東京のマンション価格が高騰し、現役世代には手の届きにくい水準になった。『なぜ働いても家を買えないのか』(日本経済新聞出版)を上梓した日本経済新聞記者の外山尚之さんは「かつてはマンションを購入することはリスクだと考えられていた。
ところが、ここ十数年の価格上昇で状況は大きく変わった」という――。(第1回)
■月々の家計は赤字の「億り人」
「生活費や教育費も加えると月々の収支は赤字になるので、ボーナスで調整している」。東京メトロ白金高輪駅近くのタワマン「白金ザ・スカイ」(東京・港)に住む斎藤彩美(仮名、38歳)はこう苦笑する。
2023年に竣工した同物件の価格は1億6000万円と、世帯年収の8倍に相当する。いわゆるパワーカップルの斎藤にとっても決して負担は軽くなく、資金繰りは綱渡りだ。ローンの返済に加え、管理費や修繕積立金を加えると毎月の住居費だけで45万円を超える。
仮に夫婦のどちらかが病気になったり、会社の業績が悪化してボーナスが減少したりするとキャッシュフローが回らなくなり、自宅を手放さざるを得ない可能性すらある。
しかし、本稿を執筆している26年8月の時点では、この賭けは正解だったといえそうだ。入居から3年がたった現在、白金高輪エリアの築浅のファミリータイプのマンションは3億円前後で取引されている。市場価格からローンの残債を差し引いた「含み益」は、1億円を超える計算となる。
■23区タワマンは平均価格でも1.7億円
投資の世界では、1億円以上の資産を築いた人のことを「億り人(おくりびと)」と呼ぶネットスラングが存在する。株式投資で1億円を達成するためには卓越した銘柄選定力や豊富な資金力など、人よりも抜きんでたものが必要だ。
しかし、ファミリータイプのタワマンを購入し、住み続けているだけで億り人となった人は決して少なくない。
不動産情報会社マーキュリーがまとめたデータによると、2000年代前半に東京23区で分譲された新築タワマンの平均価格は5000万円台だったが、2025年では1億7698万円と、3倍超となった。特に2020年代に入ってからの上昇は急激だった。
斉藤のように、1億円を超える巨額の利益はもともとの単価が高い都心のタワマンだからこそ実現したもので、極端な例ではある。しかし、少なくとも過去十数年間に限れば、東京23区のファミリータイプのマンションを購入した人であれば、よほど築年数が古かったり、立地が悪かったりする物件を除き、多かれ少なかれ利益が出ているのは間違いない。
■「賃貸vs持ち家」論争に決着
最近はめっきり聞かなくなったが、かつてマンションを巡っては「賃貸と購入、どちらが得か」という議論があった。日本で住宅を購入する場合、ほとんどの人は住宅ローンを組んでマンションを購入するが、30年以上にわたって巨額の負債を返済し続ける必要がある。
その間、価格下落や金利上昇、離婚、病気といった様々なリスクは個人が背負うには大きすぎる。その点、ライフスタイルの変化に応じて住む場所を気軽に変えることができる賃貸のほうが現代的だ――。これが賃貸派の主張だった。
2005年に発覚した姉歯建築設計事務所による構造計算書偽造問題により、マンションを購入した人々が補償も受けられずに二重ローンを抱えることになった姿が繰り返し報道されたことも記憶に新しく、「マンションを購入することはリスク」という意識は幅広く共有された。
もっとも、今になって振り返ってみると、こと金銭面に限れば、ほとんどの人にとって、東京では賃貸ではなく購入が正解だったと断言できるだろう。
それほどまでに、近年の東京におけるマンション相場の上昇は強烈だった。
■大企業の働き盛り社員でも家が買えない
不動産経済研究所によると、25年に東京23区で販売された新築マンションの平均価格は1億3613万円。首都圏まで広げても、9182万円となる。
厚生労働省の賃金構造基本統計調査から計算すると、東京都で社員数1000人以上の大企業で働く35~39歳の平均年収は賞与込みで約786万円。比較的恵まれた立場の人ですら、23区では年収の17倍、首都圏でも12倍近くとなる。「働いても家が買えない」というのは、多くの人々の実感に即したものだろう。
既にマンションを購入した人々が多額の含み益を抱える一方で、これから家を購入しようとする世代は手が届かなくなってしまったのはなぜか。歴史的な経緯を振り返るために、時計の針を少し戻したい。
今や価格上昇が当たり前となっている東京のマンションだが、常に上昇気流にあったわけではない。むしろ、10年以上続く相場上昇の前には「冬の時代」があった。
私が日本経済新聞の記者としてはじめて不動産を担当した2010年頃は、まさにこうした冬の時期だった。2003年から2007年頃にかけて、ファンドバブル期と呼ばれた時期に世界中のマネーが日本の不動産に流入したが、オフィスに比べて住宅市場への影響は限定的だった。

そこに、2008年に米投資銀行リーマン・ブラザーズの破綻に端を発した世界金融危機が直撃した。
■待てば安くなるマンションの冬の時代
当時の取材ノートを読み返すと、新興のマンションデベロッパーからの内定取り消しにあった大学生のコメントを取りに行ったり、資金繰りに窮して事業再生ADR(裁判外紛争解決)手続きを申請した企業の社長を取材したり、雑居ビルの入り口で債権者集会の参加者を捕まえたりと、後ろ向きな取材が多かった。
今では考えられないことであるが、財閥系の大手デベロッパーですらモデルルームの集客に苦戦しており、客寄せのために来場者にクオカードを配るほどだった。取材先のデベロッパーの広報から冗談交じりに「安くするから買ってくださいよ」と言われたことを覚えている。
こうした状況下で、有利なのは買い手だ。「マンション価格は新築の時点がピークで、待てば待つほど安くなる」と公然と口にする専門家もいたし、実際、その通りだった。
2011年3月に発生した東日本大震災も、マンション市場に冷や水を浴びせた。消費者心理の冷え込みで住宅購入を様子見する姿勢が強まったほか、人気住宅地である千葉県浦安市で大規模な液状化現象が発生し、道路や上下水道などのインフラに多大な被害が生じたことも人々に持ち家の災害リスクを認識させた。
後に多数の億り人を生んだ東京の湾岸エリアも、被害がほぼ出ていなかったにもかかわらず、浦安市と同じく埋め立て地であるということで風評被害が発生し、売れ行きが鈍ったほどだった。少なくとも当時は、マンションが資産であるという考え方は一般的ではなかった。
■「賃貸は身軽」の考えが仇となる
今では見向きもされない「多額の住宅ローンを背負ってマンションを購入するより、身軽な賃貸のほうが賢い」といった言説も、むしろ合理性がある考え方だと受け入れられていた。
しかし、この「合理的」な考えは、価格上昇局面において裏目に出た。

かつて5000万円で売っていたマンションが1億円を超えて取引されるようになり、資産形成という観点では賃貸派と購入派との間で取り返しのつかない差ができた。
足元の金利上昇でマンション市況は調整局面に入ったとされるが、大手デベロッパーの幹部は「建築コストが上昇しており、かつてのように5000万円で新築マンションを供給できる時代に戻ることはありえない」と断言する。
大手企業を中心に賃上げが進んでいるとはいえ、不動産価格は賃金の上昇を遙かに上回るペースで上昇した。買い場を逃した人々はもちろん、これから住宅を購入しようとする現役世代にとっても、厳しい状況が続く。

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外山 尚之(とやま・なおゆき)

日本経済新聞社 ビジネス報道ユニット 消費・サービスグループデスク

2008年慶應大学卒、日本経済新聞社入社。前橋支局や国際部を経て2017年より2021年までサンパウロ支局長。南米大陸の各国でのルポ執筆に力を入れる。帰国後はビジネス報道ユニットにてエネルギーや不動産関連の取材に携わる。著書に『ポピュリズム大陸 南米』(日本経済新聞出版)がある。

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(日本経済新聞社 ビジネス報道ユニット 消費・サービスグループデスク 外山 尚之)
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