は顔がデカいから圧がある』」より引用
■ハラスメント認定→途端に“クロ”になる
さて、ハラスメントについて、他に考えるべき重要な問題がある。

ハラスメント事案が抱える大いなる問題点は、少なからずの事案が「微妙」であるにもかかわらず、ハラスメントであると認定された途端に「クロ」となる点にある。
何を言っているのか、もう少し詳しく解説しよう。
たとえば赤色とされる色は、実際には「真っ赤」とは限らず、オレンジやピンクに近い色も含まれる。その意味で、色にはグラデーションがある。ところがそれを「赤色」と言明したとたん、微妙な差は消えてしまって「赤」だということになる。
もちろん、そういうグラデーションを表現する言葉もある。ピンクっぽい赤とか、赤紫とか。しかし、そういった曖昧な言葉は、現実を忠実に表現するために用いられるにもかかわらず、コミュニケーション上は曖昧であるがゆえに避けられたり、否定されたりすることもある。
ハラスメントという表現も、上記と同様のことが起きやすいと言える。微妙な事案であってもハラスメントと言ったとたんに「悪事」のレッテルを貼られる。「ハラスメントに近い」といった表現を「逃げ」と解釈する人もいるだろう。
このように、実態としてはアナログでグラデーションのあるものが、言語として表明したとたんに0か1かのデジタル化してしまうという現象を、「言語の離散性」という。

■「ハラスメント認定」が引き起こす事態
「ハラスメント」という表現も、離散性を含んでいる。完全なるハラスメントも、まったくハラスメントに該当しないことも両方あるなかで、「微妙」なラインの事案はたくさんうまれてくる。当事者で話し合い、仲介者も設け、丁寧に専門家を交えて議論をしても、微妙としか言えないケースもある。ところがそれを「ハラスメント」とラベリングしたとたんに、0か1かになってしまう。
そして現代は、微妙な事案であろうがハラスメント認定を受けた人への風当たりは非常に厳しい。お芝居の世界でも、著名な映画監督がハラスメントに関連する不祥事で一線を引くことを余儀なくされている例が複数ある。
フジテレビも、昨年来の不祥事でセンシティブになっている。「一発退場」が当然となった社会で、加害者と報道された男性俳優が必死になるのは当たり前である。
実際は微妙な事案であっても、それをハラスメントという0か1かの離散性のある言明によって判定してしまうと、過剰な罰を与えることにつながりかねない。
■当事者の投稿から分かること
もうひとつ、考えたいことがある。男性俳優によるSNSでの投稿を引用しよう。
勿論、偏った記事とは思ってましたが、ここまでとは。
ステレオタイプの「か弱い若い女性」と「典型的な昭和のパワハラオヤジ」を完全に創作してる。最大級の「注意」や「警戒」が必要と痛感していた僕が、そんな態度を取れる訳がない。自分の身を守る為にも。
嘘はやめて下さい。(注4)

本事案が実際にハラスメントであるかどうかという問題とは別に、この投稿には耳を傾ける価値がある。
この発言の背景には、ハラスメントの認定に伴って、個人特性が強調されすぎるという問題が隠れている。
たとえば、「中年のおじさん」が「若い女性」に対してパワハラやセクハラをすることは、動機に満ちているように感じられる。こうした、犯罪をはじめとして、ある行為がなされる主因は特定の動機に基づくとする考え方を「動機論」という。この考え方においては、行為を防止するためには動機を矯正することが必要だとみなす。
子どもを誘拐するのはそういう動機を持った怪しい人間だ、といった観念をもてば、「怪しい」人が疑わしくみえてくる。その観念は必ず、たとえば外国人や路上生活者といった「ふつうでない」人に疑惑の目を向ける志向を強めていく。
お金を盗むのは貧しい人間だ、なぜなら動機があるからだ、と推論することは、盗難があった際に貧困層をまず疑うという行為を正当化させる。

このように、動機論は広くみられる考え方であるものの、それだけでは、丁寧な推論ができるとはいえない。動機論には弱点があるからだ。まず、動機なるものがときに解明困難であり、本人すら説明できないこともある。そして、動機論は必然的に、個人特性に由来する差別に繋がっていく。
この問題については動機論だけでなく、別の考え方もしてみよう。
注4:佐藤二朗氏 Xのポストより引用
■ステレオタイプに当てはめた解釈は危険
別の考え方とは、「行為が起きる状況」に着眼する「状況論」という考え方だ。
たとえば「子どもが誘拐されやすい死角の多い場所」や「施錠されないままで財布が置きっぱなしの場所」といった、そういう行為が起きやすい状況であるかどうかが、行為が起きるかを決めていると考える。行為者の性格や属性は二の次として、「そういう状況」であるかを気にするのだ。
パワハラやセクハラも、同様ではないだろうか。
現実的に、セクハラ問題の主な加害者は「おじさん」なのかもしれないが、それはすべてのおじさんが加害者としての性向をもつことを全く意味していない。外国人犯罪が摘発されたからといってすべての外国人が犯罪に手を染めるわけがないのと同じくらい、当たり前のことだ。
そしておじさんは定義上だいたい昭和生まれで昭和を過ごしてきた方のため、「昭和のおじさん」といった何の意味もないレトリックを用いて強い印象を与えやすい。
動機論に基づいて個人特性を強調することは、「そうでない」人々への偏見を強めることと、「それ以外」による問題行動を看過しやすくするという二つの問題を生み出す。つまり、無実のおじさんをセクハラ予備軍とみなしたり、同性間のセクハラをセクハラだと認識しなくなったり、といった問題だ。
繰り返し、今回の事例で「誰が悪いか」は別として、男性俳優の主張は傾聴に値する。個人属性や動機のみに帰属させて良し悪しや善悪を語ろうとするのは、非常に危険なのである。
■今回の事案から学べること
だから、職場のパワハラやセクハラを防止したければ、まずは「状況」に気をつけよう。
パワハラとはパワーハラスメント、つまり権力を行使したハラスメントである。権力ゆえに言い返せない状況、権力を盾に望まぬ苦役を強要させるような状況、そういう「状況」がないかをチェックすべきであり、上司がおじさんなのか部下が女性なのかといった情報は、相対的には関係が薄いとみなすべきだ。
事実がわからぬまま憶測だけが独り歩きしがちなゴシップからも、われわれの身近な状況をよくするためのヒントは得られるはずなのだ。そういう風に、時事問題を扱いたいものである。
参考文献:今井むつみ・秋田喜美『言語の本質―ことばはどうして生まれ、進化したか』(中央公論新社、2023年)、小宮信夫『子どもは「この場所」で襲われる』(小学館新書、2015年)

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舟津 昌平(ふなつ・しょうへい)

経営学者、東京大学大学院経済学研究科講師

1989年、奈良県生まれ。京都大学法学部卒業、京都大学大学院経営管理教育部修了、専門職修士(経営学)。2019年、京都大学大学院経済学研究科博士後期課程修了、博士(経済学)。京都産業大学経営学部准教授などを経て、2023年10月より現職。著書に『経営学の技法』(日経BP社)、『Z世代化する社会』(東洋経済新報社)、『制度複雑性のマネジメント』(白桃書房/2023年度日本ベンチャー学会清成忠男賞書籍部門、2024年度企業家研究フォーラム賞著書の部受賞)、『組織変革論』(中央経済社)、『若者恐怖症 職場のあらたな病理』(祥伝社)など。

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(経営学者、東京大学大学院経済学研究科講師 舟津 昌平)
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