小説家の東野圭吾さんが、7月23日に死去した。享年68歳。
遺作は代表作「ガリレオ」シリーズ『』だった。東野氏の著作を全て読んできたミステリ評論家の千街晶之さんは「遺作を読んで、東野作品らしい仕掛けに驚いた。東野さんが遺作に込めた想いも感じた」という――。
■こうして東野圭吾はベストセラー作家になった
日本を代表するミステリ作家・東野圭吾が2026年7月23日に逝去した。その事実が公表されたのは、同じ月の27日のことだった。死因は大腸がんで、数年前から闘病を続けていたという。27日の夜、店頭に並ぶより一足先に手元に届いていた『永遠の記憶』――図らずも著者の遺作となった作品に目を通して、私はその内容に、訃報から受けたのとほぼ同等の大きな衝撃を受けていた。ある意味、この上なく遺作に相応しい内容であり、大変な問題作でもあると思う。
何がそれほど衝撃的だったのか。それを語るのは後に回し、東野圭吾とはいかなる作家だったのかを紹介しておきたい。
1958年、大阪市に生まれた著者は、『放課後』(1985年)で第31回江戸川乱歩賞を受賞し、小説家デビューを果たした。その後、『秘密』(1998年)で第52回日本推理作家協会賞、『容疑者Xの献身』(2005年)で第134回直木賞および第6回本格ミステリ大賞、『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(2012年)で第7回中央公論文芸賞、『夢幻花』(2013年)で第26回柴田錬三郎賞、『祈りの幕が下りる時』(2013年)で第48回吉川英治文学賞……といった具合にさまざまな文学賞を受賞した。

作品ではなく個人に与えられる賞としては、野間出版文化賞、菊池寛賞、日本ミステリー文学大賞を受賞し、紫綬褒章、紺綬褒章も受章している。2009年から2013年までは日本推理作家協会の理事長を務めた。著作の国内累計発行部数は2023年の時点で1億部を突破した桁外れのベストセラー作家であり、しかもその作品群は海外にも翻訳され、特に韓国や中国などでは圧倒的な人気を誇っていた。日本で最も知名度の高い純文学作家が村上春樹なら、最も知られたエンターテインメント作家は東野圭吾だった――それくらいの位置にいたと言っていいだろう。
■デビュー13年後に『秘密』でブレーク
ただし、彼の作家としての道のりは、最初から順調だったわけではなかった。デビュー翌年には専業作家となっているが、刊行された時点では増刷されない作品も多く、文学賞の候補にノミネートされながらなかなか受賞の機会には恵まれない時期が続いた。
しかし、『名探偵の掟』や『どちらかが彼女を殺した』などを発表した1996年あたりから注目度を増し、1998年の『秘密』でついに大ブレークを果たした。その後のベストセラー作家としての歩みについては説明の必要もないだろう。凝りに凝った謎解きミステリから、人情味を重視した小説、心理サスペンス、コミカルな作品、ファンタジー的設定を採り入れたものなど、その作風は幅広かったが、後世に残る二大代表作は『白夜行』(1999年)と『容疑者Xの献身』ということになるだろう。
■福山雅治がガリレオこと湯川学を演じた
その作品群の大部分が映画化・ドラマ化などメディアミックスされ、それによって知名度を更にアップさせているのも著者の特色で、たとえ原作は読んだことがなくても、阿部寛主演の加賀恭一郎シリーズ、福山雅治主演の湯川学シリーズの映画やドラマを観たことがあるひとは多いに違いない。
それほどの人気作家だった東野圭吾が、68歳でこの世を去ってしまったのだ。ミステリ界、いや、エンターテインメント界にとって、あまりにも巨大な喪失であった。

そんな喪失感を抱えた状態で、私は『』を読みはじめた。そして、冒頭に記したような茫然自失状態に陥ったのである。
『永遠の記憶』――まるで東野圭吾という存在そのものを象徴するかのような、あまりにも意味深長なタイトルがつけられたこの作品は、天才物理学者の「ガリレオ」こと湯川学の活躍を描いたシリーズの第11作にあたる。
このシリーズの第1作『探偵ガリレオ』は1998年に刊行された。湯川学が大学時代からの友人である警視庁捜査一課の刑事・草薙俊平(ドラマ・映画では北村一輝が演じた)の依頼を受け、まるで超常現象のような不可解な事件を、科学の知識によってロジカルに解決していく短篇集である。元エンジニアの著者らしい、理系の知識がふんだんに盛り込まれた謎解きで楽しませてくれる1冊だ。
■直木賞受賞作もガリレオシリーズ
その後、同様の趣向の第2短篇集『予知夢』が2000年に刊行されているが、シリーズの転機となったのが、直木賞と本格ミステリ大賞をダブル受賞することになるシリーズ初の長篇『容疑者Xの献身』だ。
この小説には、石神哲哉という天才数学者が登場する(映画版では堤真一が演じた)。彼は、隣人の母娘が殺人を犯してしまったことを知り、彼女たちを救うために巧妙な隠蔽計画を立てる。草薙刑事ら捜査陣は母娘を疑うが、アリバイは完璧でどうしても崩せない。そこで草薙はいつものように湯川に相談を持ちかけるが、奇しくも湯川と石神は大学時代に友人同士であり、お互いを天才と認める仲だった。
この長篇で著者は、短篇では描ききれなかった湯川の人間性を掘り下げようとした。
彼は旧友の犯罪をいかに解き明かし、最終的にどのような決断をしたか――ここでの湯川はそれまでの超越的な天才ではなく、悩みもすれば苦しみもするひとりの人間である。湯川というキャラクターは、この作品で更なる人気を集めた。
■遺作『永遠の記憶』を読んで驚いた
その後も、短篇では主に物理的な謎解きを重視し、長篇では人間模様の機微を掘り下げてきたこのシリーズだが、最後の長篇となった『永遠の記憶』は、果たしてどのような作品なのか。刊行のタイミングは著者の逝去後になったものの、生前にプルーフ(新刊の発売前に出版社が作る、仮製本された見本)が書評家や書店員のもとに届いていたことを考えれば、校正などはすべて終了し、著者にとって思い残す部分のない状態での出版だったと考えるべきだろう。
シリーズの主要レギュラーとしては、湯川と草薙のほか、第3短篇集『ガリレオの苦悩』(2008年)から登場した草薙の後輩の刑事・内海薫(ドラマ・映画では柴咲コウが演じた)がいる。『永遠の記憶』は、その内海がスーパーマーケットで老人に刺されて負傷するという、極めて衝撃的な事件で開幕する。幸い、彼女は命に別条はなかったが、自分を刺した老人に心当たりはない。老人は事件直後にスーパーの屋上から投身自殺を図り、命は取り留めたものの黙秘を貫いており、身元はわからない。彼はどうして内海を刺したのか。湯川と草薙は、この不可解な事件の真実に迫っていく。
『探偵ガリレオ』収録作の1作目「燃える」は、『オール讀物』1996年11月号に掲載された作品だった。そこから数えると、今年はシリーズ開始から30周年にあたる。
作中でも同じくらいの年月が流れており、初登場時には34歳だった湯川と草薙も『永遠の記憶』では60代。湯川は帝都大学物理学助教授(准教授)から教授に昇進し、草薙は今や捜査一課の管理官として捜査の現場からは離れている。
草薙はまだ定年前だが、刑事としての人生を振り返る「終活」を考えている状態だ。初登場時は巡査長だった内海も警部補に昇進しており、しかも結婚して幼い息子がいる。シリーズを初期から追ってきた愛読者としては、時の流れをしみじみと感じてしまう。
■前半を読んだだけでは分からない
『永遠の記憶』は2部構成となっており、第1部「履歴(たど)る」では先述の内海薫襲撃事件の謎がある程度まで解き明かされる。「ある程度」というのは、残された謎がまだあるからだ。
湯川と草薙がその背景に迫っていくのが第2部「終活(ふりかえ)る」だが、正直なところ、この第2部を読みはじめた時点では私は著者のやりたかったことが掴めなかった。というのも、その残された謎というのは事件全体からは些細に見えることであり、それを辿る湯川と草薙の行動もなんだが地味に感じられたからだ。「この事件で、こだわるところはそこなのか?」と、内心で疑問を覚えながら読み進めた。
■とんでもないサプライズがある
ところが――あるページに、とんでもないサプライズが待ち受けている。といっても、このシリーズを今まで読んだことのないひとにとっては、何がサプライズなのかわからないかもしれない。
だがシリーズの愛読者にとっては、そのページに辿りついた時に著者のやりたかったことが一瞬でわかるのだ。そして、この第2部が湯川と草薙の「終活」として描かれている意味も。
私が衝撃を受けたのは、このページで明らかになる、著者の過去の作品との関連だ。著者は、自作について、あるいは自作への世評に対して表立って語ったり反応することはほぼなく、「ただ作品をもって語る」タイプの最たるものだった。その著者にして、「あのこと」はずっと心のどこかに引っかかっていたのか。いつか、作品をもって必ず応答しなければならないと思い続けてきたのか。
■東野氏が書き残しておきたかったこと
ネタばらしを避けるため、「あのこと」というのが何なのかは具体的には書けない。著者の愛読者なら皆が知っていること、とだけ記しておく。本書の決着をどう評価するかは、読者それぞれに思うところがあるはずだ。しかし、これはこの世を去る前に、著者がどうしても書き残しておきたかったことなのだろう。こうして常に読者を驚かせ、かつ誠実に、自分の構築した物語を深めていく著者だからこそ、こんなに多くの読者に愛され、記録的なベストセラーを連発できたのではないか。
闘病生活を送っていた著者が、本書が遺作になることをどこまで意識していたのかはわからない。
まだまだ書きたい話はたくさんあっただろうし、遺作となったのはあくまで結果だとも言える。だとしても、これほど遺作らしい遺作というのもなかなかない――そう感じるのも事実である。作家人生として、あまりにも鮮やかで、美しい幕引きだった。今はそのように評しておきたい。

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千街 晶之(せんがい・あきゆき)

ミステリ評論家

1970年生まれ。北海道倶知安町出身。北海道倶知安高等学校卒、立教大学文学部卒。日本推理作家協会、探偵小説研究会会員。「週刊文春」などで国内外のミステリ小説の評論を執筆。著書は『怪奇幻想ミステリ150選』『水面の星座 水底の宝石』『幻視者のリアル』『原作と映像の交叉光線 ミステリ映像の現在形』『ミステリ映像の最前線 原作と映像の交叉光線』『ミステリから見た「二〇二〇年」』、共著は『本格ミステリ・フラッシュバック』『21世紀本格ミステリ映像大全』など。

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(ミステリ評論家 千街 晶之)
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