人口減少や高齢化が進むなか、人が集まり続ける街とそうでない街がある。その違いはどこにあるのか。
フリーランスライターの小川裕夫さんは「街の盛衰は、現代の住宅選びで重視される条件を満たせたかどうかで大きく変わってくる」という――。
■働く人々を支えた「ニュータウン」
大阪府吹田市・豊中市にまたがる千里丘陵に千里ニュータウンが誕生したのは1962年。日本初とも称される同ニュータウンは、すでにまちびらきから60年以上が経過した。都市圏郊外に誕生したニュータウンは、その後も東京圏には多摩ニュータウン、横浜圏には港北ニュータウン、名古屋圏には高蔵寺ニュータウンと、続々と造成されていった。
一般的にニュータウンと呼ばれる住宅街は高度経済成長期から誕生したとされるが、ニュータウンに明確な定義はない。
そのため、千里ニュータウン誕生前の、いわゆるニュータウン前夜にもニュータウンのような住宅地は計画・造成されている。ただ、それらは○○ニュータウンという名称を付されることはなく、歴史から没却されつつある。
そうした前史も含めて、ニュータウンには地方の農村から都市部へと働きに出てきた労働者の住居を確保する、という意味合いが強く含まれていた。
■街と住民が一緒に高齢化していく
1968年の住宅統計調査で、早くも住宅数が世帯数を上回る。以降、住宅政策は量から質へとシフトしていくことになる。それがニュータウンの新陳代謝を鈍らせる遠因にもなるが、誕生から約半世紀に達する頃からニュータウン住民の高齢化は顕著になった。こうした現況から、オールドタウンなどと揶揄する向きも出てきた。

ニュータウンは大量に住居を建設しなければならず、必然的に広大な大地が確保できる郊外に計画された。
ニュータウンに入居した住民の多くはサラリーマン世帯で、まちびらきと同時に入居してきた家族は20代後半から30代が大半を占めた。歳月の経過は同時にニュータウン全体の高齢化と直結する。
筆者は「オールドタウン」と揶揄されるようになった2010年代より、断続的に全国各地のニュータウンに足を運び、時に関係者に話を聞いてきた。ニュータウン関係者の間では、何とか新たな住民を迎えようという試みを打ち出そうとしているものの、時代に即応できていないと感じる点が多々あった。
■所有者すら不明の空き家が増えている
右肩上がりの経済は“一億総中流”という、誰もが同じライフスタイルと価値観を共有できた。しかし、バブル崩壊前後からライフスタイルも価値観も多様化した。
“一億総中流”が完全に霧散した21世紀において、古き良き昭和のライフスタイル・価値観は消失し、新たな家族が郊外に位置するニュータンを積極的に選ぼうとする理由は見当たらなくなった。ニュータウンが荒廃してしまうのは、社会環境の変化を考えれば当然の帰結といえるだろう。
ニュータウンの「オールドタウン」化が相次いで指摘されるようになった頃から、生活インフラが維持できない限界集落化したニュータウンも現出する。そうした限界集落化したニュータウンは好事家の間で、「限界ニュータウン」とも呼ばれる。
ニュータウンと同様に限界ニュータウンの定義も明確ではないが、その第一人者でもある吉川祐介氏は限界ニュータウンの訪問をライフワークにし、ブログやYouTubeなどで積極的に情報発信している。

吉川氏のブログやYouTubeなどを視聴すると、かつて引く手数多だった分譲地や住宅は、現在は見る影もなくなっている。引き取り手はおろか所有者すら不明という物件も少なくなく、そうした空き家が社会問題として行政に重い負担としてのしかかる。
■生き残るニュータウンと衰退する街の違い
吉川氏が取り上げる限界ニュータウンほど荒廃しているわけではないにしても、高齢化が猛スピードで進展し、近い将来に立ち行かなくなる危険性が高まるニュータウンは数えきれない。そうしたニュータウンのなかには、昭和期に行政が積極的に開発に関与したケースも目立つ。
行政が関与したニュータウン開発は、住宅や公民館やスーパーといった生活関連施設だけではなく、公共交通もセットで整備されることが多かった。いわゆる通勤の足を確保することが、ニュータウン計画における“いろはのい”で、なかでも行政が固執した公共交通は“鉄道”だった。
筆者はニュータウンに付随する鉄道に着目し、探訪に合わせてニュータウンと同時に整備された鉄道路線を全区間にわたって踏破するという酔狂なことにも取り組んでいる。
それらニュータウン用に整備された鉄道を歩いてみると、ニュータウン誕生から半世紀以上が経過した現在において、その明暗は大きく分かれていると感じざるを得ない。その差は何だったのか?
■たった20分の差が新たな転入者を遠ざける
繰り返しになるが、ニュータウンの盛衰は何よりも時代に即した変化ができたかどうかという点に尽きる。それを如実に表しているのがセットで整備された公共交通で、もっと端的に表現するなら、「許容できる所要時間」と「乗り換えなどの手間」という点が時代に適合したニュータウンが生き残れたという、身も蓋もない結論になる。
冒頭で触れた千里ニュータウンは、北大阪急行電鉄(北急)や阪急電鉄千里線といった鉄道が域内を走っている。北急はOsakaMetro御堂筋線と直通運転をしているので、千里ニュータウンから大阪駅まで乗り換えることなく20分前後で移動できてしまう。
千里ニュータウンには同じく阪急電鉄千里線も走っているが、こちらでも乗り換えは1回、所要時間は同じく20分前後だ。
昨今は東京・大阪といった都市圏では都心回帰現象が鮮明になり、郊外の人気は落ちている。それは、ひとえに「通勤・通学に時間を割きたくない」「休日にお出掛けするにも便利な街(駅)がいい」といった声が多数を占めるようになっているからだ。
そうした状況を鑑みると、同じ大阪府内でも堺市・和泉市にまたがる泉北ニュータウンは繁華街の難波駅・天王寺駅まで約40分を要するので、どうしても遠いという印象を抱かせてしまう。それが新たな転入者を遠ざけている。
■髙島屋も大型スーパーもあるのに…

泉北ニュータウンは1967年にまちびらきし、ニュータウンの足として泉北高速鉄道が建設された。当初は南海電気鉄道(南海)が泉北ニュータウンの公共交通を担う予定だったが、諸般の事情から大阪府が出資する第3セクター鉄道が役目を担った。
泉北高速鉄道は中百舌鳥駅から南海に乗り入れて、難波駅まで直通する。2025年4月に泉北は南海に統合されて南海泉北線となり、より一体感が増して利便性も向上した。また、中百舌鳥駅からは御堂筋線に乗り換えて天王寺駅にもアクセスできる。決して泉北ニュータウンの公共交通事情は悪くない。
泉北ニュータウン内には、まちびらき当初から老舗百貨店の髙島屋が店舗を構え、そのほか日用品を扱う大型スーパーも多く立地している。
生活インフラの充実ぶりは申し分なく、ニュータウンで生活に困ることがないように工夫されていた。
残念ながら、そうした配慮は新たな住民を呼び込む訴求力として弱い。行政は新住民を呼び込もうと再生に向けた活性化策を打ち出しているが奏功していない。結局のところ、遠いという理由がニューファミリー層から敬遠される。
■大阪では「遠い」が、東京では「許容」
他方、近距離にある千里ニュータウンは新陳代謝がうまく進み、昨今は千里ニュータウン以遠でもニューファミリー層の流入が進む。沿線の宅地化を受けて、北急は2024年3月に千里中央駅から箕面萱野駅までを延伸開業。この延伸開業は、さらなるファミリー層の流入を促進することになった。
昨今は都市圏でも鉄道の収支が思わしくなく、鉄道事業者も自治体も鉄道の新設・延伸には後ろ向きになっている。そうしたネガティブな風潮の中で、同区間は約2.5キロメートルと短いものの延伸を果たし、駅前には商業施設や大学などが立地する。北急延伸区間は、“ニュー”ニュータウンともいえる住宅地になっている。
距離による所要時間に対する捉え方は、時代だけではなく、地域によっても異なる。泉北ニュータウンは大阪市の繁華街まで乗車時間40分前後で遠いと受け止められてしまうのに対して、東京圏では60分がおおよその目安になっている。

東京圏では稲城市・多摩市・八王子市・町田市の4市にまたがる多摩ニュータウンが1971年にまちびらきした。多摩ニュータウンは広大なために都心部までの所要時間は各エリアで大きく異なるが、おおむね多摩ニュータウンから新宿駅までは約40分、東京駅までは約60分となる。
■多摩vs神奈川・埼玉・千葉
東京圏において、約60分の所要時間はギリギリ許容範囲内に収まっているが、それでも遠いというイメージからファミリー世帯の流入は思わしくない。所要時間だけを比較するなら隣接する神奈川県・埼玉県・千葉県でも60分未満で通勤できるエリアはある。わざわざ遠いニュータウンを選ぶよりも、東京に近接した交通至便の街・駅を選ぶというファミリー層は少なくない。
東京に近接しているとはいえ、都外になると住居費は格段に安くなる。それら住居費と諸条件を比較考量すると、多摩ニュータウンを選ぶ積極的な要因は見出しにくい。
泉北ニュータウンと多摩ニュータウンは大阪と東京を代表するニュータウンで、曲がりなりにも公共交通は充実している。
それでは名古屋圏はどうなのか? 名古屋圏にも高度経済成長期にいくつかニュータウンが計画・造成されたが、そのなかでも桃花台ニュータウンは公共交通が整備された人工都市だった。
桃花台ニュータウンは名古屋圏に属しているとはいえ、その立地などからマイカー通勤者の方が多いようにも考えられるが、それでもニュータウン計画において公共交通の整備はマストとされた。
■名古屋圏で「通勤60分」は致命的
桃花台ニュータウン計画人口は約5万4000人と試算されたが、年を経るごとにそれは下方修正を続けた。桃花台に限らずニュータウンの計画人口は過大に見積もられていることは珍しくないので、それだけで桃花台ニュータウンを失敗と断じるわけにはいかないが、明らかに桃花台ニュータウンの計画は迷走していた。
それを如実に感じさせるのが公共交通の整備だった。
桃花台ニュータウンは通勤・通学の足を担うにあたり、ピーチライナー(桃花台新交通桃花台線)と呼ばれる新交通を整備した。ピーチライナーは地元自治体の小牧市が大株主として出資した第3セクター運行することになった。
桃花台ニュータウンの住民は名古屋市へと通勤する人たちが多く、ニュータウン内に所在する桃花台東駅・桃花台センター駅・桃花台西駅の3駅から名古屋市中心部まで鉄道を使って移動するには、西端の小牧駅まで乗り、そこから名鉄小牧線に乗り換えて上飯田駅で下車し、上飯田駅から約800メートル離れた名古屋市営地下鉄の平安通駅まで歩き、平安通駅から名古屋市営地下鉄名城線に乗車しなければならない。
これらの通勤ルートをたどると、乗り継ぎの手間もさることながら所要時間は60分以上もある。名古屋圏において、通勤時間60分は致命的なマイナスといえる。これは小牧市がピーチライナーの大株主だったこととも無関係ではないだろう。名古屋までピーチライナーを直通させることも物理的に不可能ではないが、それだと大株主・小牧市が出資する意味合いが薄まってしまう。
■わずか15年で「負の遺産」に
2003年3月、上飯田駅と平安通駅を結ぶ地下鉄上飯田線が開業したことで約800メートルの徒歩移動は不要になったが、それでも乗り換えの手間が面倒であることに変わりはなかった。そうした不便を解消しようと、住民たちは桃花台バス運営会を結成し、2002年に別のバス会社に委託する形でニュータウンと春日井駅とを結ぶ路線バスの運行を開始。
この路線バスの運行は、ピーチライナーが廃止される決定打になった。こうした経緯をたどり、ピーチライナーは2006年10月に廃止された。
高架線や駅舎などは、撤去費用も莫大になるとの理由から廃止後もそのまま放置された。筆者は2023年にピーチライナー全線を踏破したが、大部分の区間で鉄道遺構は残されたまま放置されていた。
全国各地に誕生したニュータウンを取材してきて思うのは、まちびらきの時点でニュータウンの将来を予測することは難しいということだ。計画時は曲がりなりにも官民が期待を寄せ、転入してくる住民たちも新生活に胸を躍らせている。
建物や街のそこかしこには最新鋭の設備などが設置され、それらも近未来感を高めて輝かしい日々を演出する。しかし、月日の経過とともに新生活の期待感は色褪せ、いつの間にかどこにでもあるような街になっていく。
■「成功したニュータウン」の代名詞
東急電鉄が開発を主導した多摩田園都市は、まちびらきから半世紀以上を経ても人口増を記録していた稀有なニュータウンで、世間からは成功したニュータウンと認識されている。そうしたニュータウンでも住民たちの高齢化は避けて通れない。
特に、まちびらき当初から多摩田園都市で生活していた住民たちは、駅から遠い位置の住居に居住していることが多く、そのために外出難民・買い物難民化する傾向が強かった。
多摩田園都市では、東急や小田急、市営バスなどが各住宅地と駅とを結んで走っている。そのバス路線は他エリアと比べても充実しているが、多摩田園都市が築かれた多摩丘陵は起伏のある大地ゆえにバス停から各住宅の玄関口までの移動に大変な労力を伴う。
歩行が覚束ない高齢者やベビーカーを押す若いパパ・ママにとって、短い移動距離といえでも勾配のある丘陵地は身体的に大変な労力となる。
また、まちびらき当初は5階建ての集合住宅でもエレベーターが設置されていない物件が多く、そうした要因も現在に至って外出難民・買い物難民を増加させていた。
■インフラが整っていなくても選ばれる東急
集合住宅の改修は範囲外だが、玄関口までの公共交通を整備することは鉄道・バスの事業者である東急でも対応策を講じられる。東急は多摩田園都市に点在する外出難民・買い物難民を解消する対策として、路線バスよりも細かくエリアを巡回できるミニバスの運行を検討した。
ミニバスは少量輸送になるため、効率を考えれば採算面で課題が残る。東急はミニバスの導入に際して、自動運転バスの実証実験を繰り返した。将来的に無人運転を実用化することで採算性を確保する狙いが見て取れるが、目的達成までには時間を必要とするだろう。
多摩田園都市の一部エリアは公共交通が整備されているとは言い難いニュータウンだが、東急というブランド効果も手伝って、今でも根強い人気を誇っている。そうした例外はあるものの、都市圏に形成されたニュータウンは転入してくる住民の多くがサラリーマン世帯のために通勤の便に重心をおいた計画が求められてきた。
コロナ禍でテレワーク・在宅ワークが普及するなど、ライフスタイルや価値観は再び変化する兆しを見せ、それに伴って郊外需要の盛り上がりも観測された。
そうした盛り上がりも数年で沈静化し、現在は都心回帰を強めている。それと同時に公共交通の重要性も再び増している。

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小川 裕夫(おがわ・ひろお)

フリーランスライター

1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経てフリーランスのライター・カメラマンに転身。「東洋経済オンライン」「デイリー新潮」「NEWSポストセブン」といったネットニュース媒体で定期的に取材・執筆・撮影。取材テーマは、旧内務省や旧鉄道省、総務省・国土交通省などが所管する地方自治・都市計画・鉄道など。また、官邸で実施される内閣総理大臣会見には、史上初のフリーランスカメラマンとして参加。著書に『鉄道がつなぐ昭和100年史』(ビジネス社)、『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)、『東京王』(ぶんか社)、『封印された東京の謎』(彩図社文庫)、『路面電車の謎』(イースト新書Q)など。共著に『沿線格差』(SB新書)など多数。

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(フリーランスライター 小川 裕夫)
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