2023年10月に始まったイスラエルとパレスチナの紛争において、日本はどのような対応をしたのか。元外務大臣の上川陽子さんは「イスラエルとパレスチナの紛争は、就任から三週間後に始まった。
大きな決断を要したのは、戦火を交えているイスラエル、パレスチナ、ヨルダンへの訪問だった」という――。
※本稿は、上川陽子『外務大臣日誌』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
■ガザにおける邦人保護
イスラエルとパレスチナの紛争は、就任から三週間後に始まりました。パレスチナの武装組織ハマスがイスラエルを襲撃したとの報を受けたのは、同年12月に控えていた日本ASEAN友好協力50周年の節目に先立ち、ブルネイ、ベトナム、ラオス、タイを訪問するため成田空港に向かう早朝のことでした。
直ちに外務省の担当局長を呼び成田空港で状況説明を受けました。局長の後ろにあるテレビが、CNNの現地報道を生々しく映していたのを覚えています。何をおいてもいち早く当事国や関係国と話し合わねばならないと考え、東南アジアの訪問先から立て続けにイスラエル、エジプト、ヨルダン、カタールの外相と緊急電話会談を行いました。私の移動する先々が日本外交の最前線。そんなイメージでした。
事態発生後、まず取り組まねばならなかったのが、ガザにおける邦人保護の問題です。日本は歴史的にパレスチナに対し独自の政策や立場を選択してきた経緯があり、パレスチナの人道支援等に従事する邦人も多く現地にいます。有事が発生すると、ガザ地区からは自由に出国することができなくなります。
そのため、国が責任をもって邦人を安全なところまで退避させなければなりません。
情報を収集した結果、すでに軍用機を現地入りさせることが決まっていた韓国を頼ることになりました。韓国機に邦人を乗せて退避させることには、日本政府として自国の責任を果たすという点で抵抗がなくはなかったものの、そうした体面よりも可及的速やかな邦人の安全確保を最優先すべきと判断したためです。また、これを機に、今後どの地域で紛争が起きた場合でも、日韓は互いに先に現地入りした国の飛行機で両国の国民を退避させるという協定に道筋を付けることも意識しなかったわけではありませんでした。
■UNRWAへの支援再開
もう一つ、対応に追われたのはUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)です。国連機関であるUNRWAには各国からパレスチナ支援に多額の支援金が寄せられていますが、UNRWAのスタッフの中にテロ行為に加担した職員が複数いたのではないか、との指摘があり、日本も含め各国とも真相が明らかになるまでは支援を一旦停止せざるを得なくなりました。
ではどういう基準を満たせば再開が可能になるのか。難しい判断を迫られました。そこで私は同じG7外相として親しかったフランスのカトリーヌ・コロンナ元外相が国連のUNRWA検証の責任者となったことを機に、日本での会談などを重ね、国連加盟国共通の基準を作ってもらうことにしました。その際には、日本モデルとも言える基準を提言し、取り入れてもらいました。
そのうえで日本はさらに慎重を期し、独自の情勢分析・評価も加味して問題ないことを確認し、UNRWAへの支援を再開しました。
■同行する若手職員たちも危険にさらされる
大きな決断を要したのは、戦火を交えているイスラエル、パレスチナ、ヨルダンへの訪問です。
慎重な検討の結果、11月2日から5日にかけて各地を回り、外相会談や大統領への表敬、UNRWA本部への訪問などを実行することにしました。現地の状況やリスクが完全には把握できない中での決断でしたが、日本が紛争当事国双方と良好な友好関係を築いてきたことに加え、中東地域の平和と安定が自らの存立に直結する日本の外務大臣としては、ともかく早期に訪問する必要がありました。
訪問の際には、私一人で現地へ行くわけではありません。若手の担当職員も同行することになりますから、彼らの命を危険にさらすことを、外務大臣として覚悟しなければなりませんでした。家族もいる職員たちにリスクや身の危険に関する話をして、納得の上で同行を決断してもらう。これは私自身も大変勇気のいることでした。
出張前日の夕方、同行予定の若手職員に大臣室まで来てもらい、今回の訪問の危険性と意義について話をしました。全てを聞き終わって「わかりました、同行します」と言ってくれた彼らの笑顔を見て、改めて絶対に全員無事に帰って来なければと心の中で誓いました。
■イスラエル外相に伝えたこと
現地には3日早朝に着きました。早速、その後9時から40分間にわたり、イスラエルのエリ・コーヘン外相と会談しました。席上、私からはハマスの攻撃による犠牲者やご遺族に対する哀悼の意を表し、負傷者の方々へのお見舞いを申し上げ、ハマスが拘束している人質は即時解放されるべきであるとの日本の考えをお伝えしました。
そのうえで、ガザ地区の人道状況に対する憂慮も述べました。
ガザ地区は外部からの支援なしではすぐに住民が飢餓状態に陥ってしまう状況にあります。これに対しイスラエル側は、自分たちが行っているのはあくまでもハマスへの反撃であり、市民を標的としたものではないと即座に反論しました。しかしガザ地区の人々からすれば生活環境が破壊され、最悪の場合は命を落とすことにつながるのですから、イスラエルの立場、主張を踏まえたうえでも、この点は明確な言葉で指摘せざるを得ませんでした。
さらに邦人の安全確保に関して協力を求めたところ、コーヘン外相も協力を惜しまないと発言され、私はイスラエルの協力姿勢に謝意を述べました。
■テロ被害者家族との面会
その後、コーヘン外相同席のもと、テロ被害者のご家族たちとお会いしました。
ご家族の方々の状況については、代表者の方が一人ひとりのケースについて説明してくれました。ある方は2組のカップル4名でイスラエルで開催されたミュージックライブに参加していたところ、そのうちの2人が拉致されて人質にされたとのことでした。言うまでもなくイスラエル側にも被害が出ていて、被害者が存在します。私との面談などを通じて、イスラエル政府が自国を被害者だと国際世論に向け強くPRしたいという考えであることを感じました。
ほかにもテロ攻撃で亡くなった方やハマスに連れ去られ人質とされている方のご家族などいずれも悲痛な思いのもと、自らの体験を語ってくださいました。当時日本の報道ではイスラエルによる報復攻撃の激しさやガザの深刻な被害についてが大きく扱われていましたが、国家対国家の外交の場面ではあっても、被害者はやはり一般のイスラエル市民であり、そうした人たちとも積極的に接点を持つことで新たな外交の切り口が模索できるのではないかと強く感じました。
■ガザ地区の人道状況の深刻化に触れる
被害者家族の方々との面会の後には、イスラエルのイツハク・ヘルツォグ大統領を表敬訪問しました。
ここでもハマスのテロ攻撃に対しては断固非難すると述べたうえで、ご遺族らへの哀悼の意やお見舞いを申し述べるとともに、ガザ地区の人道状況の深刻化にも触れました。その際、全ての行動は国際人道法を含む国際法に従って行われるべきことを強調しました。
同日の午後には、パレスチナのヨルダン川西岸地区へ車で移動しました。イスラエルと西岸地区の間には、イスラエル側、パレスチナ側のそれぞれの関門があり、パレスチナ側の関門ではかなり威圧的に「ここで車から降りるように」と通告されました。緊張感の高まる一幕でしたが、一体何のために降りる必要があるのか問い合わせたところ、特に回答がなかったので車から降りることはせず、そのまま行くことにしました。
関門近くの山の表面にはあちこちに穴が開いた盛り土が点在していましたが、おそらく機関銃やミサイルなどが発射されるサイトなのでしょう。イスラエルとパレスチナの間は平時からいざとなればすぐに攻撃に移れるような一触即発の状態なのだろうと思うと、さらに緊張感は増しました。
■パレスチナの外務省に到着
そうして西岸地区に入ってみると、確かにガザ地区とは違って戦闘地域になっているわけではないのですが、イスラエル側のインフラと比べると圧倒的に貧しく、道路の舗装もままなりません。イスラエル側では道路の真ん中に街路樹が立っていたり、市民がオープンテラスでカフェを楽しんでいる場面を垣間見ましたが、西岸地区ではそうした雰囲気は一切ありませんでした。街中にゴミがあふれ、ビルも建ってはいますがごく貧しいものです。スラムと呼んでも差し支えないような風景の中に、しっかりした住宅がポツポツ点在しているのを見ましたが、それらはおそらくイスラエル側からの入植者のものなのでしょう。
難しい状況の中にあるパレスチナは、国としてのガバナンスが利いていません。
それでも自治政府としての機能はあり、外務省も存在します。西岸地区に入り車で20分ほど移動して、パレスチナの外務省に到着しました。
そこでリヤード・マーリキー外相とお会いし、ガザ地区で亡くなられた市民のご遺族への追悼の意などをお伝えしたところ、マーリキー外相からはガザ地区が深刻な非人道的状況に直面していること、西岸地区においても緊張や暴力が高まっているとの発言がありました。
■イスラエル側、パレスチナ側と会談し、ヨルダンへ
今回の件に関しては、明らかにハマスによるイスラエルへのテロ攻撃が発端になっており、国際社会が人質解放や事態の早期鎮静化を求めるのは当然のことです。しかし一方で、ガザ地区の深刻な人道状況については日本としても看過できません。そこで私は自らの外交テーマでもある「WPS(Women, Peace and Security:女性・平和・安全保障)」の観点から、特に子どもや女性が被害に遭っていることに対する懸念を伝えるとともに、一日も早くガザ地区の人々に必要な支援を届けることが目下の緊急課題であると述べました。
そのうえで、この時点ですでに決定していた日本政府からの1000万ドルの緊急無償資金協力に加え、当面の措置としてパレスチナに対する約6500万ドルの追加的な人道支援や、JICA(国際協力機構)を通じた支援物資の供与を行うべく、すでに取り組みを始めていることも伝えました。
こうしてまずイスラエル側、パレスチナ側、双方の外相らと会談し、翌日はヨルダンへ移動してアイマン・サファディ外相と会談しました。
■東京で面会した3人の中学生と再会
ヨルダンは、歴史的にイスラエルとパレスチナの間で仲介的な役割を果たしてきた国です。また日本との関係においても、王室があるため日本の皇室との伝統的な交流があるほか、ヨルダンでは日本のアニメなどの文化が大変な人気を博しており、中東の中でもとりわけ親日的です。
ヨルダンはイスラエルからの邦人等の退避時に協力をいただいており、自衛隊機の受け入れについても便宜を図ってくれていました。これらに対する謝辞を述べたところ、サファディ外相からも協力を惜しまない旨の発言をいただきました。

その後、ヨルダンの首都アンマンにあるUNRWA本部へ移動し、ガザ地区出身の中学生3名との懇談や、ラザリーニ事務局長との会談を行いました。
ここで懇談した3名の中学生は、実はハマスのテロ攻撃が始まる直前、東京の外務大臣室で面会したばかりでした。UNRWA経由で日本から奨学金を受けている子どもたちを代表して日本を表敬訪問していたのです。
■ガザに戻れなくなってしまった
大臣室で面会した際、中学生の一人は「将来は科学者になりたい」と自らの人生に明るい未来を描き、抱負を語っていました。ところが日本訪問中にテロ攻撃が起きてガザ地区が封鎖されたため、ガザに戻れなくなってしまったのです。家族と離れて数カ月間日本で過ごしたのですが、日本を出国した後もガザに戻ることはできず、アンマンのUNRWA施設に滞在していたのです。
彼女たちとハグをして、再会を喜び合ったのですが、その際に彼女たちから言われた一言に私は打ちのめされることになりました。
「あなたは責任がある人なのでしょう。ならば早く平和を創ってほしい。戦闘を止めてください」
この時の真剣な、まっすぐなまなざしを今も忘れることができません。
UNRWAではラザリーニ事務局長からガザ地区の人道状況について詳細な説明を聞き、日本は引き続きUNRWAを支援していく旨を述べました。

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上川 陽子(かみかわ・ようこ)

元外務大臣

1953年、静岡市生まれ。静岡雙葉学園、東京大学(国際関係論)卒業。三菱総合研究所を経てハーバード大学ケネディスクールへ留学。米国上院議員の政策立案スタッフを務め、大統領選挙運動にも参加。帰国後、政策コンサルティング会社設立。2000年、衆議院総選挙で初当選(静岡1区)、現在9期目。2004年、自民党女性局長、2007年、男女共同参画・少子化対策担当大臣、2008年、初代公文書管理担当大臣、2014・17・20年、3度の法務大臣、2015年、自民党司法制度調査会長、党憲法改正推進本部事務局長、2023年、外務大臣就任。

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(元外務大臣 上川 陽子)
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