■19浪の“遠回り”で見つけた仕事
山田洋さんは現在60歳。19浪の末に九州大学に入学し、卒業後に塾講師になりました。現在は、合計6つの仕事を掛け持ちしています。昨年の年収は180万円台。世間的な尺度だけで見れば、決して恵まれているとは言えないかもしれません。
それでも山田さんは「今が一番幸せ」と屈託なく笑います。
大企業に就職した九州大学時代の友達もたくさんいるそうですが、彼らに嫉妬を感じたことも一切ないそうです。
「私は年収も少ないし、子供もいません。好きに生きてきましたが、世間一般で幸せだとされる生き方を羨ましいと思ったことはないんです。給料が少なくても自分で選んだ人生ですから、後悔はしていません。今が楽しければいいという気持ちです」
■最初は「38歳の九大生」のアルバイト
そもそも塾講師をするようになったきっかけは、23年前に遡ります。38歳で九州大学に入学した山田さんは、すぐに塾講師のアルバイトを始めました。入学後まもなく九州最大手の学習塾、英進館に電話をかけ、そのまま採用が決まりました。
「塾講師のアルバイトをすることは決めていて、入学したらすぐにやりたいと思っていました。英進館では当時、学生アルバイトの講師を募集しておらず、新卒以上じゃないと採用をしていなかったんですが、年齢が年齢なので……(笑)。38歳で塾講師のアルバイトを希望する人は、基本的に想定されていなかったと思いますが、よく採用してくださったと思います。英進館は、面白い授業をする先生を評価してくれる風土があったのがよくて、模擬授業をしたところ、即採用が決まりました」
九州大学という肩書に加えて、「人前に立つ力も評価されたのだと思います」と語る山田さん。
「私自身が陽キャなので、中学生の生徒とも友達のように接することができるんです」
魚民やデニーズなど、浪人時代に19年間アルバイトで接客をした経験も、確かに生きていました。
■6つの仕事を掛け持ち、徹夜で準備をする日も
現在、60歳となった山田さんは英進館のほか個別指導塾2校、家庭教師3件、計6件の仕事を掛け持ちしています。
「午後から出勤することが多いので、今は生徒のためにプリントを用意するときは、ほぼ毎回徹夜しています。浪人中、これほど勉強したことがないっていうぐらい、今は勉強しています。生徒の何十倍も知識を持っていないと、わかりやすく噛み砕いて教えられないし、自分も自信を持って教えられない。だから、そこに時間をかけるのは譲れないんです」
ここ2~3年で一番高い買い物を尋ねると、「Amazonで4万円ちょっとしたパソコンのプリンター」と答えてくれた山田さん。
それも塾で大量のプリントを作るので、インクがあっという間になくなってしまうため、大容量のインクを使えるエコタンク式のプリンターを買おうと思ったそうです。
年収180万円の山田さんにとって、ここ最近で一番の贅沢は仕事道具だったのです。
浪人していた間は勉強にさほど根を詰めていなかった山田さんは、塾講師になって初めて、本気で机に向かうようになりました。
■150人中1位と、真似できないキャラ
英進館では、生徒による授業アンケートがあります。全ての先生を採点する仕組みで、山田さんは英語担当の常勤・非常勤を含めた講師約150人の中で、1位を獲得したことがあります。
それも一度ではなく、1年のうちに複数回、通算で6回ほど1位を取ったといいます。講師としてのキャリアはまだ2~3年目の頃のことでした。
「真面目な話ばかりしているわけではないので、時折挟む雑談が面白かったのかもしれません。当時勤めていた英進館の教室長から言っていただいたことをよく覚えているのですが、『山田先生はキャラでだいぶ得をしている。教え方は真似できても、キャラは真似できない』と」
浪人時代を乗り越えた持ち前の明るさで、生徒たちに光を当てているのだと思いました。
150人中1位という評価の裏には、単なる人当たりの良さだけでなく、19年間の浪人生活で積み重ねてきた経験があったように思います。魚民やデニーズでの接客のアルバイトを通じて培った、初対面の相手との距離の詰め方や場の空気を読む力。
そして、生徒として数えきれないほどの授業を受け続けてきたからこそ身についた、わかりやすい授業の感覚。浪人時代に積み上げてきたものが、そのまま生徒から支持される授業をつくる土台になっているのだと感じました。
■「学歴は心の一番奥に持っていればいい」
塾講師として教壇に立つようになって、山田さんは学歴について、あるひとつの実感を得たといいます。
「生徒は先生がどこの大学を出ているかを知りません。評価する基準は、学歴があってもなくても、みんな一緒なんです。それほど有名ではない大学出身の講師のほうが、評価が高い場合もあります。大学受験の指導では専門的な知識が必要になりますが、それは学歴の高さとはまた別の話なんですよね」
一方で、学歴が山田さんの虚栄心を満たす瞬間もあります。
「会社の人は、九大出身だと知ると、それだけで見る目が変わります。そういうところが評価の基準になるんですよね」
それでも、山田さんは自ら九州大学を卒業しているとは言いません。
「最終的に、『この人は九大卒なんだ』というバックボーンを知ってもらえれば、それでいいと思っています。いい大学を出たというのは、自分の心の一番奥に持っていさえすればいいんです。印籠じゃないけど、最後に出すものという感じですね」
ようやく手にした「九大卒」という学歴は、いまは本人の宝箱の奥深くにしまわれているようでした。
筆者は、9浪して早稲田大学に合格して以降、「早稲田」という看板を、むしろ前面に押し出すことでキャリアを築いてきました。学歴を心の奥にしまい、それを最後の最後にしか出さない山田さんの生き方は、私とは対照的であると感じます。しかし、19年かけて追いかけた名前をあえて表に出さないという選択そのものが、山田さんにとっての一番のプライドの示し方なのでしょう。
■生徒に伝えている教訓
山田さんは、生徒を指導する中で、子どもたちに意識的に伝えていることがあります。それは、「本当に好きなことを仕事にできたら、仕事で嫌なことがあっても全く苦にならない」ということです。
「塾講師を仕事としてやっているので、主に教えるのは勉強面です。勉強によって得られるものももちろん大きいけど、本当に好きなことを仕事にしたら、どんなにつらいことがあった時も仕事が嫌にならない、と私自身の経験から話しています」
九州大学在学中から「とても楽しくて、のめり込んだ」と語る山田さんの塾講師としてのキャリアも、かつての浪人時代を上回る年数となりました。
■「私の人生に、19浪は全く無駄ではありません」
38歳から塾講師の世界に入った山田さんに、「もし今の経験を引き継いだまま18歳に戻れるとしたら、無理なく入れる大学に入って早くから塾講師のキャリアを積みたいとは思いませんか」と尋ねると、山田さんは即座に否定しました。
「やっぱりいい大学に入りたいと思います。なぜなら、19年間の経験が、塾講師の仕事に直接生きていると思うからです。いろんな人に勉強を教えてもらっていたから、インプットだけは多くなりました。今はそれを仕事でアウトプットしているだけです。全く後悔していません。私の人生にとって、長年の浪人生活は全く無駄ではありませんでした」
山田さんの話を聞いていて思ったのは、現在の彼の仕事を支えているのは九州大学という学歴そのものではなく、19年間の浪人生活だということです。生徒との距離の詰め方も、人前で物怖じせず話せる力も、その間のアルバイトや受験勉強のなかで積み上げてきた経験から生まれたものであると感じました。
もし山田さんが浪人をせず、若いうちに九州大学へ進学していたら、はたして今のような教え方、今のような生徒との向き合い方ができていたでしょうか。一見遠回りに見えた時間こそが、山田さんにとっての本当の学びの期間であり、それが仕事につながったのだと私は感じています。
■「塾講師は、私にとって天職です」
塾講師として働くうえでの山田さんのモチベーションは、「人の幸せに貢献できることにある」といいます。
「私の授業を受けたことで英語が好きになってほしい。
最後に、もし生徒から「絶対に東大に入りたい。どうすればいいか」と聞かれたら、山田さんは何と答えるのでしょうか。かつての自分自身と重ねて聞いてみました。
「私のように無謀にも挑戦する生徒がいた場合と解釈すると『その結果生じるさまざまなマイナス面がたくさんあるから、それをすべて受け入れられる覚悟があるなら、自分の人生なんだから自分が望むように生きればいいと思う』と言うと思います。ただ、やはり年を取ると体も言うことをきかなくなりますし、その頃になって路頭に迷うようなら最悪なので、『お金だけは貯めておきなさい』とも付け加えたいですね」
19年という歳月は、「東京大学」という学歴を山田さんにもたらしませんでした。しかし、生徒の前に立つ山田さんという人間そのものを作りました。
「塾講師は、私にとって天職です」
年収180万円台でも、仕事に熱中し、誇りを持って働いている山田さんは、「今が一番幸せです」と笑いました。
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濱井 正吾(はまい・しょうご)
教育ジャーナリスト
兵庫県出身、1990年11月11日生まれ。「9浪はまい」のニックネームでTwitterやYouTube、テレビ出演などを行っている。大阪産業大学経済学部経済学科に入学後、龍谷大学経済学部現代経済学科に編入学し、卒業。高校時代にいじめを受けたことから、いじめっ子を社会的に偉くなって見返したいと思い、在学中から仮面浪人として受験勉強を4年間続ける。大学卒業後、証券会社に契約社員として就職したが10日で自主退職、同月中に配置薬会社に再就職。昼は会社、夜は予備校という生活に。同社退職後は受験勉強に専念し、9浪で早稲田大学に一般受験で合格し、2018年に教育学部国語国文学科入学、2022年卒業。現在はカルペ・ディエム所属。
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(教育ジャーナリスト 濱井 正吾)

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