※本稿は、九和律(9割が知らない雑学)著、齋藤勝裕監修『生命・地球・植物・動物・宇宙をめぐる46億年の物語 科学の教養大全』(Gakken)の一部を再編集したものです。
■原爆製造計画に参加した若き科学者
時は20世紀。アメリカで、とある金属が世界を一変させました。その金属とは「鉛」です。鉛が、世界一の公害を引き起こしたのです。
1944年、アメリカにクレア・パターソンという若い科学者がいました。彼は、大学の修士課程を卒業してすぐ、「マンハッタン計画」で働くことになりました。
マンハッタン計画とは、第二次世界大戦中のアメリカ初の核兵器研究プロジェクトです。原子爆弾は、ウランという原子に中性子を勢いよくぶつけ、核分裂させることによるエネルギーで爆発を起こす爆弾のことです。
しかし、そう簡単に原子核は破壊出来ません。たとえば、身の回りの鉄などの原子核に中性子をぶつけても、核分裂を起こすことはありません。
■ウランで「地球の年齢」を暴く
ウランが不安定なのは、ウランの原子核内が陽子でミチミチに詰まっているからです。ウランの原子核内には実に92個の陽子が詰まっており、原子核はプラスの電気を持っているため反発し合う92個の陽子を、「核力」という力で無理やり押さえつけています。
たとえるなら、ウランはパンパンに膨れ上がった風船のようなものです。中性子の衝突など、何かの刺激があれば破裂してしまいます。
さて、パターソンはこのウランの研究者でした。そしてなんやかんやあって、このウランを利用した爆弾「原子爆弾」開発は成功し、プロジェクトは終了しました。
その後、優れた科学者であったパターソンは、ウランの不安定性をうまく利用した、画期的な研究を思いつきます。
彼は、ウランの不安定性から、地球の年齢を測定出来ることに気がついたのです。
■45億年でウランと鉛は1:1になる
先ほど、ウランは極めて不安定な原子だと説明しました。そのためウランという原子は、別に中性子をぶつけなくとも、確率的にゆっくりと崩壊していきます。
パンパンに膨らんだ風船から、徐々に空気が抜けていくみたいな感じです。
ウランは長い時間をかけて、原子核内の陽子や中性子を外部に放出し、萎(しぼ)んでいきます。この時に出ていく陽子などは放射線と呼ばれます。そしてウランは最終的に、極めて安定な原子である「鉛」になって落ち着きます。
とはいえ、地球上のすべてのウランは最終的に必ず安定な鉛になれるわけではありません。陽子や中性子が原子核から飛び出す現象はランダムに発生するからです。
たとえばここに、ウランが12個含まれた鉱物があったとします。この鉱物中のウランは45億年経過すると、全体の約半分の6個のウランが鉛になるとされています。残りの6個はウランのままです。
パターソンは、この現象を地球の年齢測定に利用出来ることに気づきました。たとえばある鉱物のウランと鉛の比率を調べ、その比率が半分半分だったとします。すると、この鉱物の年齢は45億歳だと分かるわけです。
■「予測以上の鉛」はどこから来たのか?
戦争が終わった後、パターソンは大学に戻りさっそくこの方法を試すべく、まずは手始めに年代の分かっている鉱物のウランと鉛の比率を調べました。
この画期的な「ウラン→鉛変換の測定法」で算出した年齢と、鉱物の実際の年齢が全く違ったのです。端的に言えば失敗です。
実験に使用した鉱物には、予測された量以上の鉛が含まれていました。
パターソンはこの余分な鉛がどこから来たのか考え、衝撃の事実に気がつきました。それは、その当時のアメリカの大気が深刻な鉛汚染に侵されており、果ては大量の鉛中毒者を生み出す未来でした。
■うるさいエンジン音を黙らせるには…
時は少し遡って1911年のアメリカ。キャデラックモデル30という大人気の車がありました。しかしこの車、エンジンが異常にうるさいという問題がありました。いわゆるノッキングというものです。確かに映画などで見る昔の車のエンジンって、荒々しくてうるさいイメージがありますよね。
現在のエンジンは燃料の発火を管理していますが、当時はエンジン内で燃料が自己着火してしまうことがあり、騒音はこれが原因でした。
要は、燃料の一部が爆発していたからうるさかったのです。
そのため、当時の化学者たちは自然発火のリスクの低い圧縮に耐えられるだけの燃料を探していました。この圧縮による自己着火のしにくさを「オクタン価」と言います。オクタン価が高ければ高いほど、燃料に適しています。ガソリンスタンドでよく聞くハイオクとは、ハイオクタン価燃料の略です。高級車やスポーツカーがハイオクを燃料にするのは、通常の車よりも高圧縮高出力のエンジンを搭載(とうさい)しているからです。
■3000億円を生む「四エチル鉛」の発見
当時の科学者は、ガソリンに少量の添加物を加えることでオクタン価を高めようとしました。そして1921年、トーマス・ミジリーというエンジニアが5年間かけて、いくつもの添加物を試し、完璧な解決策を見つけました。それは四エチル鉛という添加物でした。
パターソンのマンハッタン計画参加の約20年前のことです。
ミジリーの発見した四エチル鉛は燃料の1000分の1加えるだけで、オクタン価を高められる優れものでした。安価で製造可能であり、この発見による利益は3000億円だとも言われました。
ミジリーはアメリカ最大の車メーカーであるゼネラルモーターズ他3社と協力し、エチル社を設立。1950年代には世界中の何百万人ものドライバーが自動車内のエンジンで鉛を燃やし、大気中に鉛を放出していきました。その鉛の一部は、ラボで地球の年齢測定の研究をしていたパターソンの鉱物に付着し、研究の邪魔をすることになったのです。
■「最高の金属」だけど人体に有害
さて、では鉛を大気中に放出することは、悪いことなのでしょうか。
ここで鉛という金属について整理しましょう。鉛という金属は、融点(ゆうてん)が低く高比重です。そのため鋳造(ちゅうぞう)が容易で加工しやすいです。また水に溶けないため、水中でも腐食されにくい性質があります。つまりは安く、扱いやすい最高の金属なのです。そのため古代から広く利用されてきました。
しかしこの金属、運悪く人体にとっては有害です。近年、「鉛フリー」と銘打った製品が出ているのはこのためです。
具体的に、鉛のどのような部分が有害なのでしょう。
冒頭で、不安定なウランは放射性崩壊し、安定な鉛になると述べました。また、鉛はその原子の安定性から、ガソリンに混ぜると自己着火を防げます。しかし言ってしまえば、鉛は安定し過ぎることが問題なのです。
なぜなら安定し過ぎている鉛は、何かから鉛になることはあっても、鉛が他の物質になる変化が起こりにくいからです。したがって、鉛はその安定性から、土壌でも大気でも分解されず、一生蓄積していくのです。
人体に極めて有害な金属が、一生分解されずに地球に溜まっていくのです。
■体内に留まり、ほぼすべての臓器を蝕む
鉛のもう1つの特徴は、人体への蓄積性です。鉛は物理的・化学的特性がカルシウムと非常に似ているため、人体は体内に入った鉛をカルシウムと誤認し、消化管からカルシウムと一緒に吸収します。人体はカルシウムの代わりに鉛を骨に定着してしまい、長期間にわたって鉛の影響を受けることになります。こうして鉛中毒が起こります。
たくさん鉛を摂取するから鉛中毒が起こるというより、鉛が体外へ排出されにくいため。結果的に体内に鉛が多く蓄積することで、中毒が起こります。
鉛は、人体のほぼすべての臓器に影響を及ぼします。その中でも脳への影響が恐ろしく、神経伝達物質の放出を阻害することで、頭痛や記憶力の低下、運動障害などを引き起こします。鉛は、人類にとって極めて便利な性質を持つ一方で、人類に有害な性質も併せ持ちます。この二面性から、鉛は別名「悪魔の金属」と呼ばれることもあるほどです。
さて、鉛がこれだけ危険な物質であることに、ミジリーやエチル社は気づかなかったのでしょうか。
■安全性を主張した発見者も鉛中毒に
話をミジリーとパターソンに戻しましょう。結論から言えば、ミジリーは鉛の危険性に気がついていました。なぜなら、ミジリー自身が鉛中毒だったからです。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Thomas_Midgley,_Jr.jpg
1923年以降、鉛入りのガソリンの需要増加に応えるため、エチル社は1924年に化学プラントを建設し鉛入りのガソリン製造を開始しました。数カ月間で138人の現場作業者が中毒にかかり、二桁の人数が死亡するという事態になりました。
批判を浴びたミジリーは記者会見を開催し、安全性を証明するために四エチル鉛を自分の手に注いで、1分間吸引するパフォーマンスを行いました。またエチル社から資金提供された科学者たちも「鉛は自然の一部」と安全性を主張しました。
鉛が自然界にも存在しているという主張は、間違っていません。パターソンだって自然の中に鉛がいくら含まれているかで地球の年齢を測定しようとして、人工の鉛が邪魔だったことで今回の鉛汚染に気がついたのですから。
■全世界で1億人が健康被害を受けている
鉛は別に自然界では珍しい物質ではありません、地球上に数多く存在します。しかし自然由来の鉛の多くは地中深くに眠っており、昔の人は曝露(ばくろ)が少なかったのです。
そこでパターソンは昔と比べて、人類がどの程度鉛を曝露しているのかの調査を開始しました。アメリカで最近亡くなった人の骨に含まれる鉛の割合と、1600年以上前のミイラの骨の鉛を測定し見比べました。すると、現代のアメリカ人の骨からは、古代人の実に1000倍の量の鉛が検出されたのです。
WHOが出した調査によると、知的障害の3分の1は鉛による影響だとされ、2018年の研究では、鉛によって毎年アメリカの25万人が心臓発作で亡くなっているとされます。全世界でなんと約1億人が鉛の被害を受けていると推定されています。後の調査によれば、世界的にも鉛汚染の90%が有鉛ガソリンによるものだということが分かりました。
鉛の大気汚染にいち早く気づいたパターソンは、すぐさま環境運動を開始。このおかげで、現在では車のガソリンに鉛を添加することは禁止されています。彼は、この鉛禁止活動を、マンハッタン計画の罪滅ぼしだと考えていたとか。
またパターソンは紆余曲折(うよきょくせつ)あって、地球の年齢が約45.5億年と算定することに成功しました。この数字は半世紀以上経過した現在でも、訂正されることなく生き続けています。
■「世界一地球環境を破壊した男」
一方、ミジリーはエチルで成功を収めた後、実はもう1つ画期的な発明をしています。
ゼネラルモーターズは車以外にも家電を製造しており、冷蔵庫やエアコンを製造していました。当時、冷蔵庫やエアコンで内部のものを冷却するために使われていた化学物質は可燃性であり、安全性に問題がありました。ここでもミジリーは完璧な解決策を見つけ、フロンという物質を発見し、冷蔵庫などに使用することを提案。見事採用され、フロン冷媒の家電が世界中で売れていきました。
しかし、残念ながらフロンはオゾン層を破壊する環境破壊物質でした。当時、世界中の家電に搭載されたフロンはオゾン層を破壊し、数年経ったのちに、モントリオール議定書にてフロンの規制が始まりました。
やることなすことすべてが裏目に出てしまった、「ちょい足し」の天才ミジリー。
当初、ミジリーは世界中の人を便利にしようとがんばっただけでした。その結果、彼は世界一地球環境を破壊しました。アメリカでミジリーは「すごいほど残念な才能を持つ男」「有史以来、地球の大気に最も大きな影響をもたらした生命体」と評されています。
■危険性を知りながら、偽って広めた罪
詩人ハインリヒ・ハイネは言いました。
「本を焼く者は、やがて人間も焼くようになる」と。
ミジリーが有鉛ガソリンを発見した際、実はその100年以上前から、鉛の人体への危険性は知られていました。だから広告上では、ガソリンに鉛を添加していることは伏せられていました。名前も有鉛ガソリンではなく「エチルガソリン」と名を改めて売り出しました。当時のアメリカで、車のエンジンの中で焼いていたものは、鉛ではなく過去の知識だったのかもしれません。
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九和 律(くわ・りつ)
科学教養系YouTuber
科学の魅力や知識を伝えるYouTubeチャンネル「9割が知らない雑学」を運営。「言われなければ不思議にも思わなかった、当たり前の事実」を面白おかしく動画で紹介。わずか120本ほどの動画で、総再生回数は1億回を超えている。
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齋藤 勝裕(さいとう・かつひろ)
名古屋工業大学名誉教授
1945年生まれ。1974年、東北大学大学院理学研究科博士課程修了。理学博士。おもな著書に「絶対わかる化学シリーズ」(講談社)、「わかる化学シリーズ」(東京化学同人)、「わかる×わかった! 化学シリーズ」(オーム社)、『料理の科学』(SBクリエイティブ)、『「発酵」のことが一冊でまるごとわかる』『「原子力」のことが一冊でまるごとわかる』『身のまわりの「危険物の科学」が一冊でまるごとわかる』(ベレ出版)ほか多数。
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(科学教養系YouTuber 九和 律、名古屋工業大学名誉教授 齋藤 勝裕)

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