第2次トランプ政権の対中関税政策において、意外にも「弱腰」な姿勢が目立っている。今年2月、IEEPA(国際緊急経済権限法)に基づくトランプ関税(注:IEEPA関税)が違法判決を受けて取り下げられて以降、中国向けの関税率が10%ポイント程度低下した状態が続いているのだ。
(筆者注)IEEPA(国際緊急経済権限法)は米大統領が国家安全保障に対する重大な脅威がある場合などに、国際経済取引を規制できる権限を定めた法律。トランプ政権下では相互関税や合成麻薬「フェンタニル」流入阻止のための関税などがIEEPAに基づく措置として扱われた。
エール大学の試算による米国の対中実行関税率を振り返ると、第2次トランプ政権発足前は12%程度だった。しかし、政権発足とともにトランプ関税が発動され、昨春の米中貿易戦争時には一時100%を超えた。その後、米中暫定合意によって35%程度まで引き下げられたものの、日本やEUなど他の主要国・地域と比べれば、依然として大幅に高い関税率が維持されていた。
そうした中、今年2月にIEEPA関税に違法判決が下り、取り下げを余儀なくされた。代替措置として通商法122条に基づく関税が発動されたが、平均関税率は10%程度低下してしまった。
この時点では、中国を含む各国に対して新たな関税発動を見据えた調査が開始されたため、「いずれIEEPA関税時の水準まで引き上げられるだろう」との見方が大勢を占めていた。実際、7月24日には「強制労働に関する輸入禁止」への措置が不十分だとして、中国に対して通商法301条に基づく関税が課されることになった。しかし、中国への関税引き上げ幅は他国と同様な水準にとどまった。結果として、同日に失効した122条関税時とほぼ変わらず(図表1)、関税率が大きく引き上げられることはなかったのである。
■秋の米中首脳会談に向けた配慮
現在、別途進められている「過剰生産」を問題視する調査が終了次第、通商法301条に基づいて対中関税率がさらに引き上げられるとの見方は根強い。
この背景には、トランプ大統領が9月下旬の国連総会に合わせて、中国の習近平国家主席をワシントンに招き、大規模な歓迎行事を行う計画がある。
首脳会談を波乱なく実施し、トランプ政権の成果をアピールできる「ディール(取引)」をまとめるため、政権は新たな関税の導入を秋以降に先送りしようとしている可能性がある。
301条関税の提案から実施までには、通常、公聴会の開催など一定の期間を要する。今すぐ動けば首脳会談の直前に関税が発動されることになり、外交上の大きなリスクとなり得るからだ。
■半導体とミサイル発射への「弱腰」
関税引き上げの遅れにとどまらず、足元では米国の中国に対する「弱腰」とも取れる動きが散見される。
第一に、最先端半導体の輸出容認である。
米商務省で産業・安全保障を担当するケスラー次官は、7月14日の下院公聴会で、米エヌビディアの人工知能(AI)向け半導体「H200」について、中国への少量の輸出が始まったことを明らかにした。
半導体はAIの性能を左右する重要物資であり、米政府はこれまで最先端品の対中輸出を厳しく禁じてきた。しかし、米政府は今年2月に特定の中国顧客に対するH200の少量出荷を許可した。
当初は警戒感を示していた中国政府も、国内AI企業に対してH200の少量購入を許可する方針を示し、最先端半導体の対中輸出が実行に移された形である。これはAI覇権を巡る対中規制の緩和とも受け取れる動きである。
第二に、中国によるミサイル発射への対応だ。
7月6日、中国人民解放軍の原子力潜水艦が太平洋の公海に向けて潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)を発射した。専門家の間では、米国本土を叩ける核戦力を誇示し、対等な立場で交渉のテーブルに着くよう求める「戦略的コミュニケーション」の側面があるとの見方もある。
こうした動きに対し、米国務省は当然ながら非難したものの、トランプ大統領自身が言及することはなく、事態はすぐに沈静化した。実態としては、米国がこの挑発を看過したとみなされてもおかしくない対応だった。
■関税には「及び腰」
第三に、中国の貿易合意不履行に対する及び腰な対応である。
トランプ政権で通商政策全般を担当する米通商代表部(USTR)は、昨年10月に韓国・釜山で締結された米中合意の主要目的であったレアアース(希土類)の供給確保について、中国が合意を順守していないと認識している。実際、レアアース関連の主要品目である金属製永久磁石の中国からの輸入は、大幅な減少こそないものの、低水準のまま推移している(図表2)。
米政権は度々懸念を表明しているが、中国からは逆にトランプ関税などに関して反発を受ける始末で、今のところ状況改善の兆しは見られない。トランプ政権内には、中国を公に非難して再び貿易戦争に引き戻す事態を避けようとする雰囲気が広がっているとの見方がある。
米ハイテク企業も、供給のボトルネック解消に向けて幹部を北京に派遣するなど、政府の対応の遅れを補うような独自の外交的取り組みを余儀なくされているのが実態だ。
■対中戦略は「長期戦」の構えにシフト
トランプ政権が対中強硬姿勢を和らげている理由は、対中戦略を「短期決戦」から「長期戦」の構えへとシフトさせてきたことにある。
トランプ政権の政策の根底には、行き過ぎたグローバリズムの巻き戻しがある。グローバル化の結果として中国の製造力・供給力が過度に強まり、米国の製造業が衰退したという強い危機感だ。そのため、政権発足当初は、トランプ関税などの強力な圧力によって中国から短期的な譲歩を引き出し、その勢いを失速させることができると考えていた節がある。
しかし現実には、中国側もレアアースの輸出規制という強力な対抗手段を持っており、逆に米国のサプライチェーンの脆弱性が露呈する結果となった。中国当局は、中国以外の地域で機能するレアアースのサプライチェーンが確立されるまでには相当な時間を要すると見込んでおり、その間は自国の優位性を最大限に発揮する構えだ。
トランプ政権も、レアアースの問題を含め、一度深く結びついた米中の経済関係を短期間で容易に切り離すことは不可能であるという厳しい現実を、改めて突きつけられた形である。
そのため、トランプ政権は現在、AI革命を見据えた新たな製造業基盤の構築と、中国に依存しない重要鉱物のサプライチェーン構築に注力する方向へと舵を切った。
これらの取り組みが成果を上げるには時間を要するため、AIなどの技術覇権で優位に立ち続けることを最優先課題としつつ、当面は中国との全面対立を避けて関係を管理していく「長期戦」の構えをとっているとみられる。
■「バイデン回帰」という皮肉な結果に
こうしたトランプ政権の現在のアプローチは、皮肉にも前任のバイデン政権の対中戦略に回帰しているように見える。
バイデン前政権は、「スモールヤード・ハイフェンス(small yard high fence:小さな庭、高い壁)」を掲げ、安全保障に直結する重要技術の流出は厳格に防ぎつつも、それ以外の分野では経済関係を維持し、短期的には関係の安定化を図るという戦略を取っていた。
いかに強硬なトランプ大統領であっても、対中戦略においては「米国がどこまで自国のサプライチェーンを再構築し、中国への依存から脱却できるか」という現実的な問いからは逃れられなかったということだ。
ただし、逆に言えば、短期的には緊張緩和の合理性があるものの、根本的な覇権争いの対立構造は全く解消されていない。
トランプ氏は、条件が不公平だと判断した場合や、自身に有利な条件で再交渉できる機会があると考えた場合には、突如として、再び強硬策に転じる姿勢をこれまでも繰り返し示してきた。
まずは、トランプ政権が9月の習主席の訪米と首脳会談の実現に向けて、トランプ関税という武器に関してどこまで「沈黙」を保つのか。そして、今後の米中関係の試金石となる9月の習主席の訪米と首脳会談において、どのようなディールが交わされるのか。米国が、中国に対する長期戦のシナリオを維持できるのかを見極める上で、その行方が大きく注目される。
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髙橋 尚太郎(たかはし・しょうたろう)
伊藤忠総研上席主任研究員
2005年日本銀行入行、国際経済調査や金融市場調査等に従事。2017年有限責任監査法人トーマツ入社、マクロ経済分析サービスやリスク管理アドバイザリー等のプロジェクトに従事。2019年伊藤忠商事入社後、伊藤忠総研へ出向。東京大学大学院情報理工学系研究科修了。London School of Economics and Political Science(LSE)経済学修士課程修了。
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(伊藤忠総研上席主任研究員 髙橋 尚太郎)

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